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体育会は今、鎖国状態にある

登校してまずすることは、”朝練”ではなく”朝勉”。休み時間は分からない問題を先生に質問するか数学の問題集を解き進める。午後7時には部活を終え、そこから夜遅くまで塾・予備校で勉強する。そんな高校3年間だった。

自分たちよりも上手で多くの時間を練習に費やしているまわりの高校に勝つためにどうするか?

自分たちの答えは「他の学校よりも勉強する」だった。日々の勉強で培った力をサッカーに生かす。もうこれしか自分たちが違いをみせられるところはなかった。「全ては繋がっている。常にアンテナを張り続けろ。」という顧問である大路先生の言葉を胸に努力した。

受験を経て、何とか関西学院大学に入学した。そこで体育会サッカー部に入部し、今まで出会ったことのないほど「サッカーに人生を懸けている」人たちと毎日サッカーができるようになった。上手くいかないことばかりだが、刺激的な毎日を送れている。

しかし体育会に所属して4年目になる今、体育会がいつの間にか外の世界を恐れ、自ら閉ざすような”鎖国”状態になっていることのついて問題意識を持っている。今日はそんな鎖国体育会の現状とこれからについて考えていきたい。

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◉鎖国体育会

このような状況にある原因は主に2つあると考える。

⑴超閉鎖的環境

ここ1週間で、最も多くの時間を過ごした5人は誰か?

同じ部活のメンバーがほとんどではないだろうか?
当然といえば当然である。毎日のように練習し、拘束時間も長い。グラウンドがそもそもキャンパスから離れていたり、寮に入ったりするとほぼ一日中部活のメンバーと過ごすことになる。

このように多くの時間を過ごし、きつい練習を共に乗り越えてきた仲間と一緒にいるのは居心地がいい。気を使わずに済むし、話も合う。絶対に必要な存在である。
しかし4年間を通してこのような環境だけに身を置くことがいいことかに関してはグレーな部分が残る。

⑵お山の大将的マインド

過去を振り返っていただきたい。スポーツが得意ということが要因となって、小・中・高と”チヤホヤ”されてきたメンバーが体育会には多いはずだ。クラスや友達グループにおいても存在感があり、中心的な存在だったと思う。そのような経験が、まるで”世界は自分たち中心に回っているかのような錯覚”を引き起こす。

勉強等で上手くいかなくても自分の競技で結果を残せる負けん気と馬力があるため、未来に対するなんとなくの不安・危機感は持っていても「よくわからんけど、どうにかなるだろう」という思考回路になる。加えてそのような状況下(PDCA?ナニソレ)でも突き進むことのできるパワーと自信が体育会にはある。

そのようなプライドが引き金となり、自分の世界の外側への当たりが強い傾向がある。(例えばサークルの価値を受け入れようとしなかったり。そもそも優劣をつける必要なんてないのに!)


◉このままでは社会から必要とされなくなるかもしれない

⑴,⑵のような閉鎖的環境で得られる情報には限りがある。それに対して今、社会は急激なスピードで変化している。それなのに体育会の中ではのんびりした空気が流れたままなのだ。このままでは時代の変化に取り残され、歴史ある体育会という枠組みが社会から必要とされなくなる日がくるかもしれない。

そうであってはならないのだ。
では、どうするか。

◉自分-競技=?

体育会が4年間をかけて考えるべきテーマは「自分-競技=?」だ。私が考える体育会の未来のありたい姿は、競技力の向上と共に自分らしさを探し、一人ひとりが心の底から応援される集団になることである。

去年の関学サッカー部の4年生で顎の骨を折って長期離脱をして長いリハビリを経て復帰。しかし次は膝の後十字靭帯を損傷してまた離脱を余儀なくされた、そんな先輩がいた。ラストイヤーの年に大きな怪我を二度もしたのだ。しかしその先輩は辛さを何ひとつ見せずリハビリを続け見事再復帰を果たした。この期間先輩は一度もプレーをしていないがそれでも諦めずに努力し、このような苦しい時期にも関わらず誰に対しても笑顔で接する姿に自分たち後輩は心を打たれた。

私たちがよく口にする「人間性」とは「自分−競技」の部分に現れるのだろう。この部分は自分たちにとって不変で、どのような状況・立場でも自分を支える力になる。だからこそ各々が「自分−競技」を探す必要がある。ここに競技が上手いとか、下手とか関係ない。Aチームだろうと、Cチームだろうとやることは変わらない。

先輩の場合、怪我がきっかけとなり自分と向き合うことになったはずだ。しかし誰も怪我などしたくないし、自分でコントロールすることができない。自分と向き合う手段が怪我というのは最適ではない。


◉外の世界の広さを体感しにいこう

現時点で僕たちは自分−競技≒0かもしれないが、ここから外の世界(勉強する・本を読む・人に会う・プロの練習参加・イベントに参加するなど)に学びに出て、何者でもない状態を認めつつ、その状態から自分らしさを時間をかけて少しずつ積み上げていきたい。ここに関しては大学生全員に言えることだと思う。就活の期間だけこのようなことをするのは非常にもったいない。1年生の時から好奇心の赴くままに動いていける文化になれば、と思う。

「知っているか、知らないか」で大きく変わることがたくさんある。
外からの学びと自分の競技やチームを相対化し、接続する。すると改めて自分の競技を好きになれたり、自分やチームに誇りを持てたりする。また逆に全く知らなかった外の世界にワクワクすることもある。

こういう内→外→内→外の循環が生まれ、皆が少しずつ知恵を絞りアクションを続けていけば、自分たちが想像もしなかった体育会へと変わっていく可能性がある。


◉最後に

私は大学スポーツの可能性を信じている。今回、このような挑発的な書き方にはなったが、いち部活の主将として今の体育会に違和感があったことを書いておきたかった。このような課題を少しずつ明確にし、解決していければもっと魅力的でビジョナリーな組織に変われるはずだ。
日本の大学スポーツはこんなもんじゃない。



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藤原 樹

最後までありがとうございました!

実はめっちゃ嬉しいですこれ!
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大学でサッカーをしていました。 今はアトラエという会社ではたらいています。