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夢幻鉄道~閉じた世界の内側で(後編)~


前編から読む方はこちらから



【22】



『ざ、ざざざ…


コレは本当二辛いネ!

ねえ”カナちゃん”

次はどの

”悲しイ記憶”を

聴きたイ・・・?』


ココロチャンネルは
無情なほどに明るい声で
次の放送を流そうとした。


「放送を止めろ!
どこでこんなものを流しているんだ!


ここはカナの心の中なのか?
カナ、どこかにいるのか!?」

僕は叫んだ。
どこからも返事なんてなかった。

ココロチャンネルからまた
何か音が流れてくる。

こんなものはもう聞いちゃいけない。
悲しくなるだけだ。

「父さん、カナにひどいことを
言っていたんだな。

母さんが言っていたよ。

「カナの事を見てあげて」って。

僕は、僕なりに
見ているつもりだったんだ。

でも、見えてなかった。 

…こんなところから出よう!
ココロチャンネルなんて
これ以上聞いたらダメだ!!」

僕は叫んだ。

うっすらと、町の中心にある泉が光った。

また目が出てくるのか?
ぼくは恐る恐る泉に近づいた。


泉は見た目よりずっと深いようだった。

ずっと奥の底の方で
小さな光がちかちかしているのが見えた。

「…カナ…?」


【23】


何故だろう。
僕はその小さな光をカナだと思った。


「息が苦しいの」


夏休みの終わりに
カナが僕に言った言葉を思い出す。


「・・・カナ!」


僕は無我夢中で
泉の中に飛び込んだ。


【24】


泉の中は暗くて冷たかった。

でも、あの不愉快な
ココロチャンネルの声が
聞こえなかった。


あの声が聴きたくなくて
カナはずっとこの中に
自分を沈めているんだろう。


僕は何も知ろうとしなかった。


カナが学校に行かなくなってから
僕が考えたことはなんだ?

カナに発達障害が
あるかもしれないと妻が言って
僕が思ったことは何だ?


「学校は義務」

「甘えるな」

「育児失敗」

「世間体が」

「差別される」

「障害者の親」

「不登校児の親」


そうだ、僕は
自分の都合をカナに
押し付けていただけじゃないか。

水の中にいるのに
涙が流れるのがわかった。
不思議な感覚だ。


…僕は、ダメな父親だった。


【25】


小さな光が近くに見えてきた。

体育すわりをして小さく丸まった
カナの姿が目に入った。

「カナ!」

水の中なのに
僕の声は不思議と響いた。


小さなカナが
ふっと顔を上げて
驚いた顔をした。


最初に休んだ日に
「見てはいけないものを見た」ような
あの目で僕を見た。


僕のことをもう
この子はきっと信じていない。


でも、信じてほしい。

大丈夫だ。
もう同じ間違いはしない。


こんな暗いところに一人ぼっちで

いさせてしまって本当にごめん。


【26】



僕はカナの手を
半ば無理矢理掴むと
明るい水面に向かって泳ぎだした。


カナは掴まれた手と
反対の手で僕の手を掴み
一緒に行きたくないと言わんばかりに
引き剥がそうとした。


そうだよな。

水の上に出ても
ココロチャンネルが鳴り響いているし


さらにまた僕が「甘えるな」って
言うんだと思ってるんだろう。


違うんだ。
違うんだよ。


甘えだなんて、もう、思ってない。


僕はただ、息が出来る地上で
もう一度カナと話がしたいんだ。


カナは必死でまた
底の方に戻ろうとする。


ダメだ、もう、そっちに潜っちゃだめだ。

なあ、カナ
僕の方を見てくれ。


カナはこっちに顔を向けない。

救えないのか。
ここまで来たのに


僕は、自分のたった一人の娘を
救えないのか。





【27】



…そのとき
水面の方からもう一つ
誰かが飛び込んできた。

その手は僕の手と
カナの手を一緒に掴んだ。

カナがふっと顔を上げると
カナはとてもやさしい顔をした。

その飛び込んできた影は
僕の、妻だった。

妻は優しく、僕の手をはがそうとする
カナの手を握った。


そして、僕に向かって微笑んだ。

僕と妻は顔を見合わせてうなづいた。


その様子を見ていたカナの手が
僕の手をそっと握り返してきた。


 僕は笑った。
カナも笑った。


…一緒に行こう。


息が出来る世界へ。


【28】


僕と妻とカナが水面に顔を出した先は
潜る前に泉があった
白い空間じゃなかった。


最初に降りた駅「ヒナノス」。

駅には、来るとき乗ってきた
列車が停車していた。


「お父さん…もう、帰る時間だよ」


目を合わせないまま、カナが言った。


「…カナ。帰ったら、話をしよう」


「”余計なこと”はいわないでね」


妻が笑って言った。


「気を付けるよ」


僕は苦笑いした。

僕は列車に乗り込んだ。
当然のようにいつもの場所に立つ。

さっき見た景色と、外の様子が違う。
枯れ野原だった景色は
ほんのり緑に色づいていた。


この少しの時間で
季節が変わった…?


まぁ、そうだな。
この世界なら
何が起きても不思議じゃない。


【29】


列車に乗ると
車掌がぽつぽつとしゃべりだした。


『人の心の中は決して
知ることは出来ませんが
想像することはできます。

心の中を知れなくても
知ることが出来ることはあります。


自分の視点だけで
相手を想像するのではなくて
相手の視点も想像すること。


それが出来ていないのであれば
思いやりではなくて、ただの
独りよがりかもしれません。


ラジオネーム”カナちゃん”

手の温もりを…
そのときの想いを…

…決して、お忘れなきよう…

ご乗車、ありがとうございました』

流れる景色が霞んで消えて


気付いたら僕は
8番線のホームに立っていた。


いつもと同じように
人々が行きかう、いつものホーム。


時計を見ると
もう昼過ぎだった。


スマホに会社からたくさんの
着信履歴が残っている。


一体、僕は
どこへ行っていたのだろう。


僕は会社に電話した。


「連絡が遅れて申し訳ありません。

…今日は、娘と話をするので
会社を欠勤させて頂きます」

「娘と話!?何を…
今日は大切な会議が…!」


話の途中で僕は電話を切った。


どんな会議より大切な話が
今の僕にはある。


【30】



突然変な時間に僕が帰宅して
二人の時間を過ごしていた
妻とカナはぎょっとした。


しかしカナは前のようにそこから
逃げ出さなかった。


相変わらず目は合わせないが
囁くように僕に言う。


「今日ね…。

お父さんが夢の中で
私を助けてくれたんだぁ…


凄く嬉しかったんだよ」


…夢の中…?

「そうか…

そうだったのか…

なぁ、カナ。
お父さんとこれから
いっぱい話をしよう。

カナの話を聞きたい。

いいかな」

カナが、本当に何か月ぶりかに
僕の目を見た。


「…いいよ…」


【31】


僕たちは、たくさん話をした。


カナの言葉をたくさん聞いた。


自分の心の中で
ラジオのように嫌な記憶が
繰り返される話をしてくれた。


ノートをとりながら
話を聞けないこと


人の目が怖いこと


特定の音が大きく聞こえること


色んな音が
まじりあって聴こえること


縄跳びが跳べないこと


鬼ごっこのルールがわからないこと


みんな当たり前に出来ていることが
自分には出来ないこと


失敗するたびに
みんなが見ている気がすること


それらが不安で怖くて
人の中に入っていけないこと


カナが話すことは
僕があの世界で
体験したことばかりだった。


僕がそれに共感を示すと
カナはびっくりした顔をして


「お父さん、心の中が見える
エスパーみたい」

と、笑った。


実際に見てきたんだよ、という言葉が
喉元まで出てきたが
それは言ってはいけない気がした。


こんなカナの笑顔を見たのは
数年ぶりかもしれない。


【32】


夜、カナが眠った後。
妻がそっと、
僕に何冊かの本を差し出した。


発達障害についての本。


「あなたにも、知ってほしいの。
障害について知ることが
本人にとって、
本当に可哀想なことかどうか


知ることが、差別に繋がるかどうか」


僕はその本を読んだ。


そして、多くを知った。


今までの自分の考え方は

…一体、どれだけ


他者を知ろうとして
いなかったのだろうか。


そして


自分すら知ろうとして
いなかったのだろうか…。


【33】



カナは僕と話をしてしばらくしてから
病院に行って検査を受け
発達障害の診断がついた。


学校では個別取り出しで
特別支援級に通うようになった。


人数が少なく、理解のある支援級に
行けるようになると
カナの学校生活はすっかり落ち着いた。

同じような悩みを持つ友人も出来て
学校生活が楽しくなったようだ。


”みんなと遊ぶこと”を
強要されないのだと
カナはとてもうれしそうだった。


たまに休んだりはするけれど
僕はもうそれに何も言わない。


カナの不登校生活は
こうして終わりを告げた。


【34】


ある日の朝、
いつものコンビニで

あえて僕は違う缶コーヒーを買った。


あの日と同じこのコーヒーを買ったら
またあの世界に行けないかな。

カナの夢の中は
きっと少しだけ
過ごしやすくなっているはずだ。


…そんな風に思ったのだ。

「あれっ、お客さん!
いつもの缶コーヒー、ありますよ!?

お客さんが毎日飲んでるっていうから
俺、気を付けてるんです。
うっかり売り切れちゃったら困るから
冷蔵庫の奥に一本よけてるんす。


もしかして売り場になかったですか!
俺、出してきますね!」


「あ、いいんだ!
売り場にはちゃんとあったよ。

…僕はたまたま、
今日はこれを飲みたい気分で…

でも…ありがとう。

いつものコーヒーも買っていくよ」


責任がないと僕が決めつけた店員は
ちゃんと責任をもって仕事していた。


あの列車から降りる間際に
車掌が言った言葉を
うっすらと思いだす。


きっと、僕は色んなことを
独りよがりにしか
見ていなかったんだ。


【35】



「すいません…
また伝票を書くのを
忘れてしまいました…」


いつもの”ボンクラ後輩”が
また伝票を書き忘れたようで
同僚から怒鳴り散らされている。


僕は後からそっと後輩に声を掛けた。


「なあ、どうしても忘れてしまうなら
ちょっと付箋に書いてみないか。


…実はね。
僕もかなり忘れっぽいんだ。

だから忘れないように
いちいち全部書いているんだよ。

僕の机を見たかい?
気持ち悪いぐらいに付箋が貼ってある。

脳みそが頑張れないところは
外側に記録しておけばいいんだ。」


僕は自分の頭を
人差し指で軽くこづいて
ニヤッと笑った。


「大丈夫だよ、君はちょっと忘れっぽいけど
仕事の内容はしっかりできているから。

ちょっと、試しにやってみてくれよ」


いつも一緒になって怒鳴り散らす僕が
急にそんなことを言ってきたもんだから
後輩はびっくりした顔をしていたけれど


しばらくすると、その方法を
自分の仕事に活かしはじめた。


そうすると、どうだろう。
彼は一気に仕事が
出来るようになったんだ。


そうだ、彼は
仕事が出来なかったんじゃなかった。


自分が上手に仕事をするやり方が
わからなかっただけなんだ。


人を見て覚えろなんて
簡単に言う人もいるけれど


それがそもそも難しい人も
沢山いるのだ。

そういう人に

教えてあげることの何が悪い?


教えてもらうことの何が悪い?


【36】


後輩の机が僕の机みたいに
気持ち悪いぐらい
付箋だらけになっていくのを見て
みんなが笑った。

「君もルーティーンを作ってみたら
案外もっとうまく過ごせるかもしれないぞ」

僕の”ルーティーンへの拘り”も
会社の連中はよく知っていた。

ルーティーン。

こだわり。

外部記憶。

短期記憶。


そう、きっと僕も
カナと同じものを持っていたんだ。


知ってみれば、思い当たるものは
沢山あった。

知らないうちはただの
”甘え”だとか
”やる気がない”だとか
そうやって切り捨てていたもの。

それが”やりたくても出来ないこと”だと
僕はこの年になってようやく知る。


僕はそれでも
たまたま上手に生きてきた。
恵まれた環境で生きてきた。


それだけだった。


【37】


自分が上手にやれるんだから
みんな同じようにやれるなんて

たいそうな思い込みだった。

気付いてない相手に
気付かせてあげられたら
少しずつみんな
楽に生きられるじゃないか。


自分の世界しか知らないままでは
誰の世界も知ることは出来ない。


まずは知ろうとすることが大切なんだ。


みんながお互いを知れば
きっともっと優しい世界になれる。


あの日、あのとき

あの世界に迷い込んだことを
僕は心から感謝している。


握り返された手の温もりを

…僕は、

ずっと忘れない。





おしまい


この作品についての

あとがきはこちら


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