読書感想文 『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』

読む前

この本は、アイルランド人の父と日本人の母の間に生まれた、英国に住む息子の中学生時代の日々を、母が綴った本である。

中田敦彦のYoutube大学の紹介で知ったのだが、音楽の話題あり、PUNKな話ありと興味ぶかく心に残っていた。

最近自分は、仕事や自分を高めるための本に食傷気味である。

そういった明確な課題を自分に与えてくれる本は、その後、自分の具体的な
アクションが試される。

そのため大きな意味で "読む" には多くのエネルギーが必要である。

おそらくそれがいまの自分には不足気味なんだろう。

一回chillして充電する時期として、自分の興味に従って精神を満たすものをいまは求めていた。


気づき

僕がこの本を読んで大事にしたいと思ったことが2つある。


1つは、多様性。

もう1つは、子供の可能性。


まず多様性から。

この本の要所要所に、人種、収入、学歴、ジェンダーの違いによる差別の話が出てくる。

その差別は意図的であるときもあるし、無意識にしてしまっていることもある。

なんなら親切心のつもりが、当事者からすると差別的に受け取られてしまうこともある。

本の中で、くだんの息子が「ヴェリー・イエロー」と差別的表現を受け、それに対して中国人の先輩が仕返しをしてくれるくだりがある。

これに対して息子は悩む。

僕は正直、当事者意識はなかったんだ。

と。

つまり、2つのルーツを持つ生まれつき英国育ちの息子にとっては、自分が
黄色人種である、という帰属意識がないのであった。

僕も正直、ここまで想像することはできなかった。なので、中国人の先輩は悪いとは思わない。

相手を守るための仲間意識がときに、相手を苦しめることがある。

親切心がルーツだからこそ、それを断ったり否定することが難しい。


多様性というと、先に挙げた属性の話が多くなされるが、
属性の中でも一人一人個性があって違う、という意味の多様性を意識する必要がある、と気づいた。

なぜならその属性、というのは自分で選んだものではない可能性もあるし、いまは違うと考えが変わっている可能性があるからだ。

多様性というのは、自分が自分であることを認める、他人が他人にとっての自分であることを認める、それが対立的であっても調和的であっても、それ自体が自然の姿であることを認める、ことなのではないだろうか。


それと子供の可能性のはなし。

この本の息子は、中学生であるが母とよく話している。

しかもその内容が、濃い。息子なりに自分の考えを持って話している。

文脈を辿っていくと、これはこの母親が子供をこども扱いしていないからなのではないか、と考えついた。

あくまでも一人の人間として物事を教えたり、対話している。

子供相手だとどうしても、適当に納得するような嘘をついたり、一方的にやりすごすこともできるが、それはモロに子供の成長に関わると感じた。

子供は常に吸収して成長を続けている。

その助けをするのが親の役割ではないかと感じた。


やること 

多様性は、個人の性格レベルで意識する。相手の立場を想像する。

子供の可能性を信じる。なるべく一人の人間として向き合う。

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