したい時分にカネは無し。
当然すべきことをしてなかっただけというのは案外多い。 当然すべきことというのは、たとえば、書記と通訳を従えて、日本側にとって「有利」になるように事実を記録していくようなことだ。
という格言がある。 一見残酷に見えるが、その意味するところは決して荒唐無稽ではない。 個人の死によっては組織は何も変わらないが、納期遅れ故に連鎖倒産となれば、不特定多数の労働者が路頭に迷うからだ。 無能な一兵卒の死は個人の死でしかないが、上官が無能な場合、部隊全員が死ぬ。
まず、相手と付き合ううえで第一に大切なことだ。 ただし、うわべだけの「弱点」を補うのではなく、「本当の弱点」を見抜くことが前提だ。
政治そのものに「何かを生み出す営み」など、ありはしないからだ。 「生産活動」に従事せず、皆が「政治」に関心を持つ社会は、末期的である。
どっちがいい?
そもそも「政治屋」タイプのメンバーが組織のトップに長きにわたり君臨し続けているということ自体、「メンバーの大多数がお人よし」だということを、可視化しているだけのことが多い。 皆が「少しずつ」政治から「逃げて」さえいなければ、「政治屋の長期支配」など起こりはしない。
欧州・ロシア双方にとってのギリシャほどの価値は、ない。 一時期、日本がギリシャのようになってしまうかもしれないから心配だという報道もあったが、実態は「逆」である。 むしろ、日本は「ギリシャにすらなれない」かもしれない。 ギリシャがいくら大赤字であっても、戦後国際秩序維持、イスラム過激派対策等の理由により、金を出せというギリシャのわがままに、欧州も、ロシアも付き合うだろう。 だが、日本がはたして「金を出せ」と周辺国に言って、金を引き出せるだろうか?
じゃあ、君が全部請け負ってくれるんだねとそっくりそのままその言葉を返される皮肉。
上司に叱られることではない。 上司に叱られる様子を「記録に残される」ことだ。 指導記録として「メモなどに遺されたら最期」、弁明の余地はもうない。 「指導したけどダメでした」というストーリーの仕込だ。 上司の怖さは、これだけでもすぐ実感がわくだろう。 決して、上司に逆らってはならない。そう思った瞬間、「負ける」よ。
上司に好かれることが上司に嫌われること以上に「危険極まりない」その理由はなぜか、考えてみよう。
親の出張先を常に「子どもの託児所」にしなくてはならない。政治家なら、事業家なら最低ノルマだろう。 子どものうちに、見知らぬ「他者」、特に、取引先の重鎮に「挨拶」する、お茶を出すという「経験」を積ませることも、重要な「OJT」である。
外科医であれば、皆に慕われる。 他方、労務やガバナンスに長けた名医だと、「嫌われる」。
ある意味「名医」を探すこと以上に、困難かもしれない。 この理由は、次の3段階で説明がつくだろう。 第一の壁 そもそも「多くの医者」が労務やガバナンスについて「無知すぎる」。 第二の壁 労務やガバナンスに長けた医者は往々にして「患者に厳しい」。 第三の壁 そもそも労務やガバナンスに長けた医者が「現場にとどまっていてはならない」。
日本人は、 個人の「人権」を守らなければならないと同時に、 個人を『人権』から守らなければならない。 この言説の意味はわかるだろうか?
一度たりとも書類のミスを犯したことのない人間が、真っ先に医療事故加害者に石を投げなさい。