劇団四季「オペラ座の怪人」と舞台装置と〈構造〉について。(※ネタバレ注意)


「オペラ座の怪人」は、世界中で翻訳または改変され、映画、舞台、ミュージカルなどの種類を問わず、さまざまなメディアを通して世に表れた。
オペラ座に巣食う怪人の、歌姫クリスティーヌへの倒錯した愛情表現が主軸となり、その破滅を描いた、と書けばどの脚本にも共通したものとなるだろう。
先日、劇団四季「オペラ座の怪人」を観てきた。役者の演技や歌のみならず、その舞台装置や美術の精巧さに圧倒された。これらの舞台装置は、この物語をまさに立体化させ、物語内部の〈構造〉を見事に視覚化していた。その点について、今日は書きたい。


「/」としての隔絶する檻、鏡、仮面

怪人が最初に姿を表すのは、クリスティーヌの楽屋の鏡の中だ。仕掛け鏡になっているようで、観客の目には鏡としか映らないが、ある瞬間、怪人の顔がうっすらと表れ、クリスティーヌは鏡の扉を通して地下へと導かれる。
怪人の人生はまさに隔絶から始まる。
彼の悍ましい外見は母に嫌い抜かれ、見世物小屋に売り飛ばされた後、脱走しオペラ座の地下に逃げ込んだと、バレー教師のマダム・ジリーは語った。
檻を隔てて、”観る者”/”観られる者”の後者として育った彼が、その関係を打ち壊すには、そしてそのコンプレックスを覆すためには、5番ボックス席から仮面を通して”観る者”の位置に収まることでしか実現しなかったのだろう。
舞台の左端に置かれる5番ボックス席は舞台よりも高く置かれ、役者もそこに立つことができる。
鏡もまた、怪人とクリスティーヌを隔てるものとして機能し、また「音楽の天使」としての怪人はこの鏡を通して、クリスティーヌの声楽教師として関係を作った。
檻とは確かに外界との関わりを隔絶し、自由を妨げる物ではあるが、一方で、その内部にいるものを守るものでもある。人間の世界では虐げられるはずの怪人は、檻に、鏡に、そして仮面に守られ続ける存在でもあったのだ。
檻はさらに、その内部のものを外界と隔絶するが、声だけは双方の世界を結ぶ架け橋となる。
怪人はクリスティーヌの声を仮面越しに聞き、そしてその仮面を通して幾度も「クリスティーヌ!」と名を叫ぶ。
自分の醜悪な外見を隠し、自分のプライドを守るために仮面を外すことのできない怪人は、地下の世界で「俺のために歌え」とクリスティーヌに叫び続ける。(もちろんこの叫びは曲に乗るわけだが、怪人の叫びに応じて歌うクリスティーヌの高い音程の歌はもはや悲鳴にも聞こえる。歌と、悲鳴と、エクスタシーにともなう叫びの共通点はまたおもしろい観点でもある)
仮面を通してしか関係を作ることのできない怪人は、クリスティーヌを「所有物」として、冒頭から登場する猿のオルゴールと同じく、声を通して命令することでしか歌わせることができない。
仮面を無理やり剥がされた怪人は、クリスティーヌに「呪われろ」と呪詛を叫ぶ。「殺してやる」というような、直接的な加害を加えることはやはりしない。彼はクリスティーヌに叫び続けることしかできないのだ。
怪人は声を通してしかクリスティーヌとの関係を維持できないことは、クリスティーヌが怪人の名を呼ぶこともできない状況からも明らかだ。
怪人は、常に他者との関係を観る者/観られる者、聞く者/歌う者という隔絶された関係でしか実現できない。「/」としての仮面を外さない限り、クリスティーヌとの隔絶を解消することはできない。その点で言うと、仮面を外すのは常にクリスティーヌだ。しかしその「/」を自ら外すことができない怪人は、クリスティーヌを呪うか、突き放すしかないのだ。

頭上、地上、地下という多層〈構造〉


地下への導きを表す舞台装置は、よくぞ考えたというようなものであった。おそらくだが、吊り下げられた階段状の装置が、右から左へと移動する役者に合わせて、その傾きを変えるのだ。右から左へと移動する場合は左に傾き、左から右に移動する場合は右に傾く。
この舞台ではこのような立体的な装置が随所に組み込まれている。
5番ボックス席、シャンデリア、クリスティーヌの父親の墓、そして首を吊るロープ。クリスティーヌとラウルの婚約を聞いた怪人がシャンデリア上から表れた際には、観客席から悲鳴があがった。
怪人は常に、クリスティーヌがいる地上の世界を上、もしくは下から眺めることしかできない。
怪人が地上に現れるのは、登場人物たちによって行われる仮面舞踏会のシーンだけだ。舞台中央に置かれた階段上で、役者たちは楽しげに歌い騒ぐ。誰が誰かわからないこの余興を楽しんだのも束の間、怪人は階段の一番上から姿を表す。
5番ボックス席やシャンデリから現れる怪人は、全ての人が仮面をつけてている仮面舞踏会ではじめて、頭上と地上を結ぶ階段を通して現れるのだ。
このような多層性は、先ほどの地上と地下の関係でも同じようなことが言える。
頭上から眺めることしかできない怪人は、その醜さゆえに地上で「普通の人々」と暮らすことはできない。だからこそ、クリスティーヌを地下へと導く。クリスティーヌと同じ目線を共有するには、怪人が地上へ現れることではなく、地下へとクリスティーヌを招き入れる必要があった。
怪人、クリスティーヌ、ラウルの関係が端的に現れるのは、クリスティーヌが父親の墓を訪れるシーンだ。
父親の墓の側で嘆くクリスティーヌの背後から、舞台中央に大きく、そして高い位置に設置された父親の墓から怪人は現れ、そこにクリスティーヌの元に駆けつけたラウルが現れる。
中央の高台に怪人、その下の舞台上の左にクリスティーヌ、右にラウル。
わかりやすくも三角関係が、観客の前に現れる。地上で目線を共有するクリスティーヌとラウルの恋が成就するのは、ここでは必然の如く予感させてしまう。それはこの墓が大きく、高く設置されたことで表現される。
地下に攫われたクリスティーヌがいよいよ結婚を迫られるところで、ラウルが助けにやってくる。しかし、そこで怪人は首吊りロープをラウルにかける。
地下での平穏は、ラウルを釣り上げ、締め殺すことで初めて得られる。
「俺を嫌えばこいつを殺すぞ さあ選べどちらか どうする?もはや退けないぞ」
と叫ぶ怪人に、クリスティーヌは近づき、仮面を剥ぎ取った上でキスをする。これは怪人にとって初めての経験でありまた、それは初めて地上にいるべき人間と同じ目線を共有した瞬間であっただろう。
初めて怪人の素顔を目にしたクリスティーヌは、その時点では恐怖しか覚えていなかったが、この最後のシーンにおいて、そこにあるのは哀れみであった。
「絶望に生きた 哀れなあなた 今見せてあげる 私の心」
哀れみという、弱者に対して向ける視線をクリスティーヌは向ける。
オペラ座の怪人として恐れられた姿は消え、そこにはただクリスティーヌとラウルの愛に負けた敗者がいるだけだ。
二人して出て行け 独りにしてほしい 
あの舟に乗れ 何もしゃべるな 誓うのだ
この地獄の秘密のすべてを
行け、行ってくれ お願いだ!」
「歌え」と命令できる怪人は死に、お願いする。
「我が愛は終わりぬ 夜の調べとともに」
怪人は力無く、据え置かれた椅子に倒れ込む。
その後、布を自らに覆う。
地下に雪崩れ込むオペラ座の従業員たち。
布を剥ぎ取ると、そこにはもう怪人の姿はなく、ただ仮面だけが置かれている。
怪人はクリスティーヌ、居場所、そして仮面を失い、姿を消す。
クリスティーヌによる哀れみ(勝者から敗者に向ける哀れみ)は、彼を地下よりも深い場所に身を置くこととなる。
エンジェルオブミュージックとして、シャンデリアよりもっと高いところにあるはずの天界の使いとしてあった彼はもはや、地下よりもっと深い場所、地獄の業火でやかれるしかないのだ。

終わりに

拙い分析ではあったが、ここまで舞台装置と物語がリンクしているものなのかという感動が、僕の口と筆を動かしました。ぜひ一度、ご覧ください。



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