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夢幻鉄道~シオン~



【1】


ばあちゃんが僕の名前を
呼ばなくなってからもう1年経つ。

呼ばなくなったのは僕の名前だけじゃない。

父さんの名前も、母さんの名前もだ。


日当たりのいい縁側で
ばあちゃんはいつも静かに
死んだじいちゃんの写真と
話をしている。

【2】


僕が学校から帰ってくると
ばあちゃんは挨拶をしてくる。

「こんにちは。今日もいい天気だね。
お兄ちゃんはどこから来たの」

まるで知らない子に話しかけるみたいだ。

僕はそう言われることが辛くて
出来るだけばあちゃんと

顔を合わせないようになっていた。

【3】


僕は小さな頃から絵を描くのが好きだった。

それをばあちゃんに見せるのが好きだった。

ばあちゃんは僕が小さい頃から
柔らかい笑顔で
同じ言葉を僕に言う。

「上手だねぇ。
やっぱりしんちゃんの絵は日本一だねぇ」


【4】


小学校の高学年のとき。
自信満々にコンクールに応募した
僕の絵は落選した。


その落選した絵にも
ばあちゃんはまた同じ言葉を贈った。


その日を境に
僕は絵をばあちゃんに見せなくなった。


だってばあちゃんは、
どうせ同じ言葉しか返してくれないのだ。

僕の絵は
日本一なんかじゃないじゃないか。

僕は、そのまま絵を描くことも
やめてしまった。

【5】


夏休みの中の少しだけ涼しいある日。

風鈴の音が聞こえる縁側で
ばあちゃんが
うたた寝をしているのが見えた。

ばあちゃんはよく眠っている。
そして眠りながら笑っている。

起きているときは
もうほとんど笑わないのに。

僕はそんなばあちゃんを横目で見て
自転車に飛び乗って家を出た。


【6】


びゅんびゅん風をきって
夢中で走っていたら
見たことがない道に出た。


こんなところに線路なんてあったっけ?

目線で線路をたどると、
視線の先に駅があった。


駅には今まで見たことがないような
綺麗な列車が停車していた。


【7】


列車に近づくと、扉が開いていた。
僕は興味本位で中に入ってみる。


人がたくさん乗っているけれど
誰も何も話していない。


妙に静かで気持ち悪い空間。


外に戻ろうと思ったその瞬間
列車の扉が閉まってしまった。


「まって。降ります」


【8】


僕は大声で叫んだけれど
列車は無情に動き出した。


どうしよう。


どこへ行ってしまうんだろう。

外の景色はどんどん変わっていく。

帰れなくなる不安で
僕の胸は押しつぶされそうだった。

【9】


しばらくたって列車が止まった。


「幸福駅、幸福駅。終点です」

どこだかわからないけれど
とりあえず降りてみよう、と
僕は列車から降りた。


駅を抜けた先はただひたすらに
紫の花が咲き誇る原っぱだった。


その中にぽつんと家が建っていた。

どこか懐かしい、その家。


…ばあちゃんが前に住んでいた家だ。

僕が中学に入る前に
じいちゃんが死んでしまって

ばあちゃんは
僕の家に引っ越してきたのだ。


【10】


ばあちゃんの家は
僕の家からそう離れていないし
列車に乗ってまで
行くような場所にはないし

こんな景色の中には建っていなかった。


でも、確かにその家は
ばあちゃんの家そのものだった。


僕はゆっくりとその家に近づいて行った。


【11】


庭先に近づいたら
信じられないものが見えた。


じいちゃんがいる。


じいちゃんの近くに
子どもが4人ぐらいいた。

同じような顔立ちだけど
少しずつ年齢が違うみたい。


着ている服に見覚えがある。

あれは…

…小さい僕…?


【12】


小さい僕はみんな一人一人

クレヨンや、鉛筆や

ただの棒きれを持って


紙や、壁や、床や地面に
楽しそうに絵を描いていた。


それをじいちゃんは
ニコニコしながら見ている。


家の奥から女の人が
ゆっくり出てきた。


…まさか。


ばあちゃんだ。


【13】


そんな馬鹿な。

ばあちゃんはもう
一人で列車になんて乗れない。

さっきもうちの縁側で
うたたねをしていたじゃないか。


そもそも、なんで
じいちゃんがいるんだ?

あの子どもたちは僕?


なんでいろんな僕がいるんだ?


僕はもう、わけがわからなくなった。


【14】


ぼんやりと庭先から中を見ていたら
ひとりの「僕」が「僕」を見つけた。

この服は見覚えがある。
僕が11歳のとき流行っていた
アニメのTシャツ。


「11歳の僕」は言った。


『ここは、ばあちゃんの夢の中なんだよ』


僕ははっとした。


ここは、幸せそうに
うたた寝をしていた
ばあちゃんの夢の中。

『夢の中で”僕たち”は
いつも絵を描くんだ』


少し小さい僕と
うんと小さい僕が
嬉しそうに会話に割り込んでくる。


『それをじいちゃんと
ばあちゃんにみせるの!』

『じょーじゅだねって、いってくれる!』

【15】


その言葉を聞いて僕は思わず
「11歳の僕」より大きな僕を探した。

でも、楽しそうに絵を描く
「僕」たちのなかに
今の僕はいなかった。

そうだ。

僕が絵を描くのをやめたのは
11歳のときだった。

僕が絵を描く夢の世界に
今の、13歳の僕は、いないんだ。


【16】


3歳ぐらいの僕。


5歳ぐらいの僕。


7歳ぐらいの僕。


11歳の僕。

みんなが好きなように絵を描いて

ばあちゃんはあの笑顔で
ひとつひとつ絵を見ては
いつものあの言葉を言った。

もう1年以上、
僕はあの言葉を聞いていない。

僕の名前を呼ばなくなったばあちゃんから
もう、きっとあの言葉を
聞くことはないだろう。


とても懐かしくて、
胸が苦しくなるあの言葉。

【17】


紫色の花が風に吹かれて揺れた。


僕はただぼんやりと、「僕」たちが
ばあちゃんに絵を
見せに行くのを見ていた。


みんなすごく楽しそうに
嬉しそうに絵を見せに行って


あの言葉を貰って
はち切れそうな笑顔を浮かべている。


そしてまた嬉しそうに
次の絵を描き始める。


ばあちゃんの心の中に
僕はちゃんと生きている。
僕のことを忘れてなんていなかった。


むしろ、本当に大切なものを忘れていたのは

僕だったのかもしれない。

【18】


世界が突然ゆらぎはじめた。

『ばあちゃんが目を覚ますよ。
早く列車に戻って』

11歳の僕が、13歳の僕に言う。

僕は戻りたくなかった。

でも、身体が勝手に
列車の方に引き戻されていく。


「まって!まだ帰りたくない」

僕は無我夢中で手を伸ばしたけれど
気付いたら列車の中にいた。


手には、原っぱに咲き誇っていた
紫色の花が1本握りしめられていた。


【19】


駅を出て間もなく、車掌さんがやってきた。


「おやおや…夢の世界のものを
持ってきてしまいましたね。

現実世界に夢の世界のものを
持っていくのはご法度です。

こちらで回収させていただきますね。

…この花の名前、ご存じですか?
紫苑というんですよ。

おばあさまの夢に
ぴったりなお花ですね」

にっこりとほほ笑んで
手にした花の香りを嗅ぎながら
車掌さんは行ってしまった。

僕はただぼんやりと
現実世界にもどる列車に揺られながら
さっきの景色を思い出していた。


【20】


駅に降りたら、今乗っていた列車は
まるで幻のように無くなっていた。

時間も殆ど経っていないようだった。

そう、ほんの、
うたた寝をする程度の時間しか。


【21】


僕は家に帰って
しまい込んだクレヨンを引っ張り出した。


外が薄暗くなっていくことにも
気が付かないほどに

何かに操られるように
僕は夢中で絵を描いた。


ひたすら
紫色のクレヨンが小さくなっていった。


【22】


「ばあちゃん、見て」

僕は描き上げた絵を
ばあちゃんに持って行った。

いつぶりだろう。

うつろな目をしていたばあちゃんが
ゆっくり顔を上げて僕の絵を見た。

そして絵を見て、微笑んで言った。

「上手だねぇ。
やっぱりしんちゃんの絵は日本一だねぇ」


…本当はずっと
僕はこの言葉が大好きだったんだ。


僕の目からぽろぽろ涙がこぼれて
それは、しばらく止まらなかった。


【23】


数年後。

元気だったばあちゃんは
じいちゃんを追うように
あっという間に死んでしまった。

遺影の横には
13歳の僕が描いた絵が飾ってある。

僕はあの日から絵をまた描いている。

絵を描きたい気持ちが折れそうなときは
あの時の絵を見て、
心の中でばあちゃんに話しかけるんだ。


「…もう、忘れないよ」


※紫苑…花言葉

「あなたを忘れない」
「追憶」

あとがきはこちら




#夢幻鉄道 #創作 #西野亮廣エンタメ研究所

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