見出し画像

壁を越えるのは未知の力

「壁にぶつかる」と良く言うが、実際にぶつかっている人はどのくらい居るのだろうか?とふと思った。
本当は「壁」を見て終わっているだけでは無いだろうか?と。
そもそも「壁」と言うと、この場合、高くそびえ立つ強固な石の壁を思い浮かべる人が大半だろう。しかし、物事、出来事、能力には「高さ」と言う概念は無く、所詮イメージである事が解る。つまり、“越えられない”事を具体的かつ抽象的にイメージし、それを言語化したものが「壁にぶつかる」と言う事なのだろう。
僕の人生でも例外なく壁があり、多くの困難と闘い、いつしか乗り越えて今に至っている。
しかし、「壁にぶつかる」状況で、ひたすら何かの技術を磨いたり、繰り返し繰り返し、積み重ね積み重ねの作業によって実際に「高さ」を超えたイメージは無い。
正直言って“なんとなく出来ていた”と言った感じだ。
とすると、壁とは何ぞや?と言う事になる。
僕が思うに、意識の境界線だ。ここまでは出来るけど、ここから先は出来なさそうと言う曖昧な境界線が高い壁としてイメージされるのだと思う。

話を冒頭の「実際にぶつかっている人はどのくらい居るのだろうか?」に戻す。
壁は無く境界線がそこにある。
境界線はぶつかるものでは無いので、境界線の手前まで来て後退する判断を下した状況こそ「壁にぶつかる」なのだろう。
とすれば全員ぶつかってはいない。
目先の事ばかり考えている人と言うのは傍から見ればうまく立ち回っているようでも、この境界線が多くて遠出出来ない人なのかも知れない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?