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楽しいから作り続けられる


『仕事』って何だろう?


今私は、ほとんど仕事をしていない。
それはほとんど収入を得ていないからだ。

…そう思っていた。

でも「仕事」の意味を調べてみたら
そんなことはないと気が付いた。

『仕事』の意味

1 何かを作り出す、または、成し遂げるための行動。「やりかけの仕事」「仕事が手につかない」
2 生計を立てる手段として従事する事柄。職業。「将来性のある仕事を探す」「金融関係の仕事に就く」「週の半分は自宅で仕事する」
3 したこと。行動の結果。業績。「いい仕事を残す」

…以下略。

goo国語辞典より~

私が仕事と思っていたのは2の意味。

でも、1の意味なら
私は今、ちゃんと仕事をしている。
そして3の仕事にするために継続している。
それを2にしていきたいと思っている。

…だから、私はちゃんと
「仕事」をしているのだ。


今の自分になる前。
私は独身時代から10年近く、
設計事務所で図面を引いたり
申請書類を作る仕事をしていた。

途中で結婚、出産。
家事育児と仕事を両立。

子どもが熱を出したら謝りながら帰り

仕事が立て込んでお迎えに遅れれば
先生に嫌味を言われ

保育園行きたくないと子に泣かれ
泣く子を園に置いて出勤する車の中で
ここまでして働く意味はあるのか、と
泣きながら自問自答し

仕事のストレスを家庭に持ち込んで
子どもに怒鳴り散らしては後悔する日々。

仕事、家事、育児。

母、妻、女、主婦、
職員、先輩、後輩、わたし。

沢山の自分を使い分けるうちに
私の頭の処理能力はパンクした。

長年続けた仕事を辞める決断をするときは
心底、苦しかった。

”子どもを産まなければもっと頑張れた”

そう思ってしまう自分が悲しかった。

ワーキングマザーを頑張れたのは
ほんの5年間だった。
いや、5年間でも十分頑張ったよね?
頑張ったと思う。自分。


生計を立てるための仕事


建築設計の仕事は世間的に見て
「手に職」の職業だった。
私は退職前に2級建築士の
資格を取得したのでなおの事
「働き続けないと勿体ない」と周りは言う。

私も実際そう思っていたし
やめた後も「いつまた設計に戻るのか」と
周りは簡単に言う。

設計の仕事は、家事育児と両立するには
あまりに複雑で、移り変わりが激しい。
それでもやれている人はやれているけど。

正直、育児片手に戻りたいとは
今は到底思えない…。

私が勤めていた職場は、施主のために
頭をめぐらせて創作する建築ではなく
役所を相手に書類を作る建築が中心だった。

学校の壁のひび割れ調査だとか
施設の耐震診断だとか。

それはそれでオモシロイ世界ではあったが
役所を相手にする仕事は
私にとって「楽しい仕事」ではなかった。

枠にはまって大人しくしていれば
それなりに報酬を得られるけれど
枠から外れるのが許されない仕事。

”今までやったことがないから”
”ずっとやってきたやり方は変えられない”

そういう言葉だけで、こちらの提案が
切り捨てられる仕事。

誰か施主さんがいて、その人の想いに沿って
建築物を一から作り上げる

そういうことをやりたいと願っても
いつも私に回ってくるのは役所の仕事。

手に職だから…
正社員として働けば
安定した収入が得られるから…

私はその想いだけで
子どもを育てながら仕事をつづけた。

仕事が楽しくないとぼやくと
みんな口を揃えて言う。

「仕事なんて、そんなもんだよ」

でも、私は面白くない仕事に
モチベーションを保てなかった。

独身時代はそんな仕事の中にも
面白さを探し出す余裕があったが

子育てとの両立になって
面白さを模索する余裕はなくなった。

ただ淡々と、目の前に現れる仕事を
機械的に事務的に片づけていく日々。

それは、自分にとって
心底つまらない日々だった。

ただ”生計を立てる”それだけのための仕事。


生計を立てる仕事を辞めて見えた世界


仕事を辞めてから私は
子育てと両立できる職探しを始めた。

キャリアアップ講座みたいのにも
やたらと行きまくった。

そこで多くの人に出会い
今まで見たことのない世界を見て
今までと違う生き方を知った。

”手に職だから”
”正社員だから”
”折角キャリアを積んだから”
”子育てにはお金が必要だから”

そんな理由で仕事に追われる日々は
多くのことを見えなくしていた。

世界が広がった私は
色んなことに挑戦した。

今までいなかった仲間が増えた。

収入はないが、
収入があったころより楽しい日々。

そんな最中、娘の発達障害が発覚。
保育園に任せていた部分、もっと
子どもと向き合う方向にシフトした。
療育先探し、発達の勉強。
そして職探し。

それは職についていたころより
ずっと忙しい日々だった。

発達障害の子育てをしながら
勤められる職場なんてそうそう見つからず

私は個人で仕事を作る方へと
想いを変えていった。

子どもだって楽しいのがいいのは同じ


娘は小学生になった。
私は今、子どもに「宿題」をさせていない。

だって、楽しくないでしょう?
楽しくないことは頭に入らない。
私はそう思っている。

コロナ休校の時期、学校から物凄い量の宿題が出た。

そのころの私は
「宿題はやるべきもの」「子どもの仕事」
だと思っていたから
とにかく毎日「宿題、宿題」
言って娘と喧嘩ばっかりしていた。

でも、ただでさえストレスになる休校期間

宿題のために親子関係が
ギスギスする毎日に
ついに嫌気がさした。

泣きながら文字を書いて
文字がうまくなるものか。

泣きながら足し算をして
計算など出来るものか。

だから私は宿題させるのをやめた。

それは、学ぶことを放棄したわけじゃない。

外を散歩したら花の絵を描かせた。
名前を調べてもらって絵の下に書かせた。

お料理を手伝ってもらった。
材料を計測してもらい
レシピも作ってもらった。

文字を書くことが嫌いな娘に
文字を書く練習をしてもらうため
大好きな歌の歌詞カードを作ってもらった。

楽しんでやる学びだったら
子どもは嫌がらずにやる。

もっと、もっとと次を求める。

泣きながら宿題をやっていたときの字と
花の名前やレシピに書かれた字。
歌詞カードの字。
全然違うし、頭にも入ってる。

遊びの中に学びがあって
楽しいから学びたくなる。

勉強が楽しくないとぼやく子どもに

「勉強なんてそんなもんだよ」
私は言いたくない。

楽しめるようにはどうしたらいいか?

新しいことを知ることは楽しいのだ。
出来なかったことが出来るようになることは
楽しいのだ。

誰かに課題を与えてもらうのではなくて
自分でやりたいことをつくるのは楽しいのだ。

勉強にも、仕事にも

「そんなもんだよ」なんて
そんなつまらない言い方はしたくない。


楽しいから作る。作るから生まれる。


私には今、やりたいことがいくつかある。

一番の目標点は
生きづらい人々も過ごしやすい空間を
建築設計をやっていた経験を活かしながらつくっていくこと。

そのうちの土台作りとして、今私は
「娘の人生を人に伝える”仕事”」をしている。

5歳で発達障害が発覚した娘。
その娘が過去を振り返り話す想い出。

娘の発達障害はわかりづらい。
わかりづらいから気付かれずに
それによって沢山傷ついてきた。

それを人に伝えたい想いもある。
生きづらい子は
「何を」生きづらいと思っているのか。

その中身を知ってもらう事。
それが、今、気づいてもらえずに苦しんでいる生きづらい子たちを助けることに繋がったらと。

マンガが多分一番多くの人に受け入れてもらいやすいと私は判断した。

今は、土台作りの時期。


*
*

私は役所相手の仕事をたくさんしてきたから
発言力が小さいそこらの主婦がそれなりの箱を作るのに挑むことが大変なことはよーくわかっている。

「肩書があって」
「それなりの年齢で」
「大抵、男性で」
「権威を持つ人」

そういう人の方が、何かを進めるときは有利なのが現状。

前の職場に勤めている頃。

私が申請書類を持って行って
薄ら笑いで不備を指摘され
修正しないと受理できないと
言われているところに

たまたま事務所の所長が別件で入ってきて
所長が一声「まぁ頼むよ」と言った途端
相手の人が「仕方ないなぁ」と笑って
その書類をあっさり受け取ってもらえたことがあった。
(修正はその後も出るにしろ、まず受理してもらえることが重要なのだ)

書類を受理してもらえた嬉しさより
自分が馬鹿にされたような虚しさが残った。

書類の内容より、人で審査される。
そんなもんだ。

だから今は自分が
「そこらの主婦」ではなくなるための
仕事の積み重ねでもある。

マンガである程度
世間に知られた存在になれたら
「発言力がある存在」として
薄ら笑いで帰されることは
なくなるかもしれないと。

マンガだけではなく、他にも、色々。

今は毎日毎日、朝4時に起きて
2時間ほど作業したら
主婦の仕事にシフトして洗濯に炊事。

下の子の幼稚園がある日は
幼稚園の間また仕事。

幼稚園がない日は母の仕事にシフトして
子どもと公園に行って遊び

夕方また主婦にシフトして家事をする。

夜は母として、子どもと一緒に
泥のように眠る。

スキマ時間で
スケッチブックに下書きを描いて
早朝それをまた仕上げていく。

それが今の私の習慣。

スキマ時間に仕事なんて
前の職場に勤めていたころは
絶対やりたくなかった。

スキマ時間に法規の本を読むとか
図面を引くとか構造計算するなんて
絶対やりたい気持ちになれなかった。

でも今は、スキマが出来たら仕事したいのだ。

むしろ仕事しないと落ち着かない。

それは、楽しいからに他ならない。

楽しみながらやる仕事は
次々と次につなぐ意欲を生んでくれる。


不安になることだってあるけれど


とにかく続けて、書き続ける日々。
楽しいことは楽しい。
でも、結果が見えてこないと不安にもなる。

収入が得られないので
経済的な不安も強くなってきた。
それでも私は描いている。

仕事でも人生でもなんでも
楽しいだけではすまないのは当たり前の事。

だからまずは続ける。
伝え続ける。

書くことと、続ける事。
それは母でも主婦でも、スキマ時間で出来る事。

マンガばかりじゃない。
文章を書くことも、noteで楽しんでいる。
小説も何本か書いてみた。
とにかく色んなことを楽しんでやってみたい。

”仕事”を楽しむことは
人生をつくる事なのだ。

私にとって、楽しくない仕事をすることは
人生そのものを楽しめないという事かもしれない。


つくるのはたのしい



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