パン職人の道へ
大学中退後は、建築の方にも興味があったので住宅メーカーに就職しました。
大学生活が終われば、摂食障害の症状も少しは良くなると思っていたけれど、全く良くならなかったんです。
家族がいない時を狙って食べ物を大量に買い込み、食べて吐く生活が続いていました。
その頃の私は、どれくらいの食事量が適量なのかが全く分からず、食べ過ぎなくても吐くようになっていました。
常に食べ物の事が頭から離れず、誰かと一緒にご飯を食べる事が怖くなりました。
あの頃は、本当にしんどかったな…。
さすがにこのままだとまずいと思って精神科に通院したけれど、思ったように改善せず、自らの希望で入院する事にしました。
最初は1ヶ月くらいの入院予定だったけど、退院するまでに5ヶ月もかかってしまいました。
摂食障害は、ただ食べすぎたり食べられなかったりするだけではなくて、精神的なバランスとの繋がりがすごく大きな病気なので、なかなか改善しなかったんです。
退院後は、それまで休職させてもらっていた住宅メーカーを退社しました。
新しい仕事を探す事になった時、「もう自分のやりたい事をやろう!!」と思い、パン職人の道を考えるようになりました。
そして、ずっと行ってみたいと思っていた長野市のパン屋さんに何回か通い、「ここで働きたい」と思った私は、その場で店長さんに「ここで修行させて下さい」と頼み込みました。
「まずは見学に来てみたら」と言ってもらい、小布施から40分かけて通う事になりました。
見学の開始時間は、確か朝の4時か5時頃だったと思います。
慣れない早起き生活が始まり、最初は大変だったけど、それが嫌だとは思いませんでした。
初めて見るパン作りの作業風景は、とても刺激的でした。
そのお店は長野市でも人気店で、そこのパンが美味しいと思っていた私は、なんとかそこで働きたいと思いました。
だから、ただ見ているだけではなくて、流しに溜まってる洗い物をしたりして、自分にできる事を必死に探して動きました。
そんな姿を見た店長さんが、そこで働く事を認めてくれた時は嬉しかったな。
そのお店で初めてパン作りに携わる事になった私は、サンドイッチの製造や窯の作業から覚える事になりました。
生地の発酵の状態も全然分からないし、焼成温度や時間も覚えなきゃだし、その日によって発酵の進み方も違うし、店長さん達はどんどん成形してホイロ(生地を発酵させる機械)に入れてくるし(笑)、過発酵にさせてしまえば厳しく注意されるし…。
自分でやりたくて入った世界とは言え、本当に大変でした。
特に、初めての窯の作業はとても難しく、最初の頃は両腕とも二の腕から下が火傷だらけでした。
窯の中の鉄板を取る時に、どうしても同じとこばかり火傷するから、前の火傷が治ってないとこをもう一度焼いてしまったりして、本当にひどい状態でした。
そんな私の腕を見た常連の女性のお客さまが、
「あなたは良く頑張っているわね」
と言ってくれた事が本当に嬉しくて嬉しくて、その言葉に支えられながらなんとか頑張りました。
そのお店には1年半くらいしかいられなかったけれど、店長さんのパン作りに対する情熱や厳しさに触れられたり、窯の作業を覚えたり、販売を通じてお客さまとコミュニケーションを取ったりする事ができて、今の私の基礎を作る事ができました。
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