放課後城探部 百七十五の城

彦根の駅舎の長いエスカレーターを降りると目の前には小さなロータリーがあって、ロータリーの真中の島にすごく長い角をつけた兜を被った武士の銅像が置かれていた。

「井伊直政や!」

訪ちゃんがそう言って指差す。

井伊直政はどうやら銅像の武士の名前のようだ。

それにしても井伊直政という人は物凄く角の長い兜を被って馬に乗っているけど、あんなに長い角をつけて馬に乗ったら首が重さに負けないのかな?

なんてむしろ私はそっちのほうが心配してしまう。

歩道を渡って井伊直政の銅像の前に立つと訪ちゃんはスマホで写真をパシャっと一枚撮影すると

「角が長すぎて切れるわ。」

とぼやいていたが写真を覗き込むと想像以上に上手くてびっくりする。

「カッコよく撮れてるよ。」

素直に褒めると訪ちゃんは鼻を擦りながら

「ま、伊達に一杯撮って無いで」

と自慢気に胸を張った。

天護先生も横から

「どれどれ見してみ・・・」

と言いながら覗き込むとスルスルと写真をめくっていく。

訪ちゃんの写真は殆どがお城の写真だったけど中には外食した時の写真とかが何枚か撮られていた。

「あんた、お城の写真はともかくこの外食の写真は何よ。あんた飯スタ映え狙ってるの?」

「ちゃう、これは美味しかったご飯を忘れんようにするためにや。」

訪ちゃん飯スタ映えを否定する。

そう言えばこのご飯の写真、違和感があったけどよく見ると一口食べられているのだ。

「美味しいものは忘れたくないやん。」

訪ちゃんはそう言ってこれは美味しかったとかあれは美味しかったと先生に話していたがそんなにも美味しかったのなら、店の写真を撮った方がよっぽど有益じゃないかと思えるの私だけなのだろうか。

ご飯の写真をスルーしてお城の写真を数枚見ると先生は

「やるじゃん」

と言って訪ちゃんの写真を簡単に褒めると訪ちゃんは嬉しそうに笑った。

一方あゆみ先輩は井伊直政の銅像をじっくりと眺めている。

「立派な銅像ですね。」

私が声をかけると先輩は頷いた。

「そうね、でも流石にこの長い角は少しやりすぎだけどね。」

先輩もそう思っていたんだ。

私はあまりの長い角が不思議でさっきから抱いている疑問を投げかけた。

「この角で馬に乗ると安定しないのでは?」

すると先輩はクスリと笑って

「本当にそうね。」

と同調してくれた。

先輩もそう思っていたのだ。

「本物の兜はもっと角が小さいのよ。銅像は勇壮さを出さないといけないからちょっと派手に作るのよ。だから角が大きくなったのよ。」

なるほど、それなら理解できる。

いくらなんでも角が長すぎると馬が走るだけで風を受けたり重心が高いから危険なはずなのだ。

銅像だから大きくなったと言うのは多分その通りなのだろう。

「でも、昔の武将の兜は派手なものが多くて、戦国時代は特に当世具足って言って、西洋の鎧のような鉄板を利用した実用性重視が増えていたからだったから当時の派手好きの武将たちは兜の装飾に力を入れていて、特に戦国時代末期にはとんでもなく大きな前立てをつけた兜が沢山増えてきたの。」

当時の武士も派手好きで甲冑でおしゃれを楽しんでいたのだ。

武士はおしゃれを兜で行っていたからこの銅像みたいな派手な角をつけた兜が流行したということだった。

「じゃあ井伊さんも角で格好良さを主張したんですね。」

「そうよ。当時の武将は戦場に立って目立つことで勲功をアピールしたの。そうすることで槍働きを認めてもらっていたのよ。」

「似たような鎧ばっかりだと誰が一番頑張ったかわかりにくいですものね。」

「うん、だからこの直政の角みたいに兜を飾ることで戦場での働きが目に付きやすいようにしたのよ。だけど派手に飾りすぎたのが裏目に出て角や前立てを大きくしすぎて実際の戦場では被らないこととかもあったみたいね。」

派手好きが行き過ぎて目立つ兜が被れないなんて本末転倒だけどそれくらいにおしゃれにこだわりが凄かったのだろう。

現代でもおしゃれが行き過ぎてとんでもなく派手な服装をしている人がいたりするけど、後々冷静に写真で見ると黒歴史になったりすることもある。

当時の武士も現代人とそう変わらない事を甲冑でしていたのだ。

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