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遺伝子に刻み込まれたヤギの闘志

「山羊が振り向くだけでも事故を起こす」

え? ちょっとおおげさなんじゃ…(笑)? と、私はウケてケタケタ笑った。まずはコレで勉強してね、と与えられた「山羊の飼養管理マニュアル」に書いてある、角のあるヤギが危険であることについての説明の一部だ。だがしかし、ヤギ飼育担当のヤマチャンは「いや本当に危ないから…」と隣で小さくつぶやいた。

そう。当時わかっていなかったが、ヤギは強いのだ。「三びきやぎのがらがらどん」という素敵な絵本があるが、あれこそがまさにヤギなのだと今は思う。ヤギをなめてはいけない。

大人のヤギはメスで60~80kg、オスになると100kgを超えるものも出てくる(注1)。畜産業界では、ヤギは牛に比べて小さいので扱いやすいということになっているが、とはいえ多くの日本人よりはでかい。そしてこれは私の印象だが、ヤギは「硬い」、そして「速い」。なんというか、動きのキレがいいのだ。

いやまてよ。牛や馬もそれくらいシャキシャキ動いているのかもしれないし、よく考えると犬や猫もそれくらいの速さは持っている気もする。そうだ。アレだ。

「ポーカーフェイス」。

ヤギにももちろん表情はあるが、犬猫のようにあからさまではなくて、私にはちょっと読みにくい。なので、虚を衝かれる感がある。(ちなみにヤギの飼育担当の人たちは本当に繊細にヤギの表情を読み取る人が多いです。スゴイ。さすが。)

ヤギの基本的な戦いの手段は頭突き。戦いの武器だけあって彼らの頭蓋骨はゴツゴツに硬い。さらに、角というのはそんな頭蓋骨を増設および強化した最強の武器なのだ。つよい! その硬さに彼らの体重をしっかり載せて突然キレッキレの動きでガンガンぶつけられたら、相手が人だろうとヤギだろうとケガをする。立派な角はそれだけで「鈍器」であり、冒頭の「山羊が振り向くだけでも事故を起こす」は決しておおげさではないのだ。

そんなわけで、特にたくさんのヤギを飼育するような場合は除角じょかくを行うことが多い。

ヤギには角が生える個体(有角ゆうかく)と生えない個体(無角むかく)がいる。ヤギの角は生まれたときには生えていない。生後1週間くらいで有角の個体は角が生え始めるので、その時期に「除角」をする。

除角という作業は、なかなかにハードだ。いたいけな生まれたての仔ヤギの頭から角芽かくがという角が生えてくる元の部分を焼き切るのだ。技術力も必要だし、作業者のメンタル的にもしんどい。

あれ? でも、無角のヤギもいるんだよな…? 有角、無角は遺伝子の掛け合わせで決まり、しかも無角が優性なのだそうだ。え! じゃあみんな無角にしちゃえばいいじゃん! そうしたら除角いらないじゃん! 有角と無角の出現率は教科書でおなじみのメンデルの法則で説明できるようだ。

優性遺伝子である無角をA、劣性遺伝子である有角をaとすると、

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無角AA×有角aa→無角Aa
無角AA×無角Aa→無角AA・無角Aa
無角Aa×無角Aa→無角AA・無角Aa×2・有角aa
有角aa×無角Aa→無角Aa・有角aa
有角aa×有角aa→有角aa

…となるはず…。

鋭い方は気がついただろうか。
無角AA×無角AAがないじゃん。

無角AA。

実はこの遺伝子を持つメスは「間性かんせい」という生殖能力を持たない個体になってしまうのだ。妊娠してミルクを出すことを利用している乳用のヤギに生殖能力がないということは、家畜としては飼育できないことを意味する。ということは、間性のヤギを避けるためには必ず有角のヤギを維持し続ける必要があるわけだ。素人の私がすぐに思いつくようなことなど、長年ヤギを飼育し、研究し続けている人たちが気がつかないはずもない。そりゃそうだ…。

がらがらどんのようなたくましいヤギを飼いならしていく歴史の中で、ヤギに殺された人もたくさんいただろうなと思う。実際の動物たちを目の前にすると、本当にでかいし、硬い。そんなヤギを、戦ったりなだめすかしたり可愛がったり、そして品種改良など人の知恵による繁殖への介入をしながら、一緒に暮らせるようにしてきたのが今の家畜化した状態だ。その戦いと工夫は現在進行形で発展し続けている。

角を持つ遺伝子を秘めていない個体は子孫を残せない。そんなヤギの生命力の不思議に、お前ら、俺たちの「いのち」に向き合う覚悟あるの? と問われ続けているような気がして、ちょっと背筋が伸びる気持ちにさせられるのだ。

注1:日本ザーネン種の場合。

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