夢が叶っていない自分は?
夢を叶えようとしている自分、
夢を叶えたいと強く思っている自分、
とてもエネルギッシュで、
希望に燃え、生きている実感を伴うこともあると思います。
いじわるな言葉になりますが、
では、
夢がない自分、
夢が叶っていない自分、
夢を叶えるための行動が伴っていない自分、
そういった自分を
自分がどう思っているのか。
夢を叶えた自分は素敵で、
夢を叶えられていない自分はダメで、
となりがちなのかな、と感じます。
私がそうだったからです。
でも、
夢が叶っても叶えられていなくても、
どちらの自分でも
自分でいたい、と思ったのです。
夢を追うことに疲れたのだと思います。
夢が叶っていない自分でも
自分でいていい、と納得いくのは、
私には難しいことです。
夢 は私には本当に大きくて、
それが叶うなんて、あまりにも素敵過ぎて。
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そして、
少しずつですが、
「夢」の捉え方が変わってきました。
物理的な夢 は引き続き持ち続けていますが、
それだけが夢ではないと思うようになってきました。
夢へ繋がる自分の在り方に誠実に取り組むことも
大事な夢、という感じになってきたのです。
物理的な夢 が本当に望んでいる私の夢だとしたら、
(時に本当に望んでいる夢ではないことを夢と思っていることもあります)
そこに繋がっていく普段の私の 私の在り方そのものが
もう夢の始まり、もしくは夢の途中なのではないかな、と
思ったのです。
今、これを書きながら、ふと思い出しました。
本当に夢を叶えたかったら、
もうすでに夢が叶った自分でいなさい、という言葉と
親和性がありそう、だと。
自分の目の前に起きてきた現実、
自分で自分の起こした現実、
どちらにせよ、
今、自分の目の前の現実に
誠実に私で在ること、を
いつも私は私に求めていたのかもしれません。
それは、
物理的な夢を叶えるには関係ないような印象を持たれるかもしれません。
関係ありとしても
関係なしとしても
どちらでも正解かと思いますが、
私の好みとして、
私の在り方 と
夢の叶え方 は 同じ、
という捉え方に
トキメキのようなものを感じます。
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