「なぜ裏切ったのか言いなさい」第2話

 さっきまで、どこか心地よかった校舎裏の空気が、一瞬でよどんだような、トーコはそんな錯覚を覚えた。
 相馬レミは意地の悪い笑顔を浮かべながら、トーコの前に立つ。
「どうなるか気になったから、観察していたけど、つまらない解決法をするものね」
「つまらないって何よ」
「ケチ臭いイジメっこなんか追いかけて、殴り倒して勝ち誇って、つまらないでしょう?」
「イジメをやめさせようとする事の何が悪いの?」
 楽しいかどうかで選んでるわけではない。そうするべきだと思ったから止めただけだ。
「あなたって相変わらずまじめね。もちろん悪い意味でよ」
 そう言って、相馬はにやにやと笑う。
「あの……誰、ですか?」
 田所は急な闖入者に怯えながらも、相馬に問う。
「ふふふ」
 相馬は変な笑みを浮かべるだけで答えない。
 トーコは相馬を睨む。
「そもそも、どの面下げて私の前に出てきたの?」
「何の話?」
「だから、五年前に……」
「あー、それはダメ」
 相馬は急にトーコの話を遮る。
「今日は昔話はしないの。そういうのはまた日を改めて話しましょう」
 相馬はそう言って今度は田所の方に近づく。
「なんで出てきたのかっていうとね、もう心配する必要はないって言いに来たのよ」
「心配?」
 田所は、むしろ相馬の存在に不安を抱いているように見えた。
「あの三人が復讐に来るかもしれないと思ってるでしょ? でも大丈夫。三人はさっき転校したから」
「えっ? 何の話?」
「知らないの? 転校っていうのは、二度とこの学校に登校して来なくなるっていう意味だけど?」
「えっ……」
「だから、二度と登校してこないのよ」
 相馬は何かを取り出す。サプレッサー付きの拳銃。田所はそれを見て目を白黒させる。
「これ、何? おもちゃ?」
「本物よ」
「えっ……」
 田所は慌てて後ずさる。相馬はニヤニヤ笑いながら距離を詰める。
「何? ショック受けてるの? 撃ち方は授業で習ったでしょ?」
「ヤダ、転校って何なの? 殺したって事?」
「だから転校って言ってるでしょ」
「そんな……」
 田所はその場にうずくまり、
「うっ、うえええええっ」
 倉庫の壁に手をついて泥水を吐いた。相馬はくすくすと笑う。
「あら? こういうのは刺激が強すぎた? そろそろ慣れないと、ここじゃやっていけないわよ」
 トーコは慌てて田所と相馬の間に割って入る。
「相馬、どういうことなの?」
「何がおかしいの?」
「私が在学中の頃は、校内で撃ち合いなんかしなかったわよ」
「あなたが気付いてなかっただけでしょ? 年に数回はあったよ。急に生徒が消えること」
「は?」
「いや。霧江ちゃんが退学した後から治安が悪くなったんだっけ? ま、なんにせよ、ここ数年はこんな感じだから」
「そんなわけない……」
 トーコは反論しようとして、自分の声が震えていることに気付いた。
 転校、という言葉が奇妙なニュアンスで使われているのは、記憶にある。どこかのクラスで、数人が同時に転校したと噂を聞いた事もあった。
「というわけで、お帰り霧江ちゃん。時間がある時に昔話をしようね」
「……」
 トーコは何を言えばいいのかわからず、髪をなびかせて歩き去る相馬を見送るしかなかった。

 相馬に関しては今は何もできそうにない。田所の方を見る。
「田所さん、大丈夫?」
「は、はい……」
 吐き気が残っているのか、田所は真っ青な顔で口と胸を押さえていた。
「霧江先生。その子を保健室に連れて行ってあげなさい」
 倉橋が言う。
 まだいたのか、とトーコは言いそうになった。さっき須藤を無理やり連れて行かれた時に、一緒にいなくなったと思っていた。
 しかし、言うことは正論だ。
「わかりました」
 トーコは答え、腕時計を見る。既に昼休みは終わっていた。
「あっ……午後の授業が……」
「授業の事は気にしなくていい。たぶん既に代理の教師が派遣されているはずだ」
「はぁ?」
 奇妙なまでに手際がいい。戦地で戦っていた傭兵部隊でも、ここまで手際はよくなかった。
 学生だった頃はなんとも思わなかったけれど、ただの民間人の組織とは思えないほどの連絡速度だ。
「倉橋先生。相馬レミについて何かご存じですか」
「ああ、それは……いや……」
 倉橋は何かを言いかけた後、後ろめたそうに目を反らす。
「あいつには関わらない方がいい」
「どういう意味ですか?」
「あくまで噂だが、相馬は校長と繋がっているらしい。教職員でも手出しができないんだ」
「そんなこと、ありますか?」
「あるんだよ、ここは普通じゃないから」
 倉橋は何かを恐れているようにも見えた。
 トーコは、全く納得いかなかったが、とりあえず田所を保健室に連れていくことにした。

 五年前。まだ学生だった頃。ある夏の日、トーコは校舎裏に呼び出された。
 蒸し暑い空気、どこかでセミが鳴いていた。
 相馬レミは、倉庫に背中を預けて、ぼんやりと空を見上げていた。
「なんでこんなところに呼び出したの?」
 トーコが問うと、相馬はつまらなそうに言う。
「他の場所だと問題が起こるからよ」
「問題って何?」
「例えば会話を、そこらの教師に聞かれるとか?」
 相馬は冗談めかして言う。
「そんな話、しない方がよくない?」
 トーコが呆れたように言っても、相馬は聞こえなかったかのように話を始める。
「霧江は、この学校の外に出たいと思った事はある?」
「外? ないけど」
「なんで? あんた思考停止してんの?」
 相馬はバカにしたように言う。トーコはため息をついて、相馬の隣の壁に背を預ける。
「外の話をするのは、なんか禁止されてるでしょ」
「校則にはそんなこと一言も書いてないけど?」
「書いてなくても、そんな話してたら先生に怒られるでしょ」
「何それ。あなたマジメちゃんだったの?」
 相馬のバカにしたような物言いが続いて、トーコはさすがにムッとした。だが、事実ではある。
 自分はなんで、そんな曖昧なルールに従っているのだろうか。トーコは考え、ふと気付く。
「怖いから、かも」
「何が?」
「わからない。相馬は怖くないの?」
「怖いとかどうでもよくない? 人が強者に逆らうのは、それより大切な物があるからでしょ」
 相馬は反動をつけて壁から背を離し、数歩前に歩く。
「まあ、私には大切な物なんてないんだけど」
 ふふふ、と自嘲気味に笑いながら相馬はトーコの方を振り向く。
「私だって、大切な物なんかない」
「……そう? そうかもね。あなたは本当にそう思ってるのかも」
「何それ? さっきのは嘘? 相馬には、大切な物があるの?」
「教えない。今日、暑いわね」
 相馬は言って何かを指さす。さっきまで相馬が寄りかかっていた所。クーラーボックスが置かれていた。
「このクーラーボックス、どこで手に入れたの?」
「忘れた。そこらに転がってる物は全部私の物よ」
「それって泥棒じゃない?」
 相馬は答えず、無言でクーラーボックスを開ける。中には冷却用の氷とペットボトル飲料が数本。その中から二本を引っ張り出して、一本をトーコの方に差し出してくる。
 トーコはあまり考えずにそれを受け取る。
「飲んだら共犯よ」
「そうね」
 トーコは特に躊躇わず、キャップを開けて中身を一口飲む。どこかべたつくオレンジの味が口の中に広がる。
「いい度胸ね。私と一緒に地獄を見る覚悟があるなんて」
 相馬はクーラーボックスを閉めると、自分の分をごくごくと飲み始める。
「一応聞くけど、どこから盗んだの? そんなヤバいの?」
「秘密。万が一の時のお楽しみよ」
「そういうの、共犯者って言えるの?」
 トーコの質問に相馬は答えない。勝手に話を変える。
「もし外の世界に行ったら、何をしたい?」
「それは卒業した後にどこに行くかって事?」
「私は海が見たい。海って知ってる? たくさん水があって、向こうが見えないぐらい広いんだってさ。本で読んでも画像で見ても信じられない」
「そうなんだ」
 トーコは適当な返事をした。なぜか急に意識が飛びそうになった。今日の気温のせいだろうか。
「どこに行ったって同じよ。空は青いでしょ」
「場所によっては七色に光ったりするらしいわよ。オーロラとか」
「知らない」
 視界がぐるぐる回りだす。
「学校の外に何があるのかは、知ってる?」
「……町とかのこと?」
「そうじゃなくて、アレとか」
 相馬が何を指さしているのかは見えなかった。たぶん、学校の敷地のすぐ外にある建物だろう。校舎よりも大きいのに窓がない、不自然に白い建物。
「知るわけ、ないでしょ」
「そうね。あなたは知らない。知らないままでいいの。おめでとう」
「おめでとう? 何が?」
 世界がうわんうわんと鳴っている。そんな中で、相馬の声がやけにはっきりと聞こえた。
「……あなたはこの学校を退学できるのよ」
 そこで視界が暗転した。

 〇

「で? その後どうなったんだい?」
 ジェイクは、朝食のパンに苺ジャムを塗りながら聞く。
 セーフハウスの食卓を囲んで、トーコはジェイクに昔話をしていた。
「この前話したでしょ。コンテナ詰めにされて出荷されたのよ」
 トーコにとっては思い出すだけでも嫌な記憶だ。
「相馬が何かしたのかな」
「あの時の飲み物に睡眠薬が入っていた。そう考えるのが自然ね」
 トーコは行ってコップに注がれた牛乳を飲む。
「相馬は、最後に言ったんだよね? 「退学」と」
「ええ。間違いない「転校」ではなかったわ」
「それは何の違いが?」
「わからない。退学できるって、どういう意味? なんでおめでとう?」
「ふつうはネガティブな意味だと思うけどね、退学って」
「逆に相馬にとってはポジティブな意味だった? 学校を辞めたいって思うこと、あり得る?」
「そりゃあるさ。僕だって毎日嫌々通ってたよ。まあ、仕方なく卒業まで通ったけどさ。本気で嫌な人は途中で辞めちゃうかも」
「でも相馬は、退学するどころか、書類偽造か何かで入学しなおしてるわよ。おかしくない?」
「自分の意思で学校を出ていくことができないのかな?」
「そうだとして私を退学にした理由は?」
「それは……本人に聞くしかないな。でも何かメリットがあるんだろう、例えば……学校をやめる前にお金が欲しかったとか?」
「お金ねぇ。相馬は、私を売り払っていくら受け取ったのかしら」
「さあね。仲介業者にもよるけど、かなり中抜きされると思うよ」
「じゃあ、お金の問題じゃないのかな。先に私を送り込んで、うまくやれていたら、そのやり方を真似するつもりだったとか?」
「それなら、五年もモタモタしていた理由がないな」
「じゃあなんだって言うの?」
「自分自身を退学させることはできないのかもしれない。つまり、自分の代わりに業者と取引してくれる協力者が必要だったり?」
 ジェイクは、この案どう? と言いたげに微笑む。
「あの時に私がそれを頼まれたら、たぶんやったと思うけど……その確信が持てなかった?」
「かもね」
 トーコはふと気になって聞く。
「ねえ。私、この学校に来る前はどこで何をしていたんだっけ?」
「いや。僕に聞かれてもわからないよ?」
 ジェイクは困ったように言う。
「じゃあ、あなたは? 傭兵になる前はどこで何をしていた?」
「前にも話さなかったっけ。アメリカのしょうもない田舎の高校に通っていた。平和な場所だったよ」
「いいじゃない」
「まあ、平和って言うのは……力だけが自慢のバカがいっぱいいて、そいつらに逆らったり目だったり妬まれたりしなければ、って意味だけど」
「それはそれで居心地が悪そう。ここの学校と似てるわね」
 トーコがクスリと笑うとジェイクは心外そうな顔になる。
「いやいや。イジメとかケンカはあったかも知らないけど。少なくとも銃撃事件なんて起こらなかったよ。アメリカをなんだと思ってるの?」
「ニュースだといつもそんな感じじゃない?」
「そんな事ないって。仮に銃撃事件があったなら警察が来るよ。人が死んでるのにニュースにならないし警察も来ない。絶対おかしいよ」
「……日本の学校は、閉鎖的なのよ」
「死人が出てもそんな反応するかな? それは組織の体質じゃなくて個人の異常性だと思うけど」
「なら、この学校には異常者が集まってるのかもね。校長から教職員まで、全員が異常者。そこで育てられた私も異常者」
 トーコは投げやりに言った。
「別に君が異常者だなんて言ってないよ。言ってない、けど……。でも学校に対する認識はちょっとおかしいよ」
「そうかしら?」
「っていうか、その三人は本当に死んでるの? 相馬がそう言っただけで死体は確認してないんでしょ?」
「……そうね」
 トーコは返答を濁した。確信はないが、死んでいてもおかしくないと思っていた。須藤が連れていかれる時のあの様子。軍機を犯して銃殺刑に引きずられていくみたいだった。
 もし他の三人が生きていたとしても、碌な扱いは受けていないはず。
「それに、海を見たことがないって何? そんなに見たけりゃ、自分で行けばいいじゃないか」
「それは無理よ。学校の外に出るのは禁止されてるんだから」
「全寮制だとしても、夏休みとかあるだろ?」
「夏休みって何?」
「何って……何を言ってるの? 学校の話だよね? あ、日本はアメリカとは学年の更新が違うんだっけ? いや、でも、長期休みはあるはずだよ? さすがにクリスマスとかは家に帰るよね?」
「クリスマス? 寮でパーティーをしたような記憶はあるけど……」
「そんなわけないだろ。戦地に派遣されてる軍隊じゃあるまいし」
「いや、でも……」
 トーコは何とか反論しようとして、ジェイクが妙なことを言っているのに気づいた。
「家に帰るって、何? 私にも家とかあるの?」
「いやいや。何を言ってるんだい?」
 ジェイクは驚いたように首を振る。
「そんな驚く所? 傭兵部隊にだって、帰らない人が多かったでしょ」
 ジェイクもその一人だ。
「それは、帰らない事を選んでるだけだよ。僕だって実家はあるよ」
「選ぶ?」
 トーコには、そんな選択しは与えられなかった。
「もしかして、あの学校っておかしいの?」
「……最初からそう言ってるだろ」
「それともおかしいのは私?」
「どうだろう。話し合う余地はあるかも」
 ジェイクは、少し遠慮がちに言う。
「相馬は学校が異常だと知っていたから、退学したかった?」
「かもね」
「けど、私からしたら、相馬より酷い異常者なんて想像できないわよ?」
「まあ、それは同意するけど」
 ジェイクはため息をつく。
「そういえば、君は故郷に帰ってきたけど、家族に会ったりしないの?」
「……家族?」
 今朝はジェイクがわけのわからないことばかり言う。
 トーコも、それぞれの言葉の意味は知っている。だが、自分やあの学校に繋がる感じがしなかった。

 無機質な灰色のコンクリート、飾り気のない地下室、暗闇。
 正面から強い光を当てられていて、室内がどうなっているのかは見えない。
 どこかで換気扇が回っている音。そして聞こえるか聞こえないかぐらいの音楽。
「……」
 須藤翔子は、その部屋の中央で、椅子に拘束されていた。手足はベルトで固定され、頭にはコード付きの電極を数十個も張り付けられて、身動きすら許されない。
 ここに拘束される時に見えた限りでは、室内に何か役立ちそうな物はなかった。何かの拍子に拘束が解けても、何もできないようにするためだろう。
「くそぅ……」
 ここから出たら、田所を殺そう。須藤はそのことばかり考えていた。
 いや、田所を殺すのはきっとそこまで難しくない。ただ、普通に近づけばあの教師が妨害するだろう。
 霧江トーコ、やつを殺さなければならない。
 人がいない間に逃げ出そうという試みは、とうに諦めた。どれほど引っ張ったところで拘束のベルトが外れない。次に誰かが来た時、油断するのを待って、脱出する。
 当然、その相手も殺すか無力化する必要がある。
「くそ、やってやる。殺す、全員、殺す……」
 ガタリ、と横の方でドアが開く音がした。
 誰かの足音が近づいてくる。自分をここに連れてきた男たちとは違う、軽やかな足音。
「元気にしてる……わけないか。とりあえず生きてる?」
 部屋の壁際を歩くように遠回りで回り込んでから、正面から照らされる光の中に入ってくる。
「聞こえているんでしょ? 須藤翔子さん?」
 声と影で女生徒だとわかった。けれど、逆光で顔が見えない。
「あ、ああ」
 須藤はできるだけ弱っているような声を出す。油断させて隙を突いて、拘束を解かせなければ……。
「よかった。まだ生きてる。もしかして喉が渇いてるんじゃない?」
「ううう……」
 須藤はうめくしかない。
 この部屋では時間の感覚がなくなるが、たぶん一日ぐらい時間が過ぎている。その間、飲まず食わずでずっと拘束されていた。
「飲み物なら持ってるわよ。温まっちゃったけど」
 少女は近づいてきて、右手を拘束していたベルトを外してくれた。そしてその手に、ペットボトルを握らせてくる。
「蓋開けてあるからね。こぼさないでね」
 須藤は素直にそれを飲んだ。一日ぶりの水分。温度は温いし、雨上がりの埃みたいな味がしたけれど、水は水だ。
「ふーん、これそんなにおいしい?」
「……」
 須藤は答えなかった。頭の中の冷静な部分が、これは田所に無理やり飲ませた泥水に近いものではないか、と警告を発していた。
 だがこれを拒絶したら
「栄養剤の注射もあるけど、どうする?」
「……お願い」
「はいはい。ちくっとしますよー」
 少女は左側に回り込んで、須藤の左腕を何かで拭いてから注射を突き刺す。
「……よしっと。絆創膏張っとくから、はがさないでね」
 割と丁寧に治療された。こいつはそこまで悪い人ではないのかも、と須藤は思う。襲うとしても、多少は手加減してもいいだろう。
「ねえ。工藤たちはどこで何やってるの? 私と同じように他の部屋で捕まってるの?」
「工藤たち? あの三人のことなら、殺されちゃったわ」
「は? なんでよ……」
「殺されたんだから仕方ないでしょ」
「誰が殺したの?」
「霧江先生よ。銃でパーンって一発。悲鳴を上げる暇もなかったわ」
「そんな」
 肝心な時に逃げ出した臆病者たちだが、何も殺すことはないだろう。それを、いとも簡単に……。
「きり、え……」
「他に何か知りたいことはある?」
 叫びそうになるのを押させる須藤。それを少女は特に気にも留めずに言う。
「ここは、どこなの」
「生徒指導室よ。知ってるでしょ」
「あなたは、誰?」
「教えない。けどあなたの味方だと思ってくれていい」
「私をここから出してくれない?」
「それはダメよ。下手したら私が殺されちゃうから……」
「じゃあ、何だったらしてくれるの」
「逃げたかったら自力で何とかしてね。私はこの部屋を出たら、別の場所でアリバイを作る。だから逃げるとしても、一時間ぐらい待ってくれると助かるわ。あ、お菓子食べる?」
 須藤が返事をする前に、口の前にチョコバーが突き出された。
 須藤は何も考えずにそれを齧る。一口齧ってから何か嫌な予感がして動きを止めた。
「これ、何?」
「購買で売ってるのと同じやつだけど?」
「……」
 須藤は無言で少女を睨む。
「どうしたの? 毒でも入ってると思った? なら吐き出したら? さっきの泥水も一緒にさ……ふふふ」
 少女は楽しそうに笑うと、視界から消えていった。
 須藤の背後で扉を開ける音。
「吐いても意味ないよ。ヤバいのは注射の方だから。じゃあね?」
 重い音を立てて扉が閉まる。
 自力で逃げろと言われても、どうすればいいのか。
 須藤は首をめぐらせて、自分の右手を見下ろした。まだペットボトルを、握っている。拘束のベルトも外されたままだ。
「くそっ」
 うっかりなのか、わざとなのか……。須藤は左手を固定するベルトを手探りで外す。そして両足を固定するベルトも外す。
「はぁ」
 須藤はよろよろと立ち上がって胸を抑えた。
 さっきから心臓がドクドクと音を立てている。注射の影響だろうか。けれど不快ではない。むしろ気分が高揚してくる。
 扉を開けたら廊下。そこには人が倒れていた。須藤をここまで引きずってきた男の一人だ。死んでいる。
「……」
 そういえば、こいつも殺したかったな、と思ったけれど、もう死んでいるのでどうでもよくなった。
 なぜか死体の足元に拳銃が落ちている。須藤はそれを拾い上げた。使い方は知っている。この学校は、なぜか射撃の授業があるのだ。
 地下室は暗いが、少し離れたところから光が射し込んでいる。外だ。
「ふ、ふふふ……。殺すぞぉっ!」

「校内に不審者が入り込みました。生徒の皆さんはその場を動かないでください。教職員はパターン4で対応してください」
 授業中に、校内放送から急に物騒な言葉が流れてきて、トーコは信じられない思いでスピーカーを見上げた。
「何それ?」
 本当に不審者が来た時に、放送でダイレクトに不審者呼ばわりするのは、怒らせるだけだからやめた方がいいのでは、とも思った。
 授業中だった生徒たちは、ざわざわと騒ぎ始める。
 トーコは生徒の一人に聞いてみる。
「こういう事ってよくあるの?」
「え? 初めてだと思いますけど」
「そうよね」
 銃撃事件、とは限らないが、本当にそんな事件が起こるとは。
 戦闘になるなら自分も現場に行った方がいいのか、と考えて、そもそも自分も職員の一人であることに気付く。
「待って? パターン4って何? 私そんな説明受けてない」
 トーコが戸惑っている間に、スピーカーが次の放送を始める。
「霧江先生。お客さんが来ています。至急、校長室まで来てください」
「……」
 お客さんとは何だろう。不審者を示す隠語か何かだろうか。
 どう考えてもろくでもない状況だっが、トーコは従うことにした。
「自習にします。全員大人しくしているように」
 トーコが命じて教室を出ていこうとすると、生徒の一人が言う。
「不審者がここに来たらどうするんですか?」
「生徒はその場を動くなって言われたでしょ? パターン4を知っている他の先生が来たら、それに従って……」
 避難誘導とかしないのか、と思ったが。もうトーコが自分で何とかした方が早いような気がした。

 教室を出て階段を駆け下りる。
 職員室があるのは一階。一階の廊下に出て……トーコは足が止まった。須藤がいた。
「あ、霧江じゃん。ちょっとおまえを探してたんだけど」
「そうね。私も人を探していた」
 トーコは須藤の手元を見た。オートマチックの拳銃が握られている。
「須藤さん、その拳銃で何をするつもり?」
「おまえを殺すに決まってんだろ!」
 須藤は叫び、トーコに拳銃を向ける。
 銃声。廊下の窓が割れた。着弾点はトーコからだいぶ離れていたが、念のためトーコは壁の陰に隠れた。
「須藤さん、やめなさい」
「やだよ。おまえを殺すんだ!」
「私に戦いを挑むのも辞めてほしいけど、銃を振り回すのは絶対ダメ」
「正論でごまかされると思うな! 自分が殺されたくないからそんなこと言うんだろ!」
「銃って言うのはね、狙った物以外に弾が当たる事もあるのよ」
「だから何よ! たくさん撃って、狙った物に一発でも当たればそれでいいじゃない!」
「あなた、何かおかしくない?」
 トーコとて須藤をよく知っているわけではないが、ほんの一日で、性格が変わってしまったような気がする。
「おまえを殺したら次は田所よ。田所はどこよ? 教室だっけ?」
「どこだとしても同じよ。行かせたりしない」
 今の須藤が教室に行けば、途中で周囲の生徒が何人も誤射されるだろう。もちろん田所が殺されるのを容認する気もない。
「じゃあ何? 先生が私を殺すのか? 舐めやがってぇ!」
 駆け寄ってくる足音。目の前に突き出される拳銃。それを握る腕をトーコは掴んで引っ張った。
「えっ?」
 須藤は、間抜けな顔でバランスを崩して倒れる。
 倒れた衝撃で人差し指が引き金を引く。銃声。銃弾が近くの壁をはねた。
 トーコは拳銃を掴み、須藤の右肩を踏みつけた。
「ぐぁっ?」
 悲鳴を上げる須藤、手の力が緩む。その隙に拳銃を奪い取った。
「なんで? なんで? 私拳銃持ってたのに負けるの?」
「じゃあ、なんで素手の距離まで近づいたの?」
「おまえが壁の裏に隠れてるから!」
 須藤は床に転がったまま、八つ当たりのように叫ぶ。
「隠れたらいけない理由でもある?」
「舐めるな! 私はおまえより強いんだ!」
「どっちでもいいから、大人しく生徒指導室に戻りなさい」
「誰があんなところ戻るか! 死んだ方がましよ!」
 何か様子がおかしい。ただ反抗的、と言うだけではないように見えた。
「あなた、生徒指導室で何があったの?」
「人を閉じ込める側の奴に言った所で何がわかる?」
「あのね……」
 来たばかりだから何も知らない。トーコはそう言おうとしたが、言葉が出てこなかった。在学中ですら、その辺りの事は全く知らなかったのだ。
 須藤は叫ぶ。
「もう私は拘束できないぞ! 生徒指導室のクソ教員どもは全員死んでるんだからな!」
「あなたが殺したの?」
 須藤の体がびくりと震えた。かすかな銃声が聞こえた。
 音がした方を見ると、相馬がいた。銃とサプレッサーが一体化したようなライフルを構えていた。
「期待外れね。ま、急ごしらえならこんな物かしら」
「あ、あ、あ……」
 須藤は震えながら、途切れた悲鳴のような声を上げる。腹部から出血していた。
「相馬? あんた何を……」
 トーコが慌てて止めようとするが、相馬はもう一発撃った。須藤の体がまた震えて、今度は一ミリも動かなくなった。
「相馬、待ちなさい。何やってるの! なんで殺したの!」
 トーコが叫ぶと、相馬は平然と答える。
「武器を持って暴れていたのよ。無力化しないと危ないでしょ」
「私が拘束に成功していたでしょ! 殺す必要なんてなかった!」
 仮に凶悪犯罪者だとしても、手錠か何かを使えばよかった場面だった。
「武器を持って殺しに来た人間は殺す。当り前じゃないの?」
「そう、だけど……」
「ましてや一回脱走してるんだから、拘束なんて意味ないわ。っていうか、生徒指導室が補充されるまでは拘束できないから、殺しまくるしかなくなっちゃったじゃない? 見せしめに校則違反者を何人か殺しておく?」
「相馬ぁ!」
 トーコは拳銃を相馬に向ける。相馬は手を盾にするように見せた。
「どんな理由で撃つの? 私は暴れてないわよ。もしかして、見せしめの一人目が私ってこと? 校則は守ってるけど?」
「銃刀法って知ってる?」
「それは法律ね。今のあなたも守ってない」
「……」
 トーコは気をそがれて、銃を持った手を下す。
「そして校則じゃないから守る必要もない。学校ってそういう所よ」
 平然と言ってのける相馬。トーコは困惑するしかない。
 須藤も意味不明だったが、相馬が何を考えているのか全くわからない。
 と、そんな思いを読み取ったかのように、相馬は言う。
「その子が何を考えてるかなら、ずっと本人が言ってたでしょ。舐められたら困るって」
「舐められる?」
「クラスカーストの最底辺に落ちるのが怖かったのよ。だから自分より下を作り出そうとした。そのために田所をイジメた」
「何それ? それが最終的に人を殺した人間の行動理由?」
 途中で無意味だと気付いて辞めようとは思わなかったのだろうか。
「推測だけどね。私の発言に責任を求めないで。バカの考える事なんて常人が理解できるわけないわ」
「殺さなければ、聞き出せたかもしれないのに?」
「それは楽観論よ。ちなみに、霧江ちゃんは知らないみたいだから教えてあげる。生徒指導室に送られて、生きて帰ってきた者はいないわ」
「は?」
「事実よ。この一年で八人ぐらい送られて、全員死んでる」
「……」
「仕方ないでしょ? 軍隊だって言うこと聞かないと除隊処分か銃殺刑よ」
「学校は軍隊じゃない。それに除隊処分、じゃなくて退学にすればいいだけじゃない!」
「無理。だってこの学校の生徒は、もう人権を持ってないから」
「さっきから、言ってる事がめちゃくちゃよ……」
「この学校始まって以来、唯一の退学者さんに言われたくないわ」
「あれは、あんたが……」
 トーコが詰め寄ろうとすると、相馬は持っていたライフルを少し動かした。トーコの足元辺りを狙っているようにも見えた。
「私ね、嬉しいの。あなたがちゃんと生きていたから、私に会うために帰ってきてくれたから」
 銃を突き付けながら、何を言っているのだろう。
「私が、あなたを殺すつもりかもしれないとしても?」
 トーコが睨んでも相馬は笑顔を崩さない。
「覚えてる? 飲んだら共犯って言ったでしょ? ちゃんと最後まで付き合ってもらうからね?」
「共犯? 何が?」
 トーコが言うと、相馬は目を丸くする。
「それも忘れてんの? なんで大事な事ばっかり全部忘れちゃうかなぁ」
「……」
「早めに思い出してよね? そうじゃないと話にならないからさ……」
 相馬がつまらなそうに言って、トーコはため息をつく。
「記憶なんて、何のアテにもならないわ」
「そうかしら?」
「私の記憶が確かなら、この学校は、教師が拳銃を持った生徒と戦ったりするような場所じゃなかった」
「そうね。五年前は表面上は平和だったわ。またね」
 相馬はトーコに背を向けると、どこかへと歩き去った。

 トーコは足元の須藤の死体の横にしゃがんだ。開いたままの目を閉じてやる。
「どうしたものかしらね」
 この学校は、思った以上に危険だ。明日からは拳銃を持ってこようと決めた。スマホを取り出し、ジェイクを呼びだす。
「ジェイク。状況が変わった。たぶん悪い方に」
「何をしたらいい?」
「分解して持ち込んだアサルトライフル、あったわね?」
「ああ。もしかして今すぐ組み立てた方がいい?」
「お願いするわ。数日中に使う事になるかもしれない。さすがに今日中ってことはないと思うけど……」


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