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LeicaR8×Kodak Gold 200 フィルムカメラ愛とスナップの楽しみ方

以前、ストリートスナップ動画にしてみたLeicaR8とKodak Gold 200の写真。

時節柄、観光地やフォトスポットに行きづらいので、適当に車を走らせて気になったところをパシャパシャ撮ってみました。

僕のLeicaR8愛と共に、フィルムでのスナップ撮影の楽しさを語ってみます。


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山陰の冬にしては珍しい快晴。

LeicaR8とsummicron-R50mm、そしてKodak Gold 200を1本だけ持って家を出る。

デジタルカメラはなし、撮れる写真は36枚のみ。

この縛りが撮影に余裕と妥協を無くしてくれる。


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フィルムカメラ愛を語るには、まず自分の愛機の紹介をしておこう。

LeicaR8は往時のLeica一眼レフカメラのフラッグシップモデル。

プロフェッショナル向けな高級カメラでしたが、まあLeicaの一眼レフカメラということでとにかく人気がない。Leicaという名のミノルタOEMだったりしたLeicaの一眼レフカメラですが、R8は純正オリジナル機・・・らしいです。

しかし、レンズはLeicaですからね。どうです?この木の感じ。


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絞り優先AE撮影可能で露出計も完璧、ごついカメラですがこれほど簡単に何も考えずに撮影ができるLeicaのカメラはなかなかありません。

シャッタースピードは1/8000秒まで可能ですから、日中でも開放撮影できちゃいます。

これって、フィルムカメラだとすごいことなんですよ!


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そんな僕の愛するLeicaR8ちゃんなんですが、超絶不人気カメラとして有名です。

「あのLeicaがミノルタ製ではない本気一眼レフカメラを出すらしいぞ!」という期待を見事に裏切ったのは、この巨大おにぎりのようなルックス。

あの洗練されたLeicaMシリーズのような一眼レフカメラを期待していた当時のLeicaファンは、膝から崩れ落ちたとか。


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でもね、このデザインは人間工学デザインってやつなんです。

むっちりしてますが、手に馴染むくらい持ちやすいんですよ。バウハウスも真っ青な洗練されたデザインなのに・・・なぜだ!!!!

しかも、LeicaRレンズはMレンズの半額くらいで買えますからね。

なぜ人気が出ないのか・・・ま、おかげで安く買えたんですけど。


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フィルムカメラは、もはや単純に写真を撮るためのカメラとしての役目を終えています。なんせスマホがあれば記録は十分ですから。

フィルム製造や現像所が縮小していき、一枚一枚にかかる経済的コストも跳ね上がっています。

しかし逆説的に、こんな時代だからこそ超個人的理由で欲しいフィルムカメラを買うというのが、新たなカメラの楽しみとして生まれたと思います。

結局、スマホで十分なのにあえて、なぜ、どうして?

そんな生き方だってあるでしょう。


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便利で効率化が当たり前過ぎると、その逆を張ってみたい天の邪鬼な人間は僅かながらにいるのです。

この反骨精神旺盛なライフスタイルとは、世間で『沼』と呼ばれています。

でも、大量消費社会で流行に踊らされるだけが人間じゃありませんからね。

と言いながら、財布はだいたい隙間風ピューピューしてますけど。


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そんな使い勝手が悪いけども愛おしいカメラを片手に、36枚一本勝負のスナップ撮影。

この36枚しかない、失敗できない(経済的な理由でもったいないからね)、現像するまで結果がわからないというマゾヒスティックな撮影行為というのは、もうたまらんのであります。


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フィルムのスナップは、とにかく躊躇します。

厳選に厳選を重ね、そしてシャッターチャンスを逃してしまう。

こんなことばっかり。

でも、自らの目を50mmレンズにして、血眼であるべき何かを探し続けるというのは心地よいストレスなのです。

これって現代ではなかなか楽しめませんよね。


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何気ない景色の中で「それ」を見つけなければならない昨今の状況の中で、僕の五感は「それ」を感知するために研ぎ澄まされていきます。

そんな大げさなことではないのですが、スナップしていると徐々にですが気づけば非日常な集中力を発揮しているんですよね。


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しかもフィルムはその場で結果が確認できません。

ですが、現像に出して1週間くらい待ってから見る結果はまた格別なんですよね。※田舎なので、東京までまとめて送って現像してもらってます。

なんせ、一枚一枚どこでどう撮ったか結構覚えてますからね。

これはデジタルじゃありえない、デジタルならRAWデータがあれば詳細な情報が残っているし、GPSデータも入力できるし、というより結果をその場で確認してますから・・・そこでもう完結してしまっているわけです。


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デジタルであれば失敗したと思えばその場で撮り直せば良いし、失敗写真もPhotoshopなんかを使えばある程度リカバリーできるから良いじゃないか。

そういう余裕が、撮影時の集中力を散漫にしているんだと思います。

あ、これは非常に良いことですよ。デジタルカメラの恩恵はまさにここにあるわけですから。


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しかし、僕のような偏屈者は、その瞬間に集中したいわけです。

そうすればその瞬間はどっぷり濃いものになりますよね。

それが楽しいと感じるんです。お金を出してまで失敗写真を量産して、「オーマイゴッド」となるわけですが、それもまた楽しみの醍醐味でもあるわけです。

これなんて高級フィルムをおじゃんにした記念すべき失敗談です(笑)

ですが、人間はこういうリスクをわざわざ楽しむという生き物らしいです。


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暇と退屈の倫理学』という本では、暇を恐れる現代人は失敗する不安を求めると書いてあります。ルーチンワークやコミュニティーの崩壊により自我を喪失した現代人は、わざわざちょびっと危険で少々不安な趣味なり行為なりにお金を払ってまで没頭します。

そうすることで、暇という空虚な自己との対峙を行う時間から逃れたいわけです。

フィルムカメラはこういった不安と緊張を与えてくれるんですね。

現代ではこれはすべて悪でありコストとして排除されるべきものですから。


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このように、フィルムでの撮影における緊張感は現代人にとってなかなか享受しにくい経験なわけで、あえてそこに向かっていくのは非効率的に見えて非常に人間臭い営みなんです。

さらにデジタルカメラではなかなかない個性的で尖ったフィルムカメラたち、しかもそのほとんどがいつ壊れてもおかしくない年代物であり、壊れてもパーツどころか治せる人間がいないカメラも多くあります。

この時間的希少性は、大量消費社会を担ってきたフィルムカメラが一周回って生み出した新たな価値でしょう。


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だからこそ、この貴重でいつ壊れるかわからない機械を手に、不安と緊張を抱きながら「それ」を求めて彷徨い歩く・・・ああ、たまらない!


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この古いフィルムカメラの希少性という時間的価値と、フィルムを使った不安を含んだ撮影行為という緊張感、これがたまらない自己満足を生むんです。

なんせその時間のすべてが僕の選択と行動に委ねられていると感じることができますからね。露出計がないカメラなんて更に緊張しますよ。

失敗しても時間とお金が飛んでいくだけなので死ぬわけじゃないんですが、不確定要素に身を委ねるというスリルは人間本来の快感なんだと思います。

これぞ人間らしさであり、業でもあるわけです。

そこのところを確信犯的にあえて楽しむ、これこそ現代のフィルムカメラスナップなんですねえ~


現代は道に迷うこともほぼありません。Google Mapが教えてくれますから、異常な方向音痴の僕でもスマホに導かれるまま目的地にたどり着けます。

でも、道順は全く覚えていない。

与えられた順当な結果ではないものが大事だったんだな、と思う日がいつか来るかもしれません。


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