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メイドの小物をつくってる話

セーラー服が好きだった

メイド服を好きになったのは、メイドのアルバイトを始めてからだった。
それまではセーラー服を偏愛していて、中学校の制服が夏は吊りスカートで冬だけセーラー服だったから衣替えしても冬服着てたり(怖)高校はブレザーだったけどセーラー服の女の子の絵ばかり描いてた。
空気に乗っかって重たく広がるプリーツスカートが好きだった。
あの艶のある生地も好きだった。

今はメイド服の軽やかなフリルが好きです。
どちらにしろ布が作る質感が好きなんだな。
折られてるだけなのに特別なプリーツと、波打ってるだけで特別なフリル。
ブラウスのタックとかも好きです。
セーラー服よりもメイド服が好きになったのは、よりフィクション純度が高いからな気がする。
メイド服の方がそれぞれが理想を持ちやすいから。ノスタルジックじゃないところが好きです。裏返しにノスタルジックになりうるところも好きです。


メイドさんの小物をつくるのが趣味です

最近メイド小物を作っています。
一応撮影に使いたいとか、販売したいとかあるけれど、本当は何にもならないであろう1点ものの1つ1つを型紙も使わず(つまり再現できない)粘土をこねるように作るのが好きです。
余っている部屋をシェアで借りていて、作業場には他の人がいることもあります。
一緒の部屋で作っているその人の考えるものが、ネタバレになっちゃうので詳細は伏せますが、ことごとくメイドのタブーを犯すようなことばっかりで面白いです。
私は概念系のオタクなので、タブーは犯しませんし犯すならば相当な理屈を作ります。
その人の発想はそんな私を軽々飛び越えていきます。
その人はもともとファッション畑の人で、私は美術畑の人だからなのかなと思います。

隣り合うジャンルの境目

いつだったか又聞きで正確性がないけれど
「ファッションは人が着ればそれで良くて理屈はいらない」的なことをファッションデザイナーの方が言っていて、当時の私にその言葉がとても驚きでした。
それは美術の世界にはないものだったから。
服の流行は繰り返すとよく言うけれど、美術の時間は基本的に不可逆で、進むのみで繰り返しません。
その差はきっと、服は必ず身体を伴うから、身体は老いて必ず世代交代するからかなと思う。
美術は100年後のことを考えているから身体を伴わない。


ファッション〇〇とか、ファッションという言葉そのものに「にわか」的な意味を持たせることもある「ファッション」という言葉の軽率な響きが好きです。
好きなものへの反射神経が衰えそうな時はメイド小物を黙々とすごい速さで作るのが1番いいね。
それをドローイングみたいな感じにして、いつか別のメディアで清書したいです。

そういえば昔通ってた美術系の私塾にファッション系の人が来ていて、その人はファッション界で成功している方だったのだけどファッションはどんなに高値がつくとしても天井があるけど、美術のジャンルは天井が無いから勉強したいと言ってた。
100億とかあるもんね。すごいな資本主義は・・
ファッションとアートって近いけど絶対混ざらない隣人感が良いですね。

隣り合うものについても何か書きたいな。隣り合うものの輪郭をなぞることについて、よく考えるので・・またnoteを書きます。

読んでくれてありがとうございます。おやすみなさい〜

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