読書感想文 『建築家 安藤忠雄』
今度、滋賀にある セトレ マリーナびわ湖に行くのだが、建築家を調べてみた。
建築家は 芦澤 竜一
とある記事で見かけたのが、芦澤竜一が安藤忠雄に師事していたということ。
その記事の投稿者は、コンクリートの建築からそれを予想したらしいのだが、建築に詳しくなるとそんなこともできるのかと感心した。
安藤忠雄を調べてみると、顔はみたことがあるような。
重鎮的な人らしい。
そこから twitter や instagram で調べてみるとコンクリートの建築が目立つ。
そして、かなり格闘精神のある方ということがわかってきた。
社会に対する姿勢としては共感できるが、コンクリートの緊張感の中で生活することは僕としては中々イメージしづらいと感じた。
どうやら建築を語る上では無視できない存在であると感じた僕は本を買って読んでみることにした。
日本の都市は、(中略)ただの経済の論理だけをたよりに、建築と破壊が繰り返されることとなり、結果、世界のどこにもない混沌の都市が生まれてしまった。
僕が生まれてから約30年。
最近では、失われた30年とも言われつつある。
生きていく中で、日本は経済的に豊かで、人に親切で、清潔感のある、というイメージを社会から受けていた。
最近知って心外だったのが、海外から見ると日本人はカネが大好きだ、というイメージがあるらしい。
確かに、それって経済的に豊かであることの裏返しだよね。
経済的合理性を求めた結果の ”混沌” 自体を扱うアートもあるよね。
それをどう解釈するか、受け取るか、はそれぞれだが。
どちらかというと僕は、もう一度日本らしさを追求したい時期にきていると思っていて、日本文化に興味が湧いてきている。
グローバルの中で勝負するイマ、欧米のやり方を追い求めて正解を見出そうとしても、どうやってもオリジナルには追いつかないと、僕は思う。
グローバルだからこそ、自分たちにしかない強みをもう一度見つめ直して勝負していく方が、闘いの爽快さがあるのではと。
そもそも日本には、伝統的に、街の表側に改まって人々の自由なふれあいの場を必要とするような社会構造がなかった。都市空間と言う意味では、むしろ路地とか井戸端といった都市の裏側の場所の方が、よほど身近に感じられる。
ヨーロッパでは、広場でなんかやっているイメージ、確かにあるよね。
それっぽい真似をしようとしてスベったと、安藤忠雄も語っていた。
いまは言語化するのが難しいのが悔しいが、感覚としてわかる。
表立って自由にふるまうのって、求められがちだけど、遠慮しがちだよね。
日本人には少し隠れられる場所を沢山作った方がいいのかもしれない。
かといって、表立って主張する勇気ある人を退けるのは違うとも思うが。
古代エジプトの昔から、幾何学は人間が自然の中に何かを構築するときに最も基本的な思考の手立てだった。
直線とか円、それは幾何学の世界の話で自然にはない。
それらは、最も単純な秩序でできているから、人間が理解・設計しやすい。
ある意味、もっとも原始的で人工的かつ生命力のある造形が幾何学の中にはあるのかもしれない。
闘う建築家、安藤忠雄
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