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Radicalであれ! 『気違い部落周遊紀行』、再び

 わっかりにくい文章だなぁ~、と思う。ぼくの書いた『気違い部落周遊紀行』についての文章のことだ。大学のころ「君のレポートは詩ですね。詳細な解説が必要です」と、教授にやっつけられたことを思い出す。あれから四十年以上も経っているのに、何にも成長していない。とほほ。で、少し書き足しておこう。

 松村圭一郎の『くらしのアナキズム』(2021)には、多くの引用、参考文献が使われている。モース、グレーバー、スコット、カスタネダ、網野善彦、柳田国男、鶴見俊輔、宮本常一、他にもたくさん。既に読んでいたり、ちょっとだけかじってあったり、これから読む予定があったりの本はいいのだが、「きだみのる」の著書が何度も出てきて、重要なポイントに多く使われているのに驚いた。

 父の書架にその名前を見た記憶がうっすらあるのだ。その頃のイメージでは「前時代の一発屋」、エセ評論家的なものだった気がする。だから一読もしていない。その後も、彼の名を見聞きすることはなかった。つまりほぼ50年ぶりに「きだみのる」の名を見て、ぼくはビックリしたのだ。えっ? 学問の人なの?? 

 というわけで、『にっぽん部落』を読み『気違い部落周遊紀行』を読み、そして圧倒された、というわけだ。

 前に書いたように彼は、戦前、ソルボンヌ(パリ大学)でマルセル・モースに師事している。モースは、『贈与論』で世界に衝撃を与えた社会学者、人類学者だ。彼は、それ以前から「小さな、そして比較的に孤立した、外界からの影響の少ない集落で現地調査、フィールドワークをして観察記録を残すよう奨めて」いたという(山田彝『気違い部落周遊紀行』あとがき)。そのような集落は、減少・消滅傾向にあるし、一度消えたら蘇ることのない独自の文化もっている。それを記録することの重要性を訴えていたのだろう。

 フィールド・ワークが「未開」の地において「文明人」の手によって行われるという流れは、今も続いている。それは確かに学問的に大切なことであろうが、そこにある「違い」を前提とした意識(『うしろめたさの人類学』・松村2017)を拭い去ることはできない。アフリカの奥地やアマゾンの部族、スマトラやニューギニアは、言葉は悪いが今も人類学者の大好物である。そこから脱却して都市の生活もフィールド・ワークの対象として意識されるようになったのは、つい最近のことだと思う。

 一方、時代の閉塞感は増すばかりである。もうごく少数の富裕層のための資本主義にも、形ばかりの自由主義(いまや新自由主義!)にも、うんざりしている。社会の根本を作りかえる新しい考え方が、世界中で求められている。幸せな1%になるためにしのぎを削る社会は、もう結構! なのだ。そのような方向を目指している人たちが確かにいる。

 そこに「きだみのる」の名前が出てきた。驚いて、早速読んでみた。

 きだみのるは、昭和八年にソルボンヌ入学、14年に卒業後、モロッコなどを旅して帰国している。その後アテネ・フランセでフランス語を教えていたが、学生たちの要望で自宅でもフランス語と社会学を教えるようになった。集まる学生が30名に膨れ上がったので、場所を探して、最終的に恩方村返名部落(現在の八王子市西部地域)の廃寺に行き着き、そこで生活するようになる(『にっぽん部落』)。
 そこでの生活は、戦中から戦後長く続くが、戦中から戦後まもなくまでの部落の様子を記した(雑誌掲載は1946年)のが、この『気違い部落周遊紀行』だ。

 きだは生来の旅行家である自分が、時勢のためにどこにも行けない。本来であれば世界のあらゆるところを旅して、その旅行記を読者に示したいのであるが、次善の策として「日本の一番小さな部落」に読者を招待する、というのである。だから「周遊紀行」なのだ。その際、筆者は「読者自身が日本人であるという感じ方を離れて貰う」こと、「私の紹介する部落の英雄や勇士たちが特に日本人であるという考え方も捨てておいた方が賢明」だという。つまり、客観的学問的態度で、学問対象を観察するよう求めているのだ。また、そこから我々日本人の姿が浮かび出てくるだろう、とも。

 そこに描かれる人々は、利己的で抜け駆けの功名心に燃え、賭博好きである。貧しく、不衛生である。しかし、互いに敬称を用いることなく、男女の言葉の違いもなく、真理を突く発言も多い。

 きだは、むすびにこう書いている。

 (この部落の人々が)日本人以前的であるということこそ、もしそれが動物的にまで烈しい生活への意欲ということを指すなら、今日の日本にとっては何よりのものことではあるまいか。日本人以前的なものが日本人になかったら、今日我々は一体何が出来るであろうか、理解に困難である。これは現在の崩れつつあるものの下で新しい生活を恢復するたった一つの力である。文化の表面に浮ぶものは常に散る花だ。新しい蕾は潜んだエネルギーから次々に咲いてくるのだ。そして私は部落の英雄たちから自己を出来るだけ遠ざけることに楽しみと誇りを見出される文化的読者にはこう云おう。
 Mutatis mutandis, de fabulae narrantur
 条件を変えれば、これはあなたのことです。

 戦後の混乱の中で、あるべき未来をがっきと見据えた人の言葉だと思う。混乱の、そして食糧難の時代に、多くの知識人が戦勝国からなだれ込む価値観になびき、我先に新時代の旗手たらんとする時代に、彼はradicalであらんとし、それを読者にも求めた。根源を見据えよ、というのである。我らの根源にある「気違い部落」「にっぽん部落」を見つめよ、と。

 これはわたしたちのことです。

 そしてそこには、大切なことが、今こそ必要なことがたくさんあると、教えてくれたのが松村圭一郎である。

 うーん、長くなってしまった。金子光晴や宮本常一や太宰治(鶴見俊輔を忘れてた!)をどうして引っ張り出したのか、彼らとのどんなつながりを感じたのかは、また次の機会に。

  

 

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