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子どもたちと考える なぜ戦争をするの?

令和4年6月11日(土) 飯山総合学習センター 1階児童施設
こどもてつがく低学年

こどもてつがく ファシリテーター杉原あやの

今回は、ファシリテーターがテーマの案を4個用意しました。
こどもたちには、2回ずつ手をあげてもらい、一番多く票を集めたテーマに決めます。

・神様はいるの?  4人
・いちばん偉い人ってどんなひと?  0人
・可哀想ってどういうこ?  3人
・なぜ戦争するの?  全員

驚いたことに、「なぜ戦争をするの?」に全員が手を挙げました。早速、ワークシートに記入してもらい、その後、対話を始めます。

なぜ戦争をするの?


誰からでも、何か考えがある人から手をあげて発言してもらいます。早速、勢いよく手が上がりました。


「自分の国とかに不利なことがあったりして、それをして欲しくて、それを言った時に、ダメって言われたときに、国を攻撃してわざと、無理矢理させようとする。自分の国にして欲しくないことを違う国がやっていて、それが嫌だから、言ったりしても、それでもやめてくれなくて、そういう時に自分の国はしてほしいから、その国を攻撃して、無理矢理自分の国が有利になるようにさせようとする。」

やめてほしいことを相手に伝えてもやめてくれないから、戦争をするということなのでしょうか。発言をした子に、こちらの理解が間違っていないかどうか確認をします。

「無理矢理させようとする。戦争を仕掛ける側が、戦争をさせる側が、無理矢理、国とかを攻撃して脅す。それで勝った方が有利になる。」

意見のなかから、「戦争をさせる側」という言葉が出てきました。「戦争をする」というよりも、「戦争をさせる側」というのは、興味深い表現です。

「国と国で、戦争を仕掛ける方の国の立場を上げるために戦争をする。」

「戦争を仕掛ける方の国のところの国が欲しいから。」
一瞬では理解できない発言でしたが、戦争を仕掛ける国は、相手の国の何かが欲しいから戦争をする、という意味だよ、と他の子が通訳のように助け舟を出してくれました。

「あ、(戦争をするのは)国の一部が欲しいから!」

この後少し発言が止まってしまいます。そこで、子どもたちの意見から出た言葉から、質問を投げかけて、仕切り直すことにします。


なぜ立場を上げなきゃならないんだろう?


立場を上げようとするとか、有利になるといった発言がありましたが、どういうことでしょう。そもそも、どうして立場を上げないといけないんでしょうか。


「戦争って仕掛ける側の国が有利になろうとしてやってるように思える。立場が上がったら良いことがあるんじゃないかな。」

なるほど、立場が上がると有利になり、有利になるとなんだかいいことがありそうです。けれども、戦争をしないと、立場は上げられないものなのでしょうか。

「本当は、話し合いとかでもできるかもしれないけど、何回も言ってもダメって言われたら・・・。例えば、そこの市が欲しいって言っても、ダメって言われて、何回も説得しようとしてもダメって言われたら、もう話し合いじゃ無理ってなって、戦争になる。」

直後の呟きを聞くと「本当は話し合いで済むこと」のようですが、相手の土地が欲しいといくら言っても聞き入れてもらえないと、もはや対話では解決できなくなり、戦争をするしか方法がなくなるという意見でした。



そもそもどうしてそんなに欲しいのだろう?
自分のところだけじゃダメ?


相手の国の一部が欲しい、と説得しようとして断られるのは、なんだか自然な気がしますが、子どもたちにとってはそうではないかもしれません。そもそもなぜ欲しくなっちゃうのでしょうか。自分のところだけでは満足できないのでしょうか。問いかけてみました。

「自分の国を広くしたいから」

どうして広くしたいのでしょう?自分のところが、もうあるのにも関わらずに、広くしたいのは、なぜなのか、もう少し聞いてみますが、発言した子は考え込んでいます。

しばらくすると、別の子が手を上げました。

「自分の国はあるけど、一部をもらったら、もっと広くなって、もっと有利になる。もっとみんなが色々な場所を使えるようになるし。広くした方が有利みたいな・・・。」

どうも、広くなると有利になるようです。有利になることは、立場が上がることでもありましたね。

「例えば、日本やったら、他の国より小さめやけん。他の国の方が広いんやけん。もうちょっと日本のところもちょうだいよって。でも、私は、自分の国があれば、それでもういいんじゃないかと思って・・・。」

広い方が有利になるって、そもそも本当のことなんでしょうか。

「人も増える」とつぶやきが聞こえてきます。

「なんで大きい方が有利になるのか質問したい。」
対話の前に、できるだけ、お互いに質問を交わすように呼びかけていました。このタイミングで、質問を投げかけてくれました。

「他の国は小さいけど、大きくなったら(聞き取れない)他の国は小さいけど、大きい国は自慢ができるから。」
一生懸命発言してくれましたが、途中の部分は、少し難解でうまく理解できませんでした。そもそも、長い時間、集中して考えること自体難しいのに、考えを巡らせながら、何か言えそうなところで、子どもたちは手を上げてくれます。それ自体が当たり前のことではなく、すごいことなのです。

「大きい国の方がいろんなものを作れるから。人も増えたりするし、人も増えたら、また戦争をするとなっても、戦争に行く人も増えるから、もっと有利になる。」

間髪入れずに、疑問を唱える子がいました。

「でも、戦争に行く人たちが増えるってことは、もっと戦争したい、みたいなことになるんだけど。別に戦争って楽しいことじゃないし、なんでかなって思う。でも、もう増えてるんだし国も。それ以上、欲張りすぎんでもいいんじゃないかなと思う。」




戦争したい人と、したくない人の気持ち

「戦争に行く人たちは、もっと国を広くしたいと思ってるから、一緒に行くけど、別にそうでもない人たちは戦争に行こうとは思わない。」

「戦争したらおっきい国の方が人が大勢いるし、小さい国やったら、おっきい国より人は少ないし、戦争をやってもおっきい国の方が人間が多いから、大きい国の方が小さい国より戦争をしたら、大きい国の方が勝てる。」

大きな国は、たくさん人がいるから、小さな国に勝てるという意見が出ました。子どもたちの意見では、大きな国には、人も多いようです。土地が広いと住んでいる人も多いというのは、本当にそうなのでしょうか。この時は、あえてそれについては質問をしないことにしました。

「戦争って戦うし武器も使うし、死ぬ人も出てくるわけだから。自分が死んだらって怖くなったりしたり、他の人が死んでも家族とか友達が死んでも怖い。やっぱり行きたくない人も大勢いるんじゃないかなって。」

この意見を受けて考えてみると、大きな国で人口が多くても、戦争に行きたくない人が多い場合もありそうですし、小さな国で人口が少なくても、大きな国よりも戦争に行く気のある人が多い場合もあるかもしれないと思いました。そうだとすると、国が大きいからと言って、小さな国に勝てると簡単には言えなくなりそうです。どうでしょうか?

「行きたくない人は、多分自分も銃とかで撃たれたりするかもしれないし、そこまで別に国はもうこんなにあるんだから、もうそんなに広くしなくていいと思ってる人たちだと思います。」

「戦争に賛成する人が多ければ多いほど、その国が少しでも有利になったりする。広い国だったら、戦争に行くぞっていう人が少しでも多くなったりするから、少しでも多い方がいいって考えるんじゃないかな。」

なるほど、10人の中で戦争に行ってもいいよという人を探すと一人かもしれない。

「1人か0人かも」とすぐに声が上がります。

1万人の中から戦争に行ってもいいよという人を探すと・・・

「10人以上はいる。」

そうすると、国が大きくて、人が多い方が、戦争に行く人を見つけるには確率的に良いということになるのでしょうか。

「でも、なんで死んでしまうかもしれないのに、戦争に行こうと思うのかがわからない。」

とても良い疑問が出てきました。なぜ死んでしまうかもしれない戦争に行こうと思うのか簡単には想像できそうにありません。けれども、戦争に行こうと思う人がいなければ戦争は起こりそうもありません。一体どういうことでしょう。

「死んでしまうかもしれんのに、絶対に戦争に行くぞっていう人がおるから・・・。なんでそんなふうに思えるんかな・・・。」

「じゃあ、逆に戦争に行くっていう人がおらんかったら、戦争にはならんってこと?」

「もっと話し合いで行こうとか、話し合いで説得しようとか。戦争しなくても国の一部をあげるから戦争しないで!みたいなことは、戦争をしたくない人は言えるけど。戦争をできるっていう自信がある人は、絶対戦争する!みたいな。」

「もう負けます!負けるから、この国の一部とか欲しいものをあげるから、戦争はもうやめてくれって・・・。」

相手が欲しいと思っているものをあげることで、死ななくて済むなら、その方が良いのかもしれません。国と国の戦争は、規模が大きくて、なかなかその正体を掴むことが難しそうです。もう少し身近な例で考えてみることにしました。





みんなの住んでる土地ちょうだい!


私がみんなの隣に住んでいるとします。私は、庭を広くしたいのです。なぜなら、庭の中で畑も作りたいからです。

私が庭を広げるために、みんなのお家をもらっちゃおうと思います!いいですか?ちょっと、出ていってもらっても?

そう尋ねると、子どもたちは、賑やかになり一斉に首を振ります。

今まで発言をしていなかった子も、首を大きく振って口々に「だめ!」「絶対だめ!!」言います。

どうやら、お願いをしても、みんなの住んでいる土地をもらうのは難しそうです。

「それは・・・、広くするんだったら、違う場所に行って、自分の土地を作ればいいと思います。」

「それだと、戦争を仕掛けられるのはやっぱり嫌だけど、それでも、自分の土地をあげたら、不便になるとかそういうことに関係して、自分の土地も狭くなるし、それが嫌だから、どうしても戦争行くぞ!ってなってしまう。賛成派が出てくる。」

先ほどまでは、死んでしまうような怖い戦争をするぐらいなら、相手が欲しいものをあげたら良いのではないかと言っていた子どもたちですが、自分の家を取られるとなると、話は別のようです。

もしも、私が庭を広くできれば、畑もできるし、野菜だって育てられます。
みんなの隣に住んでいるので、みんなの土地が欲しいのです。
みんなには出ていってもらうことになりそうです。みんながどこに住むかなんて知ったこっちゃないのだけれど、とにかく庭を広くしたいのです。

そういうと、みんなに「絶対にダメ!!」と言われてしまいました。
その理由が何なのかもう少し詳しく聞くことにしました。

「住むところがなくなったら、貧しくなっちゃう。」

「おっきい家と小さい家があったら、おっきい家は、もっとおっきくしたいって言って、小さい家をもらうんやけど、それは、小さい家の人がいやって言ったけど、戦争も同じで、戦争もやらんでって言ったけど、国が欲しいから、国をもらう。」

「戦争をしたくはないけど、せっかく自分の住む場所を見つけてずっとそこで暮らしてたのに、違う場所を見つけて移動しろなんて言われたら、それこそ一からやり直しで大変だし、そんなことは、もう、したくないと思う。」

「家を出てって、それをちょうだいって言われても、それは、無理ってなったら、ちょうだいって言ってる人がもうちょっと広い場所に引っ越したらいい。分けてって言われた方が引っ越しとかも、出ていかなくてもいいんじゃないかなって思う。」

「家で言ったら、(人のものを)分けてもらうんじゃなくて、自分で作ればいいんじゃないっていう話です。」

どうやら、みんな、自分の住んでいる家や土地をあげるのは嫌なようです。ずっと暮らしてきて住み慣れた土地や家でもあるでしょうし、家がなくなったら、一から暮らしを立てる大変だと言います。自分の土地を欲しがる人や拡大したがる人には、できるだけ自分達から離れて遠くに行ってもらいたいようです。違う場所を見つければいいのではないかとの意見も出てきましたが、誰の土地でもない場所はあるのでしょうか?

誰の土地でもない場所はある?


「誰の土地でもない場所は・・・あるかな・・・と思う。」

「空き地!」

思ってもない意見が出てきました。確かに、アニメドラえもんは、誰の土地でもなさそうな空き地でいつも遊んでいますね。空き地だったらもらっても良いのでしょうか。

「うん!」「わからん。」一斉に発言し始めました。

時々、子どもたちは、一斉に話し始めることがあります。落ち着いて、一人づつ手を上げてもらいます。

「空き地が・・・例えば、団地だったら、団地の1番の人みたいな人に、『そこの空き地もらってもいいですか?』とか聞いて、またダメって言われたら、他の場所探すしかないけど、『いいですよ』て言われたら、そこに・・・」

「でも戦争って!ダメですよって言われたけど、どうしても!って無理やり仕掛けるから、(戦争が)できると思うから。ダメですよって言われても、納得できない場合に、どんどん仕掛けられて。そしたら、自分のところの人も死んでしまうし、自分が負ける可能性があるんだから、そんなことしないでさ。他の人と戦ってもらうんじゃなくて、できることを探して、自分の土地をもっと良くするとか考えたほうが・・・。」

新たな土地を求めるのではなく、既に持っている土地のなかで、自分達ができることを考えたりするという意見も面白い意見だと思いました。まだ知らない自分達の
持つ土地の活用の仕方が残っているのかもしれません。


海を埋め立てて自分の土地にしてもいい?


また身近な例に落とし込んでみることにしました。海はどうでしょう。一見すると誰のものでもなさそうです。海を埋め立てて自分の島を作るのはどうでしょうか。

瀬戸内海に、土を入れて私が自分の島を作ってもいいかどうか、子どもたちに聞いてみました。

こどもたちは、考え始めます。

「海に砂を入れて島作るのはダメだと思う。もともと海に島はあるけど、それは自然にできてものだし、自分で作ったら、(埋め立てるための)その砂に変なものが入ってたら、海も汚くなっちゃうし、色々大変なことが起こるから。」

いいことを思いつきました!もしも、海に砂を入れて埋め立てて、誰も使っていないところを拡張してもいいなら、日本を大きくできそうです。

どう思うか、引き続き子どもたちに聞いてみます。

「その砂がちゃんとできるかどうか、安全かどうかも確認しないといけないし。(埋め立てて国を)大きくするのにどれぐらい時間がかかるかっていう・・・。何十年もかかるんじゃない? 瀬戸内海をもらうとしたら、まず、瀬戸内海のものなんだから、聞かなきゃいけない。」

海を埋め立てて国を大きくするには、あまりに時間がかかりすぎる上に、砂の性質によっては、海を汚してしまったり、そもそも土地を作るのに適した砂なのかどうか調べることにも時間がかかりそうですね。砂にも色々な種類があるのかもしれません。とにかく、手間がかかるという意見でした。

瀬戸内海は、瀬戸内海のものだから、もらっていいかどうか聞かなければならない、という意見は、面白いです。一体誰に聞けばいいのでしょう。

ここで、実は、香川県が全国で一番小さな県であることを伝えます。

こどもたちからは「そんなこと知ってるよ!」という反応が返ってきました。

では、瀬戸内海を潰して、香川県を大きくしたらどうでしょう?なにせ、みんなの意見では、大きい方が有利なのですから。それに、人の土地を欲しがると戦争になりますが、誰も使ってない土地を貰えば、戦争になりません。

子どもたちは、一斉に声を上げます。

「ダメダメダメダメ!!」

「瀬戸内海は、岡山にもつながっているから、岡山の人にも、潰していいですかとか、聞かないといけない。香川県の市長(県知事のこと?)さんみたいな人が、全部、私の島にしていいですかと聞きに行かないといけない。それに、今ある瀬戸大橋もいらなくなっちゃうから(瀬戸大橋が)無駄になっちゃう。」

誰のものでもない海に見えるから、埋め立ててもらってしまって良いと思いきや、海は岡山にも接していますし、もしかすると漁師さんも魚が取れなくなって困ってしまうかもしれません。そうだとすると、本当に誰のものでもない土地なんてあるのでしょうか。もしも、誰も使ってない土地をもらいたい放題だったら、なぜ戦争なんてあるのでしょうか。

未開の地をめぐる戦争?

「誰も使ってないところを貰いたい放題だったら、もう誰も使ってないところなんて、なくなってるんじゃないかな。」

これは鋭い意見です。みんなが考えそうなことを、既にやってしまっているとしたら、誰も使ってない土地なんて、残っていないのかもしれません。

「貰いたい放題してたら、逆に、それが原因で戦争になる。一番でっかい誰も使ってない土地を取り合いになったり、あと一つだけ残ってるとしても、残ってるものを取り合いになって、逆に悪いことになる。いろんな国の人たちが『誰も知らないでしょ』と思ってもらいに行ったら、みんな居て、一つぐらいは取れるとしても、残ったところが取り合いになると思う。もし決着がついたとしても、最後の一個は絶対に取るぞっと、最後の一個を取り合いになって、ものすごい色んな国の人たちが、色んな国の人たちと戦うから、普通の戦争だったら一対一ぐらいだけど、すごい数になって、もっとすごい戦争になって逆に悪いんじゃないかな。」

自分だけが見つけた新しい土地かと思いきや、実はみんなが知っていて、現場で鉢合わせしてしまうのですね。みんなは土地が欲しいから、探しているのかもしれません。とにかく、誰も持っていない新しい土地があったとしても、その土地を巡って、ひどい戦いが起こることもあり得そうです。
「普通の戦争は一対一」という発言も少し気になりますが、「一対一かぁ」と私が思わずつぶやくと、すぐにこんな意見が出てきました。



戦争に巻き込まれる?

「国と国が仲良しだったら、土地をいっぱい取って後で分けようみたいにできる。めっちゃ仲悪いというか過去とかに戦争をしたことがある国とかだったら、(お互いに)取り合いをして、それで取れたら、やっぱり~みたいになって。そのぐらい、色んな国が巻き込まれる。」

この意見では、同盟を組んで戦争をしたりすることや、過去の禍根がある国同士の関係性について触れられました。人間関係もそうですが、仲が良かったり悪かったりするのは国も同じなのかもしれません。たくさんの国が関われば、関係性は複雑ですから、簡単に一対一というところでは、収まらなくなり、巻き込まれていくということは考えられそうです。

「今も、どこかでいつでも戦争してたら、そこの国が関係して、私たちの食糧が減っていっちゃったり、服とかも減っていっちゃったりして、私たちにまで被害が及ぶから、そしたら、どんどん戦争が激しかったら激しいほど、どんどん色んな人たちに被害を及ばせていると思います。」

この時期、ちょうどウクライナとロシアの戦争で、物価の高騰が頻繁にニュースで言われるようになっていました。子どもたちもニュースを見たり、親御さんとお話をして、何か思うところもあるのかもしれません。

話を整理すると

子どもたちの今までの意見を整理することにしました。戦争は、一対一ではなくて、たくさんの国が関わっているのかなと思いました。例えば、海もただ青い水が広がっているだけに見えるかもしれないけれど、日本の海とアメリカの海は繋がっていたり、台湾や韓国や中国とも海がつながっているから、簡単に、貰っちゃおうという訳には、いかなさそうです。着ている服や、食べ物も、日本だけで作っているのではなく、外国から輸入したりしているので、それも戦争に関わってくるかもしれません。

私の庭が、日陰になっていて日当たりが悪くて作物が育たないとします。お隣の家は、日当たりが良いから、いい畑ができそうです。そういうことを考えると、自分のところだけでは、全てはできなくて、他のところにお願いしなければならなかったり、他のところでしかできないこともありそうです。

「それは、国をもらうとかではなくて、色々なやり方があるってことですか?」

「この服が外国で作られたものだとしたら、何個作って日本に送ってくださいって言って、それを商売として売ってるんじゃないかな。」

「服の生地とかはアメリカとかから貰って、それで自分たちで作る。」

貿易だけじゃダメですか?

お商売で、海外との取引があるのならば、それで十分ではないでしょうか。なぜ、戦争が起きてしまうんでしょう。

「戦った方が死んでしまう確率は高くなるけど、そっちの方が、戦争だと、自分が勝ったら、ヤッタァ!となるし、自分の国はこれだけ強いんだぞ!って見せつけることもできる。その方が国が強いとわかってくれるからやってる。」

「国が勝ったらいいことばっかりだけど、負ける可能性もある。輸入品とかだと、もらうのに、時間もかかるし、お金もかかる。(戦争で戦って土地を)貰っちゃったら、自分のところだから、結構好きにしていいことになるから、貰っちゃったほうが早い。」

「なんで死んでしまうかもしれない戦争を、したほうが有利になるかもしれないけど、別に、死んでしまうんだったら、戦争とかしない方がいいんじゃないかな。」

差し出した方がいい?


もし勝てば、自国にとっては有利になるかもしれない。けれども、負けるリスクもあるし、死んでしまうかもしれない。それなら、いっそ差し出したほうが戦争を回避できるでしょうか。

「そうなると、どんどん周りから、『ここ(土地を)くれたから、もっと!』と、(噂が)どんどん広まって、どんどん(土地を)取られていって、どんどん貧しくなっていって、どんどんダメになっていって、他のところの国の(土地を)もらおうとしても、自分の国が弱いから、どんどん負けていってしまって、結局その国がダメになっていってしまうから、今のうちに今のうちにと、どんどんもらわれて・・・・。」

戦争を回避しようとして、自ら差し出すと、周りの国から、あの国なら思うようになる、と思われて、自分の土地が狙われてしまうということでしょうか。そのうちに、自分の国が他の国々から、どんどん要求されて、弱く、貧しくなり、いざ他の国の土地を奪おうと思っても、もはや国の力が弱すぎて、戦うことすらできないということですね。弱くなっているところを、チャンスと思われて、狙われると大変なことになりそうです。そこまで弱くなるのは避けたいと思うかもしれません。

戦争するしかない場合ってあるの?


「弱くなり貧しくなる」という子どもたちの意見を受けて、貧しい国について考えてみることにしました。例えば、世界のなかには、ものすごく貧しい国があります。そういう国の子どもたちは、食べるものもなくて、死んでいってしまうかもしれません。実際にそういう国はありそうです。ひょっとすると、国が強くなったら、貧しくなくなって、子ども達が飢えてしまうこともなくなるのでしょうか。
戦争すると死んでしまうから、なぜ戦争なんてしたい人がいるのか不思議だという疑問が言われましたが、戦争するしかない場合はあるのでしょうか?もしもあるとしたら、それはどういう場合なのでしょう。少し立場を変えて、考えてみましょう。

「どうしても、相手が無理やりどんどん仕掛けてきて・・・自分たちもこれ以上あげるわけにはいかないって時には・・・少しづつでも無くなったら自分の国がどんどん弱くなっていっちゃう、どんどん弱いなと見られて、もっともっと物がなくなったりして、自分の国が不利になったりするから。やっぱり、どうしても、戦争には・・・勝ちたい。」

「どうしても戦争しないといけない時って、他の国には、少し土地あげるってしてるのに、自分の国だけ『あなた達の国はダメです』って言われたら、それは何でだろうってなるから・・・『みんなにあげてるんだから、ちょうだい』って言っても、無理とか言われたら、もう怒って戦争になるんじゃないかな。自分たちだけくれないみたいな・・・。」

自分たちだけ痛い思いをして、自分たちだけ貧しい辛い思いをしていたら、戦うしかないのでしょうか。

首を振る子が何人かいます。

「戦争をするしかないことはないけど、別に、どんなに貧しくなっても、戦争をしない!戦争をしない!戦争をしない!っていうことはできるけど、それでもやっぱり、戦いたくなるんじゃないかな。これ以上は貧しくなりたくないと思ったら、戦いたくどうしてもなってしまうんじゃないかな。戦争って結局、勝った方は有利になって、負けた方は不利になるから、有利になろうとしてしてるんじゃないかな。」

戦争は無くせない?


この意見を受けて考えさせられてしまいます。みんなの意見を受けて考えると、なかなか戦争はなくならないかもしれません。なぜなら、不利な思いをしていたり、貧しい国やつらい思いをしている国があったら、何とかしなきゃいけないと思うことでしょう。そうでなければ、自分の国の人たちが貧しくて死んでしまったり、何かひどい思いをさせられてるかもしれません。そうした問題を解決するために、戦わなければならないと思う人たちがいるとして、その人々は、戦うならば、有利にならなければならないと思っているとします。

もしも、みんなが、自分は有利にならなくちゃならない、と思うとどうなってしまうのでしょう。

「そういう貧しい国は、実際にあるわけだから、そういうところにちょっとでも募金をしてあげたら、ほんの少しでも支えになるんじゃないかな。そういうことで自分たちで、ちょっとでも戦争をなくしていったりできる。」

「貧しい国とかに、土地はあげられなくても、少しだけなら募金あげたり、工場で作ってる生地をちょっとだけタダであげるとか、みんなが平等になるまで、少し募金とかしてあげたらいいんじゃないんかな。」

「戦わなくて、平和にその問題を解決できるようなことをどんどん考えていった方がいい。」

貧しかったり、苦しい状況に置かれている国は、何とか自分を有利にしなければいけないと思い、戦おうとするのだけれど、周りの有利な国々が、貧しい国を助けてあげることで、戦争が起こらずに済むというバランスの取り方はできそうです。けれども、助けてもらい続けるには、助けてくれている国の言うことを聞く必要があるでしょうか。有利な立場にある国が、突然気分を変えて、助けてくれなくなると困ってしまうでしょうから。

「そういう時のために、水はあげるけど、水をただあげるのではなくて、井戸の掘り方を教えてあげたり、家を買ってあげたり作ってあげたりするのではなくて、家の作り方を教えてあげたりしたらいいと思います。」

今日は「有利になる」という言葉が何度も出てきました。人と人との関係は、なかなか平等や対等になることは難しくて、何かの拍子に、どちらかが有利になることがあるのかな。それは国と国でも同じかもしれません。戦争は、「関係性」のなかで起こってくることであり、一方の思いだけではどうにもならないこともあるかもしれませんし、複数の国が関わっていたら、もっとややこしそうです。

自分も戦争をする!と思うとき


戦争をすると死んでしまうかもしれないので、戦争をしたくない気持ちの方がわかる気がするのですが、自分も戦争をしよう!と思うようになることは、あるのでしょうか。もしあるとしたらどんな時なんだろう。

「大人の兄弟がいたとして、弟が戦争に行くって自分で言い出したら、お兄ちゃんの方は、弟が心配だし、兄なんだからと思って、行こうと思うかもしれない。」

「私が行こうと思うなら・・・どうせ、死ぬって分かっていたら、少しでも力になるように、というのはあるけど、生き延びられる可能性があるなら行きたくはない。」

「戦争に絶対にしなくちゃ、食糧も服も何にもないしってなったら、死んでしまうかもしれないから、それだったら戦争しないとダメみたいになっちゃうけど・・それでも、少しでも食料が残っていたり、戦争する人が大勢残っていたら、やっぱり自分は生き残りたいから、自分は戦争行かないってなるし、自分が絶対に生き残りたいんだったら、行かなくていいし、勝ちたいなら戦争に行っていいし・・・一緒に戦争に行こうって言われても、命に関わることだから、それはそれで嫌って言ってもいいんじゃないかと思う。」

戦争に行くかどうか、戦争をするかどうかについては、自分の身の安全も気になりますし、自分の大切な人への想いなどの感情面も大きく関わってきそうです。一人一人違う事情を抱えていたり、違う思いを持っているかもしれません。戦争をするかどうか、私たちは自分で決められるでしょうか。

戦争をするかどうか自分で決められる?

「決められない。日本は決められないけど、外国に決められることってありそう。何歳以上の男性、女性は行きなさいとか、手伝いなさいとかありそう。勝つために。」

日本は戦争をするかどうか決められず、外国によって決められるといいうのは、どういう意味でしょう。徴兵があれば、自分が好き好んでいくかどうか決めることはなんだか難しそうです。

「行く人自身は、思ってないけど、国の大統領とかに、あなたが行かなければ、あなたの奥さんが殺されますよと脅されて行くかもしれない。絶対に来てほしいめっちゃ強い人だったら、(その人の)家族を人質にしたりして、絶対来てもらったらこっちが有利になるから、その人を連れて行かなきゃみたいになって、脅して行くしかない。」

大統領の命令とあっては、従うしかないということでしょうか。人質を取られて、戦争に行くように言われたら、断ることは難しそうです。絶対に戦場に来て欲しい人というのは、敏腕スナイパーでしょうか。きっとものすごい戦力のある人なのでしょう。

「脅すこともあれば、騙すこともありそう!」

本当のことを知らされず、騙されて戦争に行かざるを得ないこともあるのでしょうか。できれば、そうなりたくはないものです。


戦争は絶対に悪いこと?



少し意地悪な問いかけかもしれませんね。考えるために、あえて、聞いてみることにしました。(もちろん、この質問のあり方が間違っているという回答が子ども達から出てくることもあり得ます。)

「勝ったらいいことがあるけど、負けたら悪いことがたくさん出てくるし。戦争をするなかで、死ぬ人もいっぱい出てくる。いいことも出てくるけど、悪いこともいっぱい出てきたりする。」

ここで、戦争は絶対に悪いことだと思う人に手を挙げてもらうことにしました。

子ども達は、みんな悩んでいて、誰も手を挙げません。

「うーん。難しい・・・。(戦争を)無くしたいとは思う。」

一人手をあげてくれた子がいました。その理由を聞いてみます。

「人が死ぬから・・・。」
今まであまり発言をしてくれていなかった子が、小さな声で答えてくれました。

人が死ぬのは絶対に悪いこと?


戦争は絶対に悪いことで、その理由が人が死ぬからだとします。もう一つ踏み込んで問いかけてみます。人が死ぬことは、そもそも絶対に悪いことでしょうか。

今度は、人が死ぬのは絶対に悪いことだ、と思っている人に手をあげてもらうことにしました。

みんな悩みながら、何人かは手を挙げます。

「うーん。色んな死が・・・それって戦争で死ぬ場合のことですか?」

ある子が、私の質問について確認をしてくれました。人から問いかけられた場合、その問いが、どういう問いなのか確認するのは大切なやりとりだと思います。
確認してもらえることで、その場にいる他の人たちも、一緒に確認を取ることができます。
どういう条件の元に私が質問をしているのか確認をしてくれたのは、大変助かりました。こうしたやりとりを受けて、質問の形をもう少しはっきりさせることにしました。

そこで、改めて「戦争で死ぬことは絶対に悪いことだ」と思う人に手をあげてもらうことにしました。

手をあげてくれた子に意見を聞くことにしました。

「寿命で死ぬのならまだいいけれど、人を殺して死ぬのは、ダメだと思う。まず、人を殺すことがいけないと思う。」

「人がもし死んだら、命がなくなる。命で人間は生きられているから、殺されたら失う。」

「命って、生きてるから、人を殺すって言ったら、これから楽しいこととかできるはずの時間も、これから残っているはずの時間も全部奪うから。ダメなんだと思う。けど、無理矢理行かされた場合って、無理矢理行かされて、殺す方も、殺したくないなって思うのかもしれないなって・・・。」

「無理矢理行かされて、自分が殺されたら、それは、無理矢理行かした人が悪い。」

「無理矢理行かされた人は、人を殺したくないのに・・・無理矢理、人を殺せとか言われて、自分は人を殺したら、最後に自分も殺されると思うのに・・・無理矢理・・・。」

みんなの意見を聞いていると、戦争が絶対悪いことかという問いかけに対しては、難しいと言われましたが、人の命が失われることについては、絶対に悪いことだと考えている子が多く居ました。そして、さらに突き詰めると「人を殺す」ことや「無理矢理」という言葉が何が重要なポイントであるように思いました。人を殺すことについても、殺される方にとっては、「無理矢理」命を奪われることになるでしょう。そして、自ら望んでいないのに、無理矢理、人を殺すことを強いられることが、なんだか絶対に良くない。

このレポートを書きながら、考え込んでしまいます。同じ死であっても、病気や事故や寿命と、戦争の死は、どんな風に異なっているでしょうか。こどもたちが、戦争のよくないこととして挙げた「殺すこと」や「殺される」ことは、「無理矢理」という言葉が確かに合う気がします。寿命や病気や事故も本人の意図せぬことかもしれませんが、「無理矢理」という言葉は、より前者の方と結びつくような気がします。

今回は「なぜ戦争をするのか」をテーマに議論をしましたが、最後の方で出てきた意見から「なぜ、人の命を奪ってはならないのか」という、別の大切なテーマが浮かび上がってきたように思いました。



ファシリテーターの振り返り

平和のために哲学対話ができること
今戦争をしている国々に思いを寄せて


学校の中では、戦争がいかに悲惨で残酷で、いかに繰り返してはならない出来事であるかを学ぶ平和教育があると思います。国語のなかで学んだりすることもあるかもしれません。

哲学対話は、特定の政治信条を伝えるものでもなければ、戦争の恐ろしさを伝えることも目的としていません。ファシリテーター個人の価値観を伝えるものでも決してありません。なるべく純粋に「なぜ戦争をするのか?」ということを、「みんなで一緒に考えること」を大切にします。

「戦争はだめだ」と標語のように覚えてしまうことは簡単ですが、なぜ戦争で命が失われるのにも関わらず、まだこの世界に戦争があるのか、ということを考えるためには、「戦争それ自体が一体何なのか」ということをしっかり考える必要があると思います。
哲学対話では、子どもたちが「戦争は絶対にだめ」と簡単に断言してしまうことなく、想像力を用い、時に立場を変えて考えながら、簡単には断言できない複雑さに自ら向き合い、辛抱強く考えていました。もしも、戦争が、他人事ではなく、私たち一人ひとりの問題だとしたら、ひとりひとりがしっかり自分の力で考えることが必要だと思います。

色々な「複雑さ」がこどもたちの発言から見えてきました。色々な国と国は、海も繋がっているし、物の売り買いでも繋がっているし、もしかしたら、支援やサポートでの関わりもあるかもしれません。国と国の関係をどう持つのかということも、戦争や平和について考える上で欠かすことができないのかもしれません。

有利になるとか、強さを自慢できる、弱いと困ったことになるという意見からは、戦争は自分の内側だけで起こることではなく、他の国との色々な競争や比較や力関係のバランスがあるのかもしれないと考えさせられます。

複雑な物事を混ぜこぜにして単純化してしまえば、あまり考えるための労力を使わずに済みます。けれども、戦争とは一体なんなのか、その正体に迫ろうと、しっかり思考する力を培うことが、本当の意味で、自分も含め人の幸せや平和を考えることに繋がってくれると信じています。

今なお、戦争で命を失っている多くの人々と心に深い傷を負った人々に想いを寄せて、少し前の哲学対話でしたが、今回改めてこのレポートを書きました。

てつがく屋 杉原あやの


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