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「弟の選択」 2年 阿部樹弥

皆さんこんにちは。西田君から指名をいただきました。蹴球部2年の阿部樹弥です。
 
西田のブログを読んで、僕も改めて蹴球部への感謝の気持ちを忘れてはならないと感じました。審判という立場から、学芸を代表して、試合を支える彼は本当にすごいと思います。そんな彼からレッドカードを出されないように、フェアプレー精神をもって、日々サッカーに励みたいです。(笑)
 
始めに、、
 
「みきやってなんで武蔵境の方で一人暮らししてんの?」
 
 これは、僕が大学に入学してから幾度となくされてきた質問です。東京学芸大学の最寄り駅は武蔵小金井か国分寺ですよね。だからふつう一人暮らしをする場合はその近くに住むことを選択するでしょう。しかし、私は武蔵境の方で一人暮らしをしていて、自転車を25分から30分くらいこいで、学校に向かっています。皆さんが疑問に思うのも自然な反応でしょう。この質問にその都度答えるのが面倒なので、この場を借りて、お答えします。
 
 私には4つ上の兄がいます。その兄も大学で東京に来ていました。その後兄は就職して、もしかしたら東京支店になるかもしれないということで、実は私は、初めは兄と二人暮らしをしようとしていました。その家も小金井公園の方に決まっていたんですよね。しかし、直前で兄の就職先は埼玉支店に決まり、東京から通うことは困難になりました。もう家を探す時間もほとんどなかったため、結局私はもともと兄が大学時代に住んでいた武蔵境の方の家を契約更新して、住むようになったのです。
 
これが、私が武蔵境に住んでいる理由です。なかなか複雑な理由があったのです。(笑)
 
長々と前置きをしましたが、本題に入りたいと思います。
 
みなさんには兄弟がいますか?
 
私には、先にも述べた4つ上の兄とその2つ上の姉がいます。つまり私は、三兄弟の末っ子というわけです。私のこれまでの人生を振り返ると、少なからず、年上の兄や姉の影響を受けてきました。特に同じ男である兄の影響は強く受けてきました。
 
そもそも私がサッカーを始めたきっかけは兄がサッカーをしていたからでした。中学では、小学校の途中から通っていたクラブチームのジュニアユースに行くか、部活でやるか迷いましたが、結局兄と同じ中学の部活に入りました。高校でも若干進学先に迷いましたが、結局兄と同じ高校に進学し、同じサッカー部に入りました。進学した大学こそ違えど、地元宮城の教育大学を考えていた私が上京しようと考えたのも結局兄の存在が大きかったです。上京後もバイトで家庭教師か塾講師をやることも考えましたが、結局は兄が大学時代にバイトしていた駅前の中華料理屋でバイトをすることにしました。
 
このように弟である私は、これまでの人生の多くの分岐点で、兄と同様の道を選択してきました。
 
4つ離れているため、兄と直接被ることはないのですが、兄と同じ選択をしてきたことによって、部活やバイトでは「○○先輩の弟だ。」と簡単に名前を覚えてもらい、馴染むことが出来るし、困ったときは兄に相談ができて良いことがたくさんありました。これは弟の特権だと思っています。(笑)
 
そして、私は大学入学とともに再び大きな選択に迫られます。
 
それは、大学でサッカーを続けるかどうかです。
 
私の兄は大学ではいろいろ考えた結果、サッカーを続けない選択を取りました。私も大学でサッカーを続けるか迷いました。しかし、東京学芸大学蹴球部という素晴らしいクラブでサッカーをすることが出来るという私の人生に舞い込んできたチャンスを無駄にしたくない、挑戦したい。そういった気持ちが強くなり、最終的に私は、『大学でサッカーを続ける』という大きな選択をしました。
 
どちらの選択をしていたほうが幸福だったかなど、やり直しのきかない人生に生きている以上わかりませんが、少なくとも私はいま、たくさんの仲間と出会い、本気でサッカーに取り組む毎日に幸せを感じています。これからもこの道に後悔しないように日々全力でサッカーと向き合っていきたいです。
 
自分で選択した道だから。
 
ここまで読んでくださった皆さんありがとうございました。
 
次は後藤健太選手です。会場で魅せる彼のプレーは人々の心を虜にします。今度は文章で、どうやって私たちを魅了してくれるのか、期待せずにはいられません!

#紫志尊々  #jufa #大学サッカー

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