見出し画像

幻の城塞を言葉で築く ジャックス・早川義夫

 TBSの朝の音楽番組「ヤング720」で、ジャックスの「われた鏡の中から」を聴いたのが、ぼくの早川義夫初体験でした。オールナイト・ジャパンで「からっぽの世界」を聴いたのは、その後だったと思います。たぶん1968年のことでしょう。その年の9月10日にジャックスのデビューアルバム『からっぽの世界』が発売されていますから。数えてみると、ぼくはまだ10歳でした。小学校五年生。いかんな、小学五年生にこんな曲を聴かせたら。

  われた鏡の中から
  俺を探し出すんだ
  雑音なしの俺を
  裸になった俺の俺を

  枯れた土から踊り出し
  俺は捨て身になるんだ
  鐘をならして駆けてゆく
  草のような花を摘んでゆこう
         (「われた鏡の中から」作詩 早川義夫)

  僕 おしになっちゃった
  なんにも話すこと出来ない 僕
  寒くなんかないよ
  君は空をとんでるんだもの
  僕 死にたくなんかない
  ちっともぬれてないもの
  静かだな 海の底 静かだな 何もない

  僕 涙かれちゃった
  頭の中が からっぽだよ 僕
  甘えてるのかな
  なんだかうそをついてるみたいだ
  僕 死んじゃったのかな
  誰が殺してくれたんだろうね
  静かだな 海の底 静かだな 何もない
         (「からっぽの世界」作詩 早川義夫)

 ぼくは、何か見てはいけないものを見たような、聴いてはいけないことを聴いたような、そんな感じしかしませんでした。それから四年後、中学2年のころに早川義夫に再会しました。ジャックスは解散し、早川義夫もすでに引退しており、ぼくは少し安心して彼に近づいたのです。ぼくらに残されていたのは、ジャックスの二枚、早川義夫の一枚、計三枚のアルバムだけでした。それからずっと、折に触れては聴いています。

 クレジットには、「作詩 早川義夫」とあります。作詞ではなく、作詩です。そこからも推し量れるように、彼の「歌い言葉」は、文学を志向しています。いや、ちょっと違いますね。演奏と「歌い言葉」が一体となった芸術(というと大げさでしょうか)を作ろうとしています。いや、これもきっと違います。なんと言えばいいかよく分かりませんが、そこに明確な「伝えたい意思」があるのは確かです。強烈なアジテーションです。何を伝えたいのかは、(たぶん)作り手にも聴き手にも明確にはわかりません。でも、そこからは確かに何か「得体の知れないもの」(中村敏夫)が迫ってきます。

  僕らは何かをしはじめようと
  生きてるふりをしたくないために
  時には死んだふりをしてみせる
  時には死んだふりをしてみせるのだ
       (「ラブ・ジェネレーション」作詩 早川義夫)

 その中心にいるのが、早川さんの「歌い言葉」です。演奏は、その世界観を構築するために奉仕します。とても演劇的です。それは特に、「からっぽの世界」で特徴的です。ギターとフルートで、水中の音感覚を再現します。文学的とも芸術的とも演劇的とも、言えるような言えないような、とにかく、そこに立ち上がるのは、確かに「ジャックスの世界」としか呼べない何かです。

 早川さんの詩に限らず、ジャックスの演奏は、献身的に言葉に奉仕します。そこで選ばれた歌詩は、確かに、それに耐えうるほど太く強い言葉です。

  嵐の晩が好きさ
  怒り狂う闇が
  俺の道案内
     (中略)
  水の中から あらわれる
  白い両手で俺を抱きしめ
  嵐を誘う
  水の中からわきでた生命
  ずぶぬれの髪と身体を
  激しく寄せて
        (「マリアンヌ」相沢靖子 作詩)

 ジャックス、早川義夫の「歌い言葉」は、演奏に100%の奉仕を求めます。その目的が、音楽的な完成にあるようには思えません。目的は、言葉の世界をより広く強固なものにするところにあるように感じられます。音楽は言葉の周辺の情景を描き、言葉の世界をより強固にしていきます。早川さん自身の声も歌も、音楽的なことには頓着しません。ただ、言葉を立ち上げるために、早川さん自身も奉仕している。言葉への奉仕を誰より強いられているのは、早川さん自身かもしれません。

 そう考えると、早川義夫の「歌い言葉」は、文学でも、音楽でもない、どこの誰にも作れない、誰も作ろうとさえ思わない、新しい地平を目指しているのかもしれません。音楽とポエトリー・リーディングが合体したような、まだ名前のない領域へ。

 引退から23年後に、早川さんは再び歌い始めました。そこで聴かれる言葉も、やはり早川さんの「歌い言葉」であったことを嬉しく思いました。いまは、再度、活動休止中です。もう一度歌ってくれてもいいし、歌わなくてもいいです。早川さん。

 
 【翌日の加筆】

 昨夜、早川義夫の「歌い言葉」を唯一無二のように書いたのですが、それが気になっていました。彼の声にその言葉はうまくフィットしていません。朝方、ふっと気がつきました。平曲です。盲目の琵琶法師が平家没落の物語を琵琶にのせて歌う、あれです。早川義夫の「歌い言葉」は、平曲のそれによく似ているのではないかと思ったのです。

 ぼくもあまり詳しくはありません。何度か聴いたことがあるという程度ですが、琵琶の音が風や嵐、時には、合戦の様子を描いているように感じたことを覚えています。謡曲ほどソフィスティケートされていない、ざらざらした触感を残したまま、土埃や雨音を再現して、聴き手を異世界へ導く平曲の世界。能楽のように堂に籠もって完成を目指すのではなく、野を歩き、その場の空気を震わせて、特別な空間を作り出す琵琶法師。それは、興業以前の世界。土との結びつきと、芸術世界への接触を両立させた稀有のものだったかもしれません。それはとてもジャックス的ですし、早川義夫的です。

 あーっ、すっきりしました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?