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僕には瞬発力がない

僕には、瞬発力がない。

提示されたとき、考えを聞かれたとき それに的確に反応し、意見を返すことが苦手だ。
そんなではあるものの自分の置かれた立場上、意見を求められているということであったり、瞬発力はないとはいうものの、それに対し言いたいこと、言っておくべきことをわずかばかりではあるが、思いついたりする。
とはいうものの、瞬発的に返す答えは意見を求められている立場的な観点から無理やり抽出した浅い意見であったりする。
なんとか答えてはみるものの、見落としがあるような気がしてならないのである。
そして、あとでじっくりと考えてみると見落としがあったことに気が付くのが常である。

まさに今日そんな場面があった。
”現場と設計図に相違があったため、設計図を変更したい”との相談である。
資料を用意してきており、それを基に説明を受ける。

突然だが、こうしてふり返ってみて言語化してみることで、はたと気がついた。
その説明を聞いてもすぐには理解できていないのだ。だから、次のような行動を取らせたのだと。

何をしたのか。
自分なりの理解を深める?いや、理解するために簡単なポンチ絵を書いてみたのだ。
なるほど、当初の設計思想に従えば当然な変更であることが理解できる。よって、基本的には合意の意を伝える。

しかし、これで終わってしまっては片手落ちであることはわかっている。まだまだ考えるべきことがあるはずだ。
ここで考えるべきは、”現場条件が正確に設計に反映されていた場合、どんな設計図になっていたか”、”今回の変更図面と同じ図面であったか”である。

これを瞬発的に考え、整理し、意見として発言する。はたしてどこまでできるだろうか。

今回の場合、少人数での打合せであったため、ある程度余裕を持って考え、発言することができた。が、多人数であった場合はどうであろうか。
なにせ瞬発力に欠けているのである。こちらが考えている間に他の参加者から意見が出てくる。そんな意見は、こちらの思考に刺激を与えてくれる場合もあれば、”えっ?”と思ってしまうような考えだったりもする。そんな意見の精度の高い・低いに関わらず、ひとつの意見が出た場合、打合せに参加した大多数の思考がその意見に影響され、引っ張られることになりやすい。何も考えていない人ほど人の影響を受けやすいものだ。
そんな場面でどうするのか。そこまでに達した自分なりの意見を述べよう。思考途中である。その意見にもまだ見直すべきところがあること、課題が残されていることを明らかにしよう。同じように、他の人の意見にも見落としがあるのではないかと示唆しよう。
であるので、その打合せでは見直す余地を残した状態で終わらせたいのだ。
打合せなのだから”結論を出さなくてはならない”との考えもあるだろうし、先延ばしすることが必ずしも良いとは思わない。だが、”まだ見落としがあるのではないか”と感じているのであれば、そうすべきである。
打合せ後にもう一度時間をかけて考えてみるのだ。自分の考えがおよぶ範囲などたかが知れている。
打合せで提示された他の人の意見も考えに入れよう。”えっ?”と思ったような意見にも何がそれを言わせたのかといった背景があるはずである。それを考えてみよう。自分への反対意見も受入れよう。反対意見は重要なフィードバックなのだ。思考を深めるためには必要な要素である。それによって自分の思考がブラッシュアップされていくのだ。

そうすることで、至った考えを改めて共有する。他の参加者の意見を求める。
そうすれば決して否定的な意見は出てこないものだ。場合によっては、補足させしてもらえるのである。

そんな手順を踏めればよいのではないかと思っている。
急いで答えを求められることもあるであろう。でも、”ちょっと待ってよ”。急いで結論を出してもいいことないよ。見落としがかならずあるよ。

なにせ、瞬発力がないのだ。きっとみんなないよ。
それでいいではないか。それを分かっていれば。
瞬発力を手に入れる必要はないのだ。それを認識していることが大切なのである。


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