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KIRIKAWA NOTE #01 「店を変えるのか?自分が変わるのか?」

カフェブーム最前線から独立店経営まで。20年に及ぶ豊富な飲食店運営経験から導き出された飲食店経営の醍醐味やチームビルディングのモットー。TGPの飲食部門トップが実体験をもとに綴る飲食店あるある満載コラム。

はじめに

このコラムは飲食店を渡り歩いてきた僕の、小さいながらの成功体験を元に導き出した視点や具体的な政策などを赤裸々にアウトプットしていきます。毎日お店を営業することは、当たり前だけど、簡単じゃないこと。さらに営業時間の中でお客様、そして社員を満足させることは、めちゃくちゃ難易度が高い。でも、目の前でお客様が感動してくれたり、楽しそうに働いている仲間たちを見ると、そんな難易度なんてどうでもよくなる。飲食業はもっともっとリスペクトされるべき仕事だと思う。このコラムが少しでもその役に立てれば幸いです。
             THINK GREEN PRODUCE FB事業部 桐川ヒロユキ

「店を変えるのか?自分が変わるのか?」

23歳のとき、西麻布のカフェレストランの店長に就任した。お店の規模は約40坪80席、1994年にスタートしてピーク期には月商2,200万ほど売り上げていた繁盛店だった。しかし僕が就任した2002年頃の売上は繁盛期の約1/10にまで落ち込んでいた。社内でも新店舗を除き最も低く、唯一の赤字店。西麻布の交差点から距離もあり、ちょうど飲酒運転や路上駐車の取締りが厳しくなった頃だったので、売上も伸びず、働く人間のモチベーションは下がる一方。次第に優秀な人間は辞め、その比重は残ったスタッフにのしかかる。そして僕の就任直後に会社が下した判断はランチはクローズ、メニューは他店とは違い縮小メニューになった。その方針に納得いかない頼みの綱だった料理長も退社、少ないメニューを見て帰るお客様も増加。まさに「閉店を待つだけの店」だった。

実は、この西麻布店以外にも新店含め3店くらいから店長のオファーをもらっていた。しかし尊敬する上司が発した「今の西麻布を復活させたら天才だ」という言葉に踊らされ、西麻布店に立候補したのだった。

店長になるまでは月商9000万のお店で店長代理を務め、苦労はしていたが100人くらいのスタッフのマネージメントもしていたので、なんとかする自信はあった。約3ヶ月でチームを作り、半年後には売上も前年対比クリアするだろうと目論んでいたのだが、、、もちろんそう簡単に行くはずもなかった。

しかし、結果から言うと、就任1年後に前年対比120%(前年はランチもしていたので価値のある120%だと思う)。そこからさらに数ヶ月は前年超え、1年5ヶ月後には前年140%完全に黒字化になり、僕は違う店舗へ異動。後任の店長もそのあとの店長も僕の元部下で、少なくともその後3年は前年超えしていた。

では、どうやって西麻布店を復活させたのか?具体的な方法は今後テーマごとに小出しにするが、まずは僕自身が変わったことが大きかった。チームを作るのも、お店の雰囲気を作るのも、すぐにできることではない。しかし、自分を変えることはすぐにできるのだ。

店長に就任して3ヶ月が経ち、チームは一新され良いメンバーは揃ってきたものの、売上は下がる一方。会社もそれ以上は甘く見てくれなくなり、焦りと苛立ちが出始める。4ヶ月目くらいから本社の統括リーダーが店を頻繁に見に来るが、僕はほっといてくれ状態。でも一向に売上は上がらない。やれることは全力でやってるはずなのにと、さらに肩に力が入る。5ヶ月目くらいから本社の会議で統括リーダーとの言い争いが増える、売上はピクリとも上がりません。無理なのかなあ、と思い始める。

そもそも僕は人に頭下げたくない人間で、人に頼らず自分で突っ走ってきたタイプ。ただ何故かその日の夜、僕は統括リーダーに電話した。一切口も聞きたくないくらい嫌いだったのに。僕は変わりたかったのだ。

「どうしたら売上あがるか教えてください」

初めて自分から頭を下げ、僕は弱々しく聞いた。 返ってきた答えは

「俺にも解らない」・・・・・

はぁーーー!?コイツ俺の3倍以上も給料もらってて、普段偉そうにしてて何言ってんだー!!?と思ったけど、逆に「なんだ、そうか、誰も解らないんだ。じゃあしょうがないよな」と肩の荷がおりた。しかも、上司が素直に申し訳なさそうに話してくれたことで、ちょっと笑った。

その夜から、正解がないならもう好きにやろうと決めた。もちろん会社が決めた予算の中で、である。働く人間、お客様、自分も、とにかく楽しませよう。みんなを喜ばせて、利益も出して、会社も喜ばせてやろうと吹っ切れた。

そこからはこれからの自分の事、みんなのことをちゃんと考えるようになった。何よりも、人に頼ることを覚えた。それがとても大きかった。あの夜は、僕が店長として、人として、変われた瞬間だったと思う。そしてそこから真のチームが出来てきて、先ほどの結果につながったのだと思っている。

他人を変えることは、一瞬ではできない。
でも自分を変えることは、一瞬でできる。


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桐川ヒロユキ

1979年大阪生まれ。十代の頃から料理人を志し、20歳の時に上京。国内外に60店舗を経営する大手外食チェーンに入社。2003年に23歳の若さで西麻布の店舗の店長に就任。右肩下がりだった店舗を復活させたり、月商約1億円150名のスタッフを抱える店舗を回すなど経験を積む。26歳の時に満を辞して独立、渋谷区本町にイタリアンレストランを数店展開。しかしその後、体を壊し全て閉店。実践で培った対応力とマネジメント能力をかわれ、2019年、株式会社THINK GREEN PRODUCEにフード&ビバレッジ事業部の執行役員として参画。趣味はサーフィン。プライベートでは2児の父親。

photo Daisuke Ito (SIGNO)

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「1杯のコーヒーから街づくりを考える」コンテンツ・プロデュース・カンパニー。レストランやベイカリー、ホテルなどの運営から、商業施設開発、不動産コンサル、広告、PRまで。幅広い業務領域を行き来するTGPメンバーによるクリエイティブな視点やアイデア、カルチャーマインドを発信します。
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