劇場版 鬼滅の刃 無限列車編 を見て

米 ネタバレの意図はありませんが、気になる方は映画鑑賞後にご覧いただくと良いと思います。

久しぶり、3年ぶりくらいに映画館で夫婦で映画を見て、体が震えるくらい感動してしまった映画。

染みがついてしまったマスクが恥ずかしかった。 


あまりに心が震えたため、しばらく映画のことを考えていた。

その中で、敵として登場する鬼である”エン夢”(漢字変換しても出てこなかった。以下エンム)を通して作者が伝えたかったことを考察してみた。


まず、エンムはどういう鬼かというと、


・相手に夢を見させることができる
・自由に夢を見させることができる
・無意識に潜入して精神の核を壊して廃人とさせる
・夢の世界から出るには、夢であることに気付き自害するしかない

という能力(血鬼術)を持っている。

設定としては、夢の外側の世界に無意識領域があり、そこに核が存在する。


炭治郎たちは夢の中で自分にとっての理想的な世界を見せられる。

つまり、幸福な状態にさせられる。

ここでいう理想的な世界は、エンムが演出しているわけではなく、あくまでも炭治郎など各キャラクターにとって理想的な世界を自分で作ってしまっているともいえるだろう。


理想的な状態である限り、そこから離れようと思う人は中々いない。

そこに漬け込んで、エンムの手下である子供たちが核を壊しにくるのである。


ここまでを整理すると、夢と無意識には関係があるということ。
そして、夢は理想、言い換えると叶わなかった(叶っていない)欲求から生まれているということ。


僕がこの時点でピンときたのは、エンムはフロイトの精神分析がベースになっているのではないか、ということ。

単位が取りやすい、という噂だけで大学の頃に哲学を受講したが、その際テーマとなっていたのはフロイトの精神分析だった。

無意識の研究を行っていた精神科医のフロイトであるが、彼は夢には当人の欲求が現れると言っていた。

その夢を分析して患者のトラウマとなった原因を探し、患者がそれを自覚し、もう一度向き合うことで精神的な疾患が快方する、といった形だったと思う。


エンムの夢から脱出するには、夢であることを自覚し、自害する他ない。

これはフロイトの治療方法と関係があると思わざるを得ない。


夢を自覚するとはつまり、欲求不満になった原因を客観視することにあり、
自害するというのは、それと離れる・断つといったニュアンスがあるのではないか。

簡単には離れられない過去の原因と、自らの命を自ら立つ行為の難しさが対応している。


作者は過去の自分を自覚し、その上で前に進むことの大切さをエンムを通して伝えたかったのではないか。


蛇足

Daniel Caesar のFreudian というアルバムが素晴らしい。

Freudian というのは、フロイトのとか、無意識層における性に関する、といった意味らしい。

Freudian slip でそれがつい口から出ちゃうみたいな意味みたい。


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