見出し画像

PR視点のブックレビュー:デイヴィット・パトリカラコス著『140字の戦争 SNSが戦場を変えた』

「戦争は終わった」8月15日にアフガニスタンの首都カブールを制圧したタリバンは、そう宣言しました。この戦争のきっかけでもある20年前のアメリカ同時多発テロは、「対テロ戦争」という新たな戦争の概念を生み出しましたが、本書はまた異なる戦争の捉え方を主題に据えています。それが「ナラティブ戦争」です。

「ソーシャルメディアの登場で、戦争は新たな次元に突入した。強力な兵器を有するものが勝つ時代は終わり、『言葉』と『ナラティブ(語り)』で戦う時代が到来した」それが本書の主張です。こう聞くと、あるいはPR界隈の皆さんは「あの本」を思い出すかもしれません。そうです、20年前に刊行された名著『戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争(高木徹著)』です。

アメリカ同時多発テロの発生からおよそ1年前(僕がPRパーソンとしてキャリアを開始した年でした)に放映されたNHKスペシャルが元になった本書は、ボスニア戦争を舞台に「民族浄化(エスニッククレンジング)」というキーワードを駆使して反セルビア国際世論を高めたPRの舞台裏を暴くドキュメント。「情報操作」というややネガティブな切り口ではあったものの、国際世論を動かす本来のPRプロフェッショナルのダイナミズムに溢れ、この本を読んでPRに関心を持ったという人は少なくありません。ちなみに、本書に登場するのは「ルーダー・フィン」というアメリカのPR会社ですが、20年前なこともあって「広告代理店」と紹介されました。現在だったら、「戦略PR代理店」という扱いになっていたかも。

さて、この本では「情報戦争」という言葉が使われていました。武器を使った戦いではなく、「情報を使った戦い」だというわけです。しかしより正確に本質を表すなら、これこそ「ナラティブ戦争」だったわけです。ボスニア紛争におけるボスニア政府のPR戦略は、「セルビアが民族浄化を進めている」という物語を世界中に広げることだったわけですから。

ではいったい、『戦争広告代理店』から20年近くたった本書『140字の戦争』との決定的な違いはなんでしょうか?

「はじめまして、わたしはファラ・ベイカー。#Gazaに住んでいます。ハマスはわたしを人間の盾として利用していません」本書に登場する、パレスチナの少女ファラのツイートです。ファラのスマホから発信されるツイートは世界に拡散し、「残酷なイスラエルとパレスチナ人の絶望」というナラティブ(本書より)を広めることになりました。「ファラは10代の民間人であり、そのナラティブは力強く、信頼性が高い」と著者は言います。

SNS時代になり、ナラティブの担い手は国家やマスメディアから個人へと移行しつつある、ということなのです。SNSがなかったボスニア紛争では、ナラティブは主にマスコミや組織がその発信主体でした。しかし現代は、個人のナラティブが世界に容易に広がる時代であり、時として個人のナラティブは組織のストーリーよりも力強いものになり得るのです。

これは僕の近著『ナラティブカンパニー』で主張したことにも符合します。「ナラティブ戦」を制するのはどちらか? 戦争であれビジネスであれ、このことは今後極めて重要な問いとなるでしょう。

結局のところ、世の中は「語り」でできている。世の中の分断が進めば進むほど、それは顕著になるはずです。そんな思いを強くさせてくれる本書。オススメです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?