東日本大震災の被災地、南三陸町。
毎年のように、南三陸町に行くようにしています。
ただ、スマホの故障と交換で、画像の記録をしなかったせいで(メモリーカードとか話聞いたらお金かかりそうな感じでもあったし、早急にスマホを交換しないと困ってた!?)
以前の写真のほとんどが消滅してしまい…。
若干残った写真を貼っておきますね。
2011年3月11日、東日本大震災が起き、ニュースではあたかも映画のような衝撃的な津波の様子を見せつけられた。
僕も仕事が休みになったり、輪番停電で電車が止まったり、ネットで福島の風評被害について書いたら叩かれたり。
ただただ思ったのは「なんで被災者は自分ではなかったのか」。たまたま、東京にいて、被災者は三陸にいて。
テレビやネットでたくさんの三陸の被災者の物語を見たり、当時の民主党政権に対する不満が爆発したり。
政権交代から国会中継に興味を持ち、2010年の口蹄疫で政府の対応に吐き気を覚え、拉致事件に興味を持ち、特に菅直人首相による「よど号ハイジャック犯の子で北朝鮮思想に染まったM氏(北朝鮮の日本革命村出身)を三鷹市議会議員に立候補させた【市民の党】への献金問題」の審議が佳境に入ったときの震災。この問題はそのままスルー。菅さんよかったねー(よど号関係者が北朝鮮による日本人の拉致を行ったことは、以前の日記にも書きました。有本恵子さん… 嘉代子さん(´;ω;`) )
世の中が混乱し始め、これから自分はどうあるべきか、そして、少しでも何か寄り添えることはないのか。
旅行好きな僕は、何もできないがウォッチし続けることはできる。
とにかく、被災地に行こう。そこでちょっとでも経済にわずかでもお金を投じれば。
僕は毎年、できる限り、被災地に行くことを決めた。
2011年の夏休みに時間とお金の確保ができた。しかし鉄道の不通もあり、仙台と多賀城、塩釜ぐらいしか行けなかった。
2012年、ついに有名な南三陸町へ。
一年後に来たわけだが、あまりにもの破壊ぶりに長崎出身の僕は、空襲の跡地をみているようで、膝から崩れ落ちた。
変わり果てただろう、志津川駅。
泣きながら、防災庁舎などの市街地を歩いたのを覚えている。
2021年、10年目をむかえる。
僕は三陸の「ほや」が大好物だ。
新鮮なほやは、えもいわれぬ舌触りと歯応え、磯の香りと身の旨味と甘味。ほやを食べた後に口に流す、石巻の地酒「日高見」のすっきりとしたキレのよい味わいは、最高の相性と思う。これを味わうのがもう一生の楽しみともなっている。
石巻は石ノ森章太郎先生の故郷。漫画館とともに町自体が聖地に。
仮面ライダー。
佐武と市。
地元のものが買える、食べれるお店も!
ほやっほー! ほや中毒者でございます。
漫画館は、サイボーグ009のフランソワーズに扮した案内人さんがお出迎えです。
いろんな企画展はツイッターで確認できます。
漫画館出て市街地へ。震災の写真を展示している建物もあります。
仙台へ戻り、明日は南三陸町へ行くぞ!
仙台から前谷地、柳津などを経て。2時間くらいかかるかな。漫画を読みつつの旅は快適。
気仙沼線は冒頭の2011年の志津川駅の写真にあるよう、津波で破壊され、今はバスによるBRT。
元の志津川駅から気仙沼方面の山に、駅(バス停)と市街地は移された。
まわりを見てみます。
海(港)方面を見下ろす。
元の志津川駅方面の近くの川。津波の逆流により大きな被害を出したが、護岸されてます。
背後の気仙沼方面に今の志津川駅(バス停)。
さあ、志津川のランドマーク、さんさん商店街へ!
バス停のすぐ近く。
元の志津川駅(丘のふもと)への道路沿いにあります。
以前の気仙沼方面の道路はたぶん、この丘の盛り土の下に埋め立てられ丘の上に道路が延ばされた。
地元の料理、グッズ、海鮮などお土産も買える!
かきは宮城がシェア広島にならび1位か2位。
さんさん商店街から、防災庁舎あとへ通過できます。
職員の遠藤さんは最後まで防災無線で人々に避難を呼び掛け、そのまま庁舎は津波に流されました。町中に響く遠藤さんの声を聞き、事の重大さをみんなが察知し、即津波から逃げるために山や丘に走り込むなか、遠藤さんもギリギリまで呼び掛け戦い、庁舎の屋上へ避難する矢先。
…遠藤さんの遺留品は庁舎から離れたところで見つかったと聞きます。せまい屋上をうめつくすまで津波は流れていきました。
遠藤さんはまだ20代。秋に結婚する予定でした。
さんさん商店街から橋を渡り防災庁舎へ。
忘れてはならぬ、震災のシンボル。
まわりも盛り土による高台に埋め立てられ、市街地だった庁舎周辺は土の下に。
震災前は町の中、みんなが庁舎を見上げていたのでしょうが、いまや市街地のさんさん商店街から見下ろす形に庁舎があるのに、町の大きな変化を感じます。
庁舎近くの道を上れば、復興を祈念する丘へ。
ここは津波の避難場所にもなります。
丘から庁舎とさんさん商店街方面。
海と港方面。
元の志津川駅。冒頭の2012年と比較してみてください。
滅んだ旧気仙沼線の後も見えます。線路はないですが…
線路があった跡は確認できます。
町が滅び、いや更新されていく。その転換期を残していければ。
被災前。
港(海)側から、左手側が元の気仙沼線・志津川駅方面、右手側が気仙沼方面の、後にさんさん商店街ができる場所。
被災直後。
写真が反転します、今度はさんさん商店街から海(港)側へ向かって。
復興中のようす。
被災直後の川と庁舎を、被災後この高台に作られたさんさん商店街側からのぞむ。
川の堤防が高くなり隠れましたが、右下に庁舎の赤い鉄骨が見えますね。
さんさん商店街には写真展示館もあります。小さいですが写真が充実!
BRTでまた仙台に戻ります。
被災地をほぼ毎年訪れて10年。2012年から訪れ、遅々として復興が進まないような気がしましたが、瓦礫を集め、そして土地が整理され、だんだんと高台が増えていき。
さんさん商店街も、実は最初は、元の志津川駅の近くにあったのですが、今の高台に移転され。歩いていた町のルートも変わったなあ。
今回は石巻と南三陸町の写真でしたが、ほかに宮城だと女川町(駅に温泉がある!)や、福島のいわきや双葉町、あと岩手で三陸鉄道から釜石と遠野にも行きました。今年はまた遠野方面まで行きたい。もう、遠野も愛してます… 感動のあまり、酒飲みながらホテルでざしきわらしをいろんなパターンで描きまくった。
また今年も行き、散財してきます!
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