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空と海と半島と、時々コミネ先生〜フットボールの白地図 【第3回】 長崎県

<長崎県>
・総面積
 約4130平方km
・総人口 約131万人
・都道府県庁所在地 長崎市
・隣接する都道府県 佐賀県
・主なサッカークラブ V・ファーレン長崎
・主な出身サッカー選手 小林伸二、勝矢寿延、高木琢也、森保一、前川和也、徳永悠平、中村北斗、梅崎司、田川亨介

 京都府からスタートした「フットボールの白地図」を塗りつぶしていくプロジェクト。前回は、全国2番目の面積を誇る岩手県を塗ったので、今回は思い切り西の果てに視線を向けることにしたい。九州の長崎県である。

 かつて私は長崎県について「空と海と半島でできている」と表現した。県全体のフォルムが、ゴツゴツした半島と島で構成されており、長崎市、島原市、諫早市、佐世保市などは、半島ごとに生活圏が完結しているようにも感じられる。高速道路が整備される以前は、それぞれの市を行き来するのも難儀したそうである。

 そんな長崎県を初めて訪れたのは、2004年の天皇杯。長崎県立運動公園陸上競技場(県総)にて、数人の地元の若者たちが「長崎県にもJリーグクラブを!」というビラを撒いていた。今にして思えば、半島や島ごとに区切られていた長崎県を、ひとつにまとめる存在が内在的に求められていたのかもしれない。

 そして2005年に誕生したのが、V・ファーレン長崎である。こちらは設立されて間もない頃の練習風景。ほぼ全員が働いているので、トレーニングは夜。場所は、国見高校の土のグラウンド。練習着もバラバラである。

 V・ファーレン長崎は、九州リーグを脱するのに4年、さらにJFLを卒業するのにも4年を要した。前者については地域決勝(現・地域CL)の分厚い壁に阻まれ続け、後者についてはスタジアムが完成するまで足踏みを続けるほかなかった。

 長崎国体が開催される前年の13年、県総(現・トランスコスモススタジアム長崎)の改修工事が完了。V・ファーレン長崎も晴れてJ2に昇格し、監督には地元出身の高木琢也氏が就任した。ここから今に至る、サクセスストーリーが始まる。

 そのオープニングゲームについては、7年前に書いたこちらの記事を参照していただきたい。この時の対戦相手は、J2に降格していたガンバ大阪。現地を訪れていたガンバサポを夢中にさせていたのが、マスコットのヴィヴィくんであった。そのあざと可愛さが全国のJサポに広まるのは、もう少しあとの話だ。

 V・ファーレン長崎がJ1に昇格した18年の夏、カミさんと長崎県を旅した。サッカー観戦だけなら、トラスタがある諫早市で完結するが、それだけではもったいない。まずは長崎市の大浦天主堂を訪れて、キリシタン迫害の歴史を体感する。

 雲仙市では、当地の温泉を愉しんだ。宿泊したホテルには、高校サッカーの名伯楽にして、V・ファーレン長崎設立に大きな役割を果たした、小嶺忠敏先生の直筆サインが。驚いたのが、その隣に往年の大女優、岸恵子のサインが飾られていたこと。県内におけるコミネ先生の存在感を痛感した瞬間であった。

 島原市では、島原城の天守閣から城下町を一望してみた。コミネ先生は島原商業時代、ここからグラウンドを睥睨(へいげい)し、練習をサボっているサッカー部員がいないかチェックしていたという伝説がある。この光景を私は「コミネView」と命名することにした。

 長崎県もまた、美味しいものには事欠かない。地元で採れた魚を甘い醤油でいただくのは最高。本場の長崎ちゃんぽんも必須だ。しかし今回はあえて、福砂屋を訪れた時に試食したカステラを紹介したい。「南蛮渡来」の甘みは、鉄砲と並んで当時の日本人にカルチャーショックを与えたに違いない。

<第4回につづく>

宇都宮徹壱(うつのみや・てついち)
写真家・ノンフィクションライター。
1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年に「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追い続ける取材活動を展開中。FIFAワールドカップ取材は98年フランス大会から、全国地域リーグ決勝大会(現地域CL)取材は2005年大会から継続中。
2017年7月より『宇都宮徹壱ウェブマガジン』の配信を開始。
著書多数。『フットボールの犬 欧羅巴1999‐2009』で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』でサッカー本大賞2017を受賞。近著『フットボール風土記 Jクラブが「ある土地」と「ない土地」の物語』。

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