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裏町の大衆中華『新大蓮』のチーフ1

第一幕  メインストリート「イナイチ」

1.ロンピーと魔のバス停

「うわぁ見てみ、白いシャツ着たあのおねーちゃん。えろうスタイルがええわぁ。髪の毛も長くて先っちょがくるっとカールしとる。今日一番の可愛さやなぁ」

と、今日もまたチーフは気持ち悪いほどニヤニヤとしている。鼻の下がまさしく長い。勝手口にもたれるようにして腕を組み、好物のロングピースをくゆらせる。

僕はひたすら大きな中華包丁を片手にキャベツをみじん切り。
「なぁカワムラ君も見てみって。どの子がええ? ん、どの子も興味ない? それはあかん、若いんやからもっと元気ださな」

チーフとは料理長という意味であるが、この方は店主である。一番えらいはずなのになぜチーフなのかというと、それは若い女性を見ればすぐにオラウータンのようにふにゃふにゃのエロ顔になるのと、奥さんの尻に敷かれまくっているからである。よって奥さんのあだ名が「社長」。しかし、チーフは奥さんとは真逆で愛想がよくて人懐っこい性格なものだから、親しみを込めてそう呼ばれている部分もあった。

「あっそうか、カワムラ君には彼女ができたんやったな。あの子の太ももむっちむちやん。えろう可愛い子見つけたもんや。え、もうやったんか? むふふふふふ」

昭和四十年生まれの僕はこのとき高校三年生になったばかり。仲良しの同級生たちはみんな早熟だったが僕はウブもいいところ。どうしていいのかわからず、とりあえず照れながらも勝手口に背中を向けてキャベツを切り続ける。

チーフが眩しそうに眺めるのは、勝手口から十メートルほど先のバス停前に立つ五、六人の女性たちである。目じりは垂れ下がりドスケベ満開の表情だ。

わずか五坪の狭苦しい店から見る勝手口の向う側はとても開放的な世界に思えた。白昼の午後二時半頃。初夏の生暖かい風にロンピーの香りが入り交ざる。そして、数秒の沈黙が続いた後、チーフが何かを思い出したかのように、いきなり野原のウサギのように首を立て、こう発した。

「あれっ! あの子よう見たらこの前も立ってた子やわ。絶対そうや。ほぅ、やっぱり縁があるのかもしれん。よっしゃ、わし、ちょっと行ってくるわっ」

やっぱり始まった。まっすぐに伸ばした人差し指と中指の間にタバコを挟みなおし、ゴリラのように体を揺らしゴム長をかっぽかっぽと前進。店の前を走るのは片側二車線の国道一七一号線、通称イナイチだ。時間を問わずトレーラーや大型のトラックが多く、今日も煙たい排気ガスを撒き散らしながら延々と行き交っている。バスを待っていたのは老若の女性たち。当然のようにその中の最も若いであろう女性にチーフは近づいていく。時折、車の走る音で掻き消されながらもチーフの声がかすかに聞こえてくる。

「なぁ、このあいだもここのバス停におったんちゃう? あ、変なもんとちゃうよ。わし、そこで店やってんねん。ほら、中華、中華。今からどこへ行くのん?」

恥ずかしい限りだ。こんなんで本当に引っかかるとでも思っているのだろうか。何を信じて声をかけるのか。瞬間的に恋愛に発展するとでも思っているのか。何度見ても僕には理解できない。なんとか手元のキャベツ切りに専念していたら、トラックの唸る騒音の隙間から耳を疑うような言葉が聞こえてきた。

「時間あんねんやろ? よかったら餃子でも食べて行かへん? 」

僕は思わずぐいっとのけぞり勝手口からバス停のほうを覗いてしまった。すると女性は一歩後ずさり、下を向きつつ手でチーフが吐くロンピーの煙を払うようにして「いえ、けっこうです」と言ったかどうかはしらないが、そんな風に聞こえた気がした。

ロンピーにまみれたチーフは満面オラウータンのような笑み。

「えぇってぇ、心配せんでも奢るでぇ、いやほんま。うちの餃子はうまい言うて評判やねんけどぉ、むふふふふ…」

「嫌です、もう勘弁してください」と再び心の叫びが聞こえた気がした。

白昼のバス停での出来事。それ以上追うと本当の変態おじさんになってしまうことくらいはチーフでもわかっているようで、照れ臭そうな顔で「忙しいとこゴメンなぁ。すんませ~ん」と軽く会釈してからゆらゆらと退却してきた。

「くっー! あかんわ。きっとお腹すいてなかったんやな」

「いや、そうじゃないでしょ! いきなり見知らぬおっさんが餃子食べへん?では絶対に無理やと思いますわ。もう完全に変態中華料理店です!」

「なんや、ほな何て言うたらええねん? そんなふうに言うんやったら次はカワムラ君が行ってみ」

「いやいや、ゴム長に中華の格好してることじたいがもうアカン。こんな真昼間から白衣姿の男にひっかかる女がいるとは思えません」

「カワムラ君はまじめやなぁ。女心をわかってない。嫌よ嫌よも好きのうち言うてな。女っちゅうもんは時として、絶対にアカンことがごっつぅエエという時があるんやで」

そう言ってあっけらかんとした表情でチーフは流しの横においてある一斗缶のごみ箱にロンピーを弾き捨て、客席にまわってスポーツ新聞をめくりだした。

僕は終わることのないキャベツのみじん切りをやり続けながら一人で思う。鈍感な上、しばしば見当外れなことになってしまうところがチーフの魅力でもあるのだが、それにしても白昼のバス停に立つお姉さんをナンパするなんて。白衣にゴム長姿の男がいきなり近づいてきてロングピースで餃子なのだから怖いに決まってる。

そもそもチーフは一つ間違えるとそのスジの人みたいに見た目がイカツイ。背は一七〇センチくらいだろうか。歳は僕より十三歳上で三十歳くらい。中肉中背で髪型は北島三郎のようなショートアイパー。これは昭和中期の強面の男たちの定番のヘアースタイルである。顔は近くで見ると猿か鶏にそっくりで、遠くからは痩せたゴリラに見える。この面構えでもって夏場は下着をつけずにブイネック型の白衣を着ている。やめときゃいいのに、たまにイケてる気分でゴールドのネックレスをつけることもある。

そんなチーフの店に僕は自ら好んで働きにきているわけであるが、なぜ自分が『新大蓮』で働くようになったのか。実は今回で二度めのことで、最初は高校1年の後半から二年の半ばまで。別に料理人を目指して働きはじめたわけではない。一言で言うと、たまたまだ。いろんなことが重なって、いつのまにかそうなった。


2.はじまりは鶏の天ぷら

『新大蓮』を初めて知ったのは高校に入学して三ヵ月ほどが経った頃のこと。中学の同級生である空本博文が勤めだしたのがきっかけだ。彼は頭から足の先まで絵に描いたような不良少年で、高校入学直後に教師も巻き込んでの乱闘騒ぎを起こして退学処分となり、彼の母親の知人でもあったチーフに拾ってもらったのである。

「学校を首になって中華屋に就職した」という電話をもらい、遊びに行く。すると、空本が「めっちゃうまいもんを食べさせたる」と言って「鶏の天ぷら」なる料理をご馳走してくれた。

で、これが本当に美味しすぎて一目惚れ。斑がなく美しい黄色で、さくさくとしつつもしっとりとした衣。真綿のような柔らかで真っ白な鶏の身からは透明な肉汁が滴り、不思議な香りのする塩(これが山椒というスパイス入りの塩であることを知るのはずっと後のこと)がまた食欲を掻き立てるのだ。そしてこの塩味が白いご飯と怖いくらいに合い過ぎていくらでもお代わりできてしまうから困りもの。おまけに、それまで好きでなかったキャベツの千切りや串型に切られたトマトも美味しく感じるようになってしまった。

鶏の唐揚げではなく、「天ぷら」という言葉も魅力的に感じた。中華は一〇〇%唐揚げじゃないのか。でも、その時のチーフは「これは天ぷらや」と断言。理由を聞いてもいまひとつよくわからなかったのだが、どうやら唐揚げはがりがりと硬い感じなのに対し、天ぷらはさくさくと繊細な歯応えでしっとりとしているようなそうでないような。同じ大人でも、口だけの?高校教師に対し、語らずも腕ひとつでどんな客も喜ばせているチーフがとてつもなく格好良く見えた。

味にもチーフにも心を奪われてしまった僕は、この鶏の天ぷらを毎日でも食べたくて仕方がないわけだが、さすがに何度もご馳走になるのは悪いし、チーフも「なんか食べたいものがあったらいつでも言いや」とやさしく声をかけてくれるものの、そう言われるほどに遠慮があってなかなか言い出せないものである。

そこで僕は、十六歳の頃から勤しんでいた麻雀ゲーム賭博やパチンコにより一層励むようになる。賭け事の相場はだいたい1万円前後。当時の高校生にしてみれば目が飛び出るほどの高額かもしれないが、賭博やパチンコの世界では遊び程度の額だ。僕にとってはバイクのローン、ガソリン代、毎朝夕の二回分の喫茶店代、タバコ代、酒代、そして次なる賭け事の軍資金などとそれなりに日常経費が必要だった。そこに鶏の天ぷら六〇〇円、ご飯大盛り二〇〇円の分も稼がなきゃならない。以前にも増して気合いを入れて賭け事に精を出すようになったというわけだ。

そして、しばらくしてから空本が「料理よりバイクのほうが楽しい」と言って『新大蓮』を退職してしまい、今度は近所の市場の中にあった二輪ショップに転職する。そこで教育的指導も含めてチーフが声をかけてくれたのである。

「バイクと賭け事ばかりではアカン。ちょうど空本君が辞めて人手も欲しいところやし、うちでバイトしてみるか」

僕は二つ返事で働かせて頂くことになった。こうして高校1年の終り頃からめでたく『新大蓮』でバイトを始めることになったのだ。

だが、現実はそんなに甘くない。チーフが大の麺とニラ好きというのがあって、まかないの殆どはラーメンかニラ玉炒め、たまにニララーメン。働き出してからわかったことだが、どうやら鶏肉は想像以上に特別な素材だったのだ。毎朝丸鳥から捌いて切り分けた新鮮なもので、数が限られているのでまかないにするにはもったいない。さらに、衣をつけて油で揚げるのは意外にも手間がかかる。このような存在だから、せいぜい味見と称して客の注文時につまみ食いする程度だった。

が、しばらくして僕は辞める。高校二年になった時に彼女ができたのだ。それまで掛け持ちでしていたレストランの皿洗いのバイトも辞めた。僕らのデートはバイクと喫茶店巡りが多いので本当はお金がもっと必要になっていくわけだが、その分ますます賭け事に精を出すという悪循環に。

お袋からもらっていた一日の昼食費五〇〇円も軍資金とするが当然ながら塵と化す。そのたびにまた、レストランのウェイターや酒屋の配達などと手当たり次第にバイトを探すが、その給料をまた賭け事に捨ててしまう。こんなことを繰り返しているうちに彼女が「やっぱり前の彼がいい」と言って僕から去っていくという目も当てられない悲惨な状況に。

このような荒波の高校生活を送るわけだが、高校三年になる頃にもっと愚かなことをやりだした。

それがバイクレースだった。レースに参加するにはあまりにも莫大な費用が必要だ。ライセンスを取り、専用のバイクを購入し、チューンナップを施し、サーキットまでの交通費やその期間の食費などと際限がない。今考えてもとても手に負えない金額だし思い出すのも怖い。

では、なぜこんな無茶な夢を追いかけだしたかと言うと、やっぱり空本の存在が大きい。彼らとは血のつながっていない家族同然だった。

お互いの家庭環境も大きな理由だったかもしれない。僕は中学二年で親父が急逝し、お袋は身を粉にして働き、兄貴はヘヴィメタルバンドを組んで家を出て行ったまま。お袋には悪いが家は帰る場所という感覚ではなかった。

一方の空本は四人家族であるが、母親が保険屋をやりながらその辺の男を食ってしまうような人。彼の家の台所は狭くて薄暗く、母親のタバコと香水の匂いを含んだ湿気が常に漂っていた。父親は悪い人ではないのだが真面目で無口すぎるサラリーマン。可愛い妹がひとりいたが彼女は当時から自律した大人という感じがした。

他にも三人の友がいた。全員に共通していたのが家に団欒が存在しなかったことだ。だから夜になるとどこかで肩を寄せ合い、居場所を探すかのように夜通しバイクを走らせては、しばしば日本海まで海を見に行ったりもした。夕飯や朝飯はその辺の食堂やファミリーレストランで取り、お金がなければ持っている誰かが補う。でも決してグレているつもりはない。腐るのではなく、どうやって生きていくのかということをみんなでよく話し合った。この仲間でこれからも共に大人になっていくのだと信じて疑わなかったのである。

その中で空本と僕は特にバイク好きで徐々にレースへ憧れるようになっていく。レースの魅力はそのスピード感やマシンの精巧さにもあったが、なによりもレーサーという職業が格好良く思えた。シャンパンを抜き、大勢の人から賞賛され、金持ちになり、そして美女からモテる、はず。

そう信じたのは雑誌や映画の影響が大きく、高校二年のときに公開された映画『汚れた英雄』が決定的だった。ヒーローになるためにはしっかりと身体を鍛えて友人を大切にして練習を真面目にやらないといけないのだと、映画の内容をそのまんま受け取った僕は本当にタバコと酒をやめてリンゴを毎日食べてジョギングを開始する。

高校三年のときには『ライダー』という八ミリ映画も製作してしまうほど、頭の中は「レース&金持ち&美女」のことで一杯。そのためだったらどんな困難も乗り越えてみせると、そう硬く決心し、僕は空本が働く二輪ショップにも毎日のように通い、勝手に店を手伝い、バイクの整備を体得していくのであった。

そうこうしているうちに賭け事もいいが、空本が勤める二輪ショップからほど近い『新大蓮』にあらためてバイトを申し出たわけである。サーキットへ行く際は自由に休ませてもらうことも含めて、チーフは快く引き受けてくれた。

こうして僕は二度目の『新大蓮』バイトに来ているわけだ。目的は鶏の天ぷらから、バイクやレースの資金稼ぎに変わっていた。


3.裏町銀座「パチンコ一七一」

一日通しでバイトに入っている日は三時から五時に休憩時間をもらえるのだが、この時間帯と出前が重なる場合はしばしばチーフから皿下げの命を受ける。その矛先は決まって近所のパチンコ屋だ。二階が従業員の寮になっていて、よく出前を取ってくれていたのだ。

高校生だから本当はダメなのだが、休憩時間はほぼ毎回パチンコに行く。場所は『新大蓮』からイナイチを北へ二〇〇mほど行った先で、その名も「パチンコ一七一」。楽しげな色とりどりの看板やネオンがあるのはここだけで裏町のスター的存在であった。

僕の目的はもちろん金を稼ぐため。とはいえ、椅子に座っているだけでいいし、ピーヒャララと色んな音が鳴ったりでなかなかな楽しい。もちろん負けるとバイト代が吹っ飛ぶわけだが色々と事情があっていい副業になっていた。

パチンコ屋には『新大蓮』の多くの常連客が出入りしており、平日の昼間でも一〇人くらいの知った顔があちこちに座っている。夜間勤務のトラック運転手、よく出前を取ってくれる団地に住む主婦、近くの工場経営者や従業員、脱サラの自称パチプロ、コロンむんむんタイトスカート姿の保険屋熟女。ほか、一年中長袖の黒いセーターを着たそのスジの若頭ガッちゃんなど。

パチンコ台が並ぶ通りを歩き、目が合うたびに何かしら話を交わし、そのうち台を回してくれる人が出てくるのだ。

「○○番台に玉を入れてあるからやってもええよ」

これもたぶんダメだと思われるが、当時はみんな気になる台に玉を入れてキープしておいたものだ。だから一人で三台も四台も占領しているような人もざらにいた。だが、さすがに長時間置いたままだと場内放送がかかる。

「○○番台のお客様~お時間が一定以上経っておりますので今すぐにお戻りください。お戻りになられない場合は玉を回収して開放いたしま~す!」

が、白昼からパチンコなんぞに夢中になる者がこんな放送を真面目に聞くわけがない。そのカモフラージュとして誰か気の許せる者なんかに打たせるわけである。いずれは自分が打つつもりだが、出ると思っていても出ないこともあるのでそれがわかると捨てる。そんなわけで夕方の1時間か、せいぜい一時間半程度しか遊ぶことのできない僕なんかは格好のいい代打役なのであった。

打つ機種は限られていて名を「ギャラクシーダイバー」という。台には両手で軽く一杯、お金で言うと三〇〇円分くらいの玉を入れてくれている。うまくいくとこれだけで勝てる。

この機種は飛行機をモチーフにしていて、①の穴に入ると「ブイ~ン」とプロペラ音がなって中央部の羽が一回開く。②の穴に入ると「ブイッ、ブイ~ン」と二回開く。そして羽の内側の中央部に玉が入ると羽が十八回開き続けるのである。

その間ひたすら玉を打ち続けるわけだが、中央の穴に再び玉が入るとさらに十八回開く。この繰り返しを最大一〇回まで続けることができる。中に玉がはいるたびにその何倍もの玉がジャラジャラと出てくるのがエクスタシーなのだ。

四〇〇〇個出したら打ち止め終了となるが、一、二時間で終了することはありえない。出てもせいぜい一〇〇〇個か二〇〇〇個。それでも換金すると三〇〇〇円か六〇〇〇円にもなる。もちろん負けることもあるがそれは五回に一回くらいのものだから普通では考えられない勝率だ。

が、本当にダメな台はやっぱりダメなものである。機械に細工はないということだが、どう考えたってあるに決まっている。でなければパチンコ屋が儲かるわけがない。周知の常識のはずだが、それでもまたやってしまうのがパチンコなのだ。もう少し頑張れば出るかもしれない。だからあと一〇〇〇円だけ。そんな風に。

ちなみにチーフは滅多とパチンコをしないが、以前はちょくちょくやっていた。僕が行きだしたのもチーフに連れて行ってもらったことがきっかけだ。しかし何度かやっているうちに何万円も負けてしまったことがあり、それ以来行かなくなってしまったのだ。その後はパチンコ好きの常連客から誘われて何度かは付き合いで行ったことがあるようだが、ちょっとやったらすぐに帰ってしまう。

チーフはスケベなだけで、賭け事にはさほど興味がなく、意外にも健全なのである。ただ、パチンコ屋の店員には『新大蓮』の常連客が多くいるので縁は切れない。

狭い裏町のことである。パチンコ店員というものは人の恨みつらみを買う商売だけに、店に食べに来ることは顔が指してしまうのでない。その分出前を多く取ってくれるというわけだ。二階へ空いた皿を取りに上るたび、どこかしらからまた追加注文の声が飛んでくるというお得意さんだ。

パチンコ屋の店員というのはなぜか陰のある人が多い。夏でも長袖を着ていていつも疲れた目をしている人とか、口は笑っていても顔色が黄色く目が冷め切っている人とか。でも、そんな人たちでも骨付きの唐揚げやうずらの旨煮などの注文をしてくれるとなんだか人間くささを感じて嬉しくなってくる。

おいしい料理というのは人を選ばないんやなぁ。

4.阿漕なサ店と大衆食堂の間で

今もそうだと思うが一九八〇年代もやっぱり大衆中華料理店というジャンルは人気で、このような裏町にも何軒かの店がちらほらとあった。

まずはイナイチを西へ二キロほどいったところの店でチーフの先輩が担っていた。車を駐車しづらい環境ではあったものの面積は『新大蓮』の三倍ほどもあり、メニューのアイテムも豊富で味もいいもからよく繁盛していた。

また三キロほど離れた阪急茨木駅付近に『新大蓮』と似た小汚くて狭い中華屋がもう一軒あったがこちらはメニュー味共にそこそこという感じ。地の利の良さもあって客の入りはなかなかよかったようである。が、どれもライバル感覚はない。たまにチーフからこれらの店の噂を耳にしても、それは単に気分転換で食べにいってみたいというそれだけだった。ま、他店を意識するほど店は暇ではなかったといったほうが正しいか。

『新大蓮』の人気の理由は時代性や住宅地と工業が入り交ざったという地域性もあったと思うが、やはりチーフの人柄と腕にあったのだと思う。特に餃子の人気は確固たるモノで。

客層はとてつもなく広い。出前なら団地の住人やパチンコの寮はもとより、界隈の物流倉庫、靴下工場、板金工場、ラブホテルの受付、交番、少年院など。ほか水商売関係者やタクシー運転手からはテイクアウトが、来店客だと九州や関東からの長距離トラックの運転手の姿も多かった。

当時の大阪の餃子はほとんどが分厚い皮に油べっとりで、中身は白菜中心にフードプロセッサーで磨り潰したぬめるような舌触りの餡が主流。しかし『新大蓮』の餃子は、薄めの皮で中身はキャベツのみじん切りが中心だから噛むたびにゴリゴリと野菜の歯応えがする。ニンニクは弱めで青ネギとニラもたっぷりと入れる。肉は豚のミンチのみでラードは控えめだからさっぱりとした口当たりで香ばしさが際立っていた。

焼き方も他の店とはちょっと違っていた。鉄板に微量の油を敷いて、餃子を並べたらまずしばらく焼くのだ。そしてチリチリとしてきたところでけっこうな量の水を加えて、ぶっしゅーと水蒸気が吹き上がると同時に蓋をする。そのまま強火で焼き上げ、後半に火を弱める。出来上がりは音と匂いで判断する。ちくちくと細かい音がして、焦げかけくらいのにおいが漂ってきたら蓋を開けて、今度は餃子用の三〇センチほどのステンレス製コテで鉄板から浮かせ、そこに当たる感触がサクサクと乾いていたら取り出すのだ。

鉄板にあたる腹の部分がこんがりと茶色に焼けていて、薄い皮の淵がパリッとして立っているのが特長である。タレは醤油と酢を割っただけのシンプルなもの。餃子の旨みと香ばしさが半減するのでラー油は特に勧めていない。とにかくチーフの味付けの基本は塩であり、たまに醤油という世界である。

これで一人前八個入り二五〇円という安さだから多い人は一人で四人前食べる者もいた。忙しければ一日にバット一〇枚全部がなくなる。一枚が六、七人前だからざっと六〇~七〇人前だ。餃子の仕込みは日課であるが手間隙がかかるので、待ってもらうこともしばしば。そんなだから予約の電話をしてくる客も少なくなかった。チーフの正確さとスピードにはかなわないが僕も一応は包むことが出来た。

機械に頼らず、ましてや外注なんて発想すらなく(意外にも昔も今も中華料理店では餃子を外注している店が多い)、かといって「不器用ですから」的な頑固を謳うわけでもなく、ただただこれが当たり前だと信じてやり続けていただけのチーフ。人気の高さは客がもたらした結果論という感覚だった。

このような状況であったが、近所にはわずかながらも競い合っていたというかおのずと比較されてしまう店と、もう一軒はっきり言って目障りな店が存在していた。

それがまず隣の喫茶店である。こちらは元々サンドイッチかケチャップまみれのスパゲティくらいしか出していなかったはずなのに、ある頃から店頭に「日替り定食六〇〇円」と大きく書かれたメニューを出すようになったのである。

『新大蓮』の昼の一番人気も日替り定食六〇〇円。ただし、こちらには中華料理といえるものは一品のみで量は半人前ほど。それ以外は業務用のポテサラや冷凍の白身魚のフライなどといったまさに安いだけのサービスランチなのである。それ以外に中華弁当や特別定食なんてセットもあったがこれらはちゃんとした素材で注文後に作るものでそれぞれ一〇〇〇円。

好きな人は昼の多忙な時間帯でもレバニラ炒めとか揚げソバなどを注文してくるが、近くの工場に勤める会社員などの大半はやっぱり最安の日替り定食を目当てにしている。

彼らは必ず十二時過ぎにやってきて、遅くても十二時五〇分には店を出なければならない。多い日は一〇人以上が並び、とにかく味の確実性とスピードが大切だった。隣の喫茶店はおそらく、この列に手を出してみたくなったのだろう。

前に立てかけられたメニューには「白身魚のフライ、サラダ、味噌汁、ごはん、漬け物」などと書かれているだけで写真なんてあるわけがない。ま、当時は街の人気店で写真入のメニューを貼るような店は希少だったが。

あるとき、僕が食べに行こうと思いチーフに声をかけると、「行かんほうがいい」といわれた。隣付合いもあるので、すでに一度食べに行ったらしい。同じように業務用の冷凍フライを使っているようだが衣はベちゃべちゃで、ご飯は臭く、薄い味噌汁には気持ち程度のワカメが浮いているというシロモノらしい。

あともう一軒はパチンコ屋のすぐ隣に『新大蓮』の倍ほどの面積を持つ二四時間の大衆食堂だ。が、信じ難いことにこちらはしばしば腐ったものを出すことで有名だった。それは総じて夜の話であって、昼間も腐ったものを出していたかどうかは不明だが、特に深夜遅くにその店で飲み食いした客が店を出たとたんに吐き戻すなどということがしょっちゅうあった。酔った客が血迷って〆の食事に入ってしまうというパターンだと思われる。

だいたいは呑みすぎが原因という風に店の人間が揉み消すように言い触らしていたというから相当にたちが悪い。それでも大きな看板を毎晩煌々と灯し、なんだかんだいって特にパチンコへ行き浸っているような客をたくさん取り込んでいたからすごい店である。

この店とよく比較されていたことがちょっとつらい。インドじゃあるまいし、とんでもない時代というか、まぁそういうエリアなのである。


5.強盗を鶏がらスープで撃退

ある日の昼下がり。仕込みをしていたら勝手口から空本が入ってきた。彼は時折こうして何かのついでに立ち寄るのだった。

「空本君、おはよう! なんか食うか!?」
チーフは昼夜を問わずその日初めての挨拶はこの「おはよう」だ。

「いらんって。何でこんな時間にメシ食わなあかんねん!」

愛想と突っ込みは大阪人のお天気会話みたいなものである。適当な会話をしているうち、何かの拍子に聞き流せない話題になった。いつぞやの事件である。空本が話す。

「いやな、俺がおる時にいっぺんチーフが刺されそうになったことがあるんや。カウンターでラーメンを食ってた変なチンピラがいきなりドス(短刀)を突きつけてきて”金出せ!”って叫びよった」

「なにそれ? 刺されそうってぜんぜんシャレにならん。シャブ中かなんか?」

「たぶんな。ずっと挙動が変やったよね、チーフ」

「そやな、あれは流れもんやで、この辺では見ん顔や」

チーフは「流れもん」という言葉をよく使う。それほどこのあたりには、素性のわからない怪しいヤツが多かったのだ。それにしても白昼の中華屋でいきなりドスを出すなんてちょっとクレイジーな話である。

「そう、あれはほんまにイカレテた。実はその前に一度店にきたんよ。最初は真昼間や。灰色の着物を着ててな、カウンターに座りよった。俺が水を持っていくと胸と肘あたりから青い墨(今どきの格好いいのじゃなくてひたすらイカツイ入れ墨)が見えたんや。あぁこいつ堅気やないなとわかった。で、そのとき目がえらい踊ってて気色悪いやつやなと思ってたんやけど。でもまぁそのときは金を払って出て行った。またラーメンの食い方が汚くて、まるで犬が食ったみたいに散らばってたわ」

「で、その二時間後くらいにまた来て。今度はこの辺に座りやった」とチーフ。そこはカウンター中央よりやや右側で、目の前には並々と鶏がらスープのはいった直系七、八〇センチの寸胴鍋が置いてあるところだ。

「わし、なんかおかしいと思ったんや。昼間にラーメン食っといてから三時頃にまたラーメン頼むんやから。で、カウンター越しにラーメンを手渡そうと思ったそのときや。袖口からいきなりドスを突きつけてきて

”金出せっ!”って叫びよった。他に二、三人の客がおったんやけどみんなびっくり仰天や」

「なにいうてんの! チーフかてびびってたやん。ラーメン落としそうになってたで」

「アホ! わしはとっさにそいつの手首を掴んでそのままスープの中に引きずり込もう思たんや。空本君こそ、わしに向かって警察やって叫んどったやないか。わしはヤク中の腕を掴んでて手が離されへんねん!」

げらげらと笑いながら空本が言い返す。
「いや、ほんまチーフの顔めっちゃおもろかったわ。いつも以上に鶏に見えたわ」

「ちょっとちょっと、それ笑いごとやないでしょ。刺されててもおかしない話やで。シャブで頭がイカレテるんやから」

「まぁな、ほんまチーフも俺もびびった。警察から追われることあっても自分から呼んだことないし。どうしたらええかわからんもんやからバイクに乗って交番まで行こうと思った」

「ほんま空本君には参るわ。わしが必死で腕を引きずり込んでるのに、バイクのキーを探しとるんやで。わしは言うたんや。”一一〇番や!!”ってな。それでようやく電話をかけたという有様や」

「しょっちゅう人と殴り合いの喧嘩してるくせに空本もびびることがあるんやな」

「ま、そういうことや。でもな、一番慌ててたのはそのシャブ中や。まさかそこにスープがあるとは思ってなかったんやろな。チーフがスープの中にそいつの腕を突っ込んだ瞬間”ウギャッー”て叫んでもう必死やってたわ。で、振り払って物凄いスピードで外へ出て行った。ドス、寸胴鍋の中に落ちとったで」

「でな、何を考えたかそのシャブ中、歩道やのうてイナイチを横切って逃げよったんや」

まさか、幅二〇メートルはあろうかという5車線の国道を、よくもトラックに轢かれなかったことだ。

「”キキッーーー”っていう急ブレーキの音がぎょうさん聞こえたわ。でもな、勝手口から見たら、これが轢かれそうで轢かれへん。おっとっとって感じで岡八郎かカンペイみたいに身体をくねらせながらなんとか向かいまで渡りきりよったんや。ほんま運のええヤツやで。そのままラジエーター工場の路地へと消えてしもた」

イナイチの向こう側にはバス停とタバコ屋があり、その左五〇メートルほど先に大きな交差点があるのだが、その間に一本の細い路地があり奥に出前でお世話になるラジエーター工場があるのだ。その工場の奥は二〇〇メートルほど雑草が生えているような寂しい道となり、突き当りが川になっていて左の坂道を上ると堤防の道にでる。

「でな、問題は警察や。電話してから何分後に来たと思う? 十五分以上もかかったんやで。こっちはドスを目の前にして助けを呼んでるというのに。ラーメンの出前でも十五分かかったら延び延びや。しかも何があったのかと思うほどの台数できよった。たぶん四台は来てたと思う。すぐそこに交番があるのにやで。おそらく茨木の本署から束になって出てきよったんやろうな」

「ほんま使えへんやつらやで。警察もイカレタやつを相手にするのは怖いんやろうな。もしそれで俺ら刺されてたら出血多量で死んでるわ」

「空本君、それは確かやけど、あの交番はお客でもあるからあまり悪口は言うたらアカン。狭い町なんやからくれぐれも言い触らさんようにな」

空本が勤める二輪ショップは店から歩いて一〇分かからないようなところにある。閉塞感満々の町なので、ちょっとでも刺激的な話は必ず掛け違いを起こして制御不能となる。

「結局その後はどうなったんですか? 犯人はつかまった?」

「そんなもんつかまるかいな。十五分もあれば楽に逃げられるって。それよりも現場検証のほうが大げさで。数え切れんほどの警察がきて何回も同じような質問をしてくるんやで。こっちは仕込みもせなあかん。おかげでその日の夜の営業は八時頃からになってしもた」

「ええっー? 店やったんですか?!」

「当たり前や。日銭商売やから暖簾を出してなんぼや」

「以来、そのシャブ中は来ないんですか?」

「ふん、見いひんな。一応ガッちゃんにも聞いてみたんやけど、そんなやつは知らん言うてた。どうせ、その辺をほっつき歩いてる流れもんやろって」

ガッちゃんとはこのあたりを仕切る組の若頭である。年の頃はチーフよりも上であることは間違いないが、いかんせん色黒でアメリカソウル歌手のライオネル・リッチーにそっくりなので年齢は不詳である。

片方の小指は第二関節までしかない。人と群れることは決してなく、昼の二時頃にやってきて、必ず瓶ビールと餃子、鶏の辛し炒めか炒飯を追加する。黙々と新聞を読み、交わす言葉は注文と「ごっそさん」だけ。アウトローではあるが、チーフもつい憧れてしまうような男気を感じる人だった。

それにしても、いくら裏町の超ガラの悪い、いや、鶏ガラスープが自慢の大衆中華屋とはいえ、シャブ中の強盗まで来てもらっては困るのだ。

6.学校とおっぱいのせめぎあい

夜の十一時過ぎ。今日は店を早仕舞いして常連客の三好さん夫妻が担う『スナック・マラカス』にやってきた。店は一応〇時までということだが、お客と店の気分次第でなんぼでもという緩いシステムだった。

『新大蓮』からイナイチを五〇〇mほど北へ行った先の神社と池の隙間みたいなところに店は立っていた。5坪ほどの細長い店内にソファが並び、小さなテーブルがいくつか置いてある。

三好さん夫妻がハイテンションで出迎えてくれた。

「ほぉっーーー兄ちゃんやっと来たか! 今日はとことん飲ましたるさかいなぁ」

「これっ、またそんなこと言う。お兄ちゃんは高校生なんやからカラオケだけ! お酒はアカンでっ!」

お二人には僕よりも五歳年下のお子さんがいるらしく、ママさんはいつもオカンみたなことを言う。それにしてもお二人の雰囲気が『新大蓮』で見る時とは明らかに違う。元々お二人はハイテンションな上にスナックという商売なのだからそうなるのはわかるのだが、顔も服装もきらきらとしていてなんだか演芸場に立つ芸人みたいなのだ。

マスターはメガネを取った横山やすしのような顔でいつも以上にぴっちりとオールバックが決まっている。そして、やや赤ら顔なので酒のせいかと思いきや、なんとファンデーションを頬に塗っているではないか。男で化粧するのはオカマだろ!?(当時はそういうことになっていた)

オカマといえばここからさらに五〇〇mほど北へ行ったところに、いつもほっぺを桃色、唇を真っ赤に塗ったガリガリオヤジのバーがあったっけ。まさかそのオカマとマスターは同類か。いや、それは考えられない。やっぱり人々の機嫌を盛り上げるのだ、というプロ意識というか芸人気質みたいなのがそうさせているのに違いない。

ママのほうは元々顔も服装も関西タレントの女傑、上沼恵美子にそっくりな派手系なのだが、この日は唇がいつもの倍くらいに膨らんでいて真っ赤っか。おまけに瞼は真っ黒け。限り無くオバケのQ太郎に近い漫才師今いくよくるよの太った方といった感じなのである。ちょっとでも気に障ることを言ったら一瞬にして飲み込まれるか魔術をかけられそうだ。

我々が着いたときには二人の初老男たちが赤い顔でカラオケを歌っていた。その二人のぴかぴか頭に負けないくらい輝いているのが自慢の最新鋭カラオケである。ジュークボックスのようなケースの中に眩しいレーザーディスクがずらりと並び、ボタンを押すと自動的にディスクが取り出され、数秒後に音と専用のテレビモニターに画像が映しだされるという仕組み。もちろん歌詞も流れる。これまでのカラオケはカセットテープかビデオテープで、歌詞はぺらぺらと紙をめくっての分厚い冊子。もう指に唾をつけることも、使い込みすぎてページが破けてしまう心配もない。

ママがテーブルでウイスキーにミネラルウォーターを注ぎ、それをニタニタと眺めてロンピーをふかすチーフがぽつりと言う。

「ママはん、僕は車やからサイダーね。その分今日はこの子に飲ましたって欲しいねん。カワムラ君は酒好きやから。見てみぃ、この風貌や。どこからどう見ても高校生やない」

当時の僕には高校生の雰囲気はまったくなかった。髪型はパンチパーマで、タバコをすぱすぱ、気は小さいのに身体と声がでかくて図太い。こんなだから行く店によっては、学生服を着た子持ちのおっさん、などと冷やかされることもあった。

先までのハイテンションはどこへやら、ママは途端に渋そうな表情になった。

「そんなんアカン。この子は未だ高校生なんやでぇ。みんなわかってんの!?」

「へぇもちろん。せやから今日はカワムラ君の激励会っちゅうことで。ちゃんと学校へ通ってもらおう思うてのことやわ」

なんだかせっかくスナックへきたというのに説教されにきたのか、と思ったらいきなり隣のハゲオヤジどもが「うっぎゃー」とか「あっあっあぁぁぁ」などと騒ぎ出した。

どうやらカラオケのモニターを見ながらはしゃいでいるようだ。二人が食い入っているそれを見ると、なんとそこには巨乳をひたすらゆっさゆっさと揺らしながら砂浜を駆けるおねーちゃんが映っているではないか。流れているのは当時大流行していた「あみん」という女性二人組みの「待つわ」。

「かわいい顔してあの子 わりとやるもんだねと 言われ続けたあのころ 生きるのがつらかった♪」

歌と映像が合っているのか合っていないのか、いつ暴発してもわからない若き僕はもう冷静に理解することなんてできっこない。そのあまりにも切ないメロディと歌詞、そしておっぱいの斬新過ぎる組合せに脳がぐでんぐでんになっていく。すっかり思考回路を奪われてしまっていたら、マスターがいきなり僕の顔を両手で掴んで反対側に振り向かせた。

「こらこら、若い君には刺激がきつすぎたかいな。今な、お兄ちゃんの将来について話しとるんや。よう聞いとかなあかんでぇ」

流れ行こうとする魂を、僕はなんとかテーブルを囲むチーフたちのほうへと戻す。

「もうほんま、あんたがチーフでよかったわ。しゃあない。お兄ちゃんがちゃんと学校へ行くって今ここで約束できるんやったら飲ましたる。どうやお兄ちゃん? 」とママが言っている。一呼吸置いて「はい、絶対に行きます。卒業するまで頑張ります!」と必死の二つ返事。

こうしてなんとかウィスキーの水割りにありつくことができたのであるが、僕は歌が終わらないうち一秒でも早く先ほどの揺れる大きなおっぱいを見たい。当時は女性の身体なんてエロ本くらいでしか見ることはできない。しかもそれは、夜中しか表紙が見ることができない特殊なフィルムが貼られた自動販売機か、狭苦しい個人経営の書店くらいしか入手ルートがない。また当時の書店店主なんてのは頑固者が多くて、未成年であることがばれたら叱られ倒すことは間違いない。

友達のみんなで拾い集めたエロ本を、橋の下や教室の天井裏などに格納して大人の図書室を作っていたくらいだ。裏ビデオは存在していたが、それはあまりにも特殊で、一般人が観るのはなかなか難しい状況であった。まぁチーフなどは闇の業者から裏ビデオを仕入れていていたわけだが。

とにかく、とにかく動くおっぱいは、あまりにもお宝映像なのであった。生命力がほとばしる十八歳の僕の鼓動は意識とは裏腹にどんどん急上昇していくばかり。

しかし、悪いことは連鎖するもので、ママの手前か、この後もチーフが珍しく頭のよさそうな堅い話を続けてしまう。隣からは「うわぁ大きいな~。エエ乳やなぁ。顔を埋めてみたいわ~!」などと丸裸の言葉が聞こえてきてたまらない。

「カワムラ君、悪いことは言わん、ほんまに高校はちゃんと行っといたほうがええ。ママの言うことは正しいで。わしを見てみ。中卒やから漢字もあんまり読めんし書かれへん。そんなんやからあんなぼろい店しかできへんかった。もっと勉強したかったなってずっと思っとる」

ウウ、苦しいところだ。当時の僕は確かに高校へはあまり行っていなかった。出席回数が少なく、このままでは留年する可能性があったが、でもまぁなんとかなるだろうと高を括っていたのだった。

「う~ん、そうですね。でも、一年も二年も留年寸前であぶなかったんですけど、何とかここまで来れましたから。たぶん、この先も大丈夫やと思います…」と、なんだかわかったようなわかってないような返答。

後頭部付近にある魂の扉は全開だ。羞恥心を脱ぎ捨てたハゲオヤジの歌声と喘ぎがぎんぎんと響いてきて仕方がない。

「悲しいくらいに私 いつもあなたの前ではおどけて見せる道化師~♪ ふんがぁ! 」

よろめく僕にまったく気が付いていないチーフは真面目な顔をして話を続ける。

「せやけどカワムラ君、辞めてしもたらお母さんが悲しむわ。お父さん死んでしもて、それ以来振り返ることなく働き尽くめや。とにかく最後まで行くのが親孝行や」

と、さすがに親父の話をされると血の気が少し冷めていく。親父の死についてはまだまだ整理がついていなかった(実府は僕が中2の時に他界)。しばらく間をおいてこう応える。

「オカンはね、僕に大学へ行けない家の子、と思う必要はないって言うんですよ。行きたかったらその道を選んでもいい、という意味やと思います」

「凄いやないか! カワムラ君は幸せや、いいお母さんでよかったで」

「うん、そう思ってます。でもね、兄貴がアカンのです。聞いたこともない大学でクソ高い私立に。でも、1年も経たんうちにヘヴィメタのミュージシャンになる言うて辞めてしもたんですわ。オカンが血の滲むような思いで用意した金を全部ドブに捨てよった。もう家にも帰ってこーへんしどこに行ってしもたかわからんのです。中学時代は親父の代わりや言うて散々俺を殴っていたくせに。それこそオカンが可哀相で」

「そうか。でも、きっと本人が一番苦しんでるわ。プレッシャーがあったんやで」

「ふんっ、自分は大学へ行けたのに、それで十分やのに」

「そんな風に思ったらあかん。浅賀君のお兄ちゃんを見てみ。あの子は暴走族の頭をやったまではよかったけど、スジの人も手がつけられんほど暴れるもんやから挙句の果てにムショへもはいってしもた。カワムラ君のお兄ちゃんはヘビかロックかわからんけど、そんなんとは違うやん。今は分かっとらんでもええからとにかく最後まで学校へ行っとき。バイクの世界を目指すやんたっらそれでもええから」

 浅賀というのは空本など僕らの仲間の一人である。中学3年ですでに彼女と同棲をはじめ、高校受験をすることなく鉄工所で働き出し、特殊な溶接技術を身につけて十八歳にして独立を実現したかなりのやり手だった。中学時代は周囲から番長と崇められていたが本人は悪ぶる様子は一切なく、どうやって財を成すかだけを考えているような冷静なやつだった。そいつの三つ年上の兄貴がこの町どころか大阪でもちょっと名の知れた凶暴な人だったのである。

「よう学び、よう働き、よう遊べ、や! 若いうちはなんでもやったらええんやし、どんどん失敗もしたらええ。学校を出たら、そのとき大きく羽ばたいていったらええねん。ほな、これからも頑張って学校へ行くように!」

チーフが話しきって、ようやくこの場が収束する感じになった。と、その瞬間僕は我にかえった。

あ、いけない。揺れるおっぱいはどこだ!? 僕はすぐさまハゲオヤジ越しにモニターのほうへと振り向いた。

「たとえあなたが振り向いてくれなくても 待つわ いつまでも待つわ せめてあなたを見つめていられるのなら~♪」と言いながら無情にも画像は消えていった。

不思議なものであれから何十年も経つのに、『スナック・マラカス』で観た映像は今でも鮮明に覚えている。どうでもいいようなことばかりが脳裏に刻み込まれている。


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10代半ばから数々の飲食の現場を経験し、20代半ばで物を書き始める。現在はスパイス料理研究家。1991年『P・AGE・BARA』(大阪府箕面市)開業、98年日替わりインド定食の店『THALI』(三重県松阪市)などなど。お店が大好き。店をやっているすべての人を尊敬してやまない。
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