頼れるのは男だけ
この↑記事の中の
自然の中にいると頼れるのは夫だけ。内輪揉めしている場合じゃないって思えました。
が刺さりました。
わたしは、最近、日々、「男の存在価値ってなんやねん」と頭を抱へてゐます。
さまざまな分野で「男女平等」が唱へられるのは、それまで
男性がやること、
男性しかやれないこと、
男性しかやってはいけないこと、
等々とされてゐたことが内部崩壊してゐるといふことでもあります。
ほんたうに「男性しか」といふものがあるなら、男女平等でなければならないと言っても、どうすることもできない。
どういふことかと言ふと、「女性しか」といふことに変換して考へてみると、かうなります。
今のところ、女性しか妊娠できない。
女性しか出産できない。
女性しか乳房によって授乳することはできない。
これらのことを、本質的な意味で、男性と平等なものにすることはできない。
だから、出産育児は、かつては「女性しかやれない」といふことで誰も疑ひを持たず、そこから男性が育児を手伝はない口実に使はれるやうになっていったのではないかと思ひます。
男性のことに戻ると、今や、男性しかできないことは無い。
これは、男性が無能になったといふより、男性が男性としての機能を発揮する環境が失はれたのだと思ひます。
それに思ひいたったのが、これ。
自然の中にいると頼れるのは夫だけ。内輪揉めしている場合じゃないって思えました。
家族でキャンプに行ってゐる間に、都市が全滅したとしたら、
男性しか頼れない
といふ世界が戻ってくる。
「アホか」と言はず、わたしの思考実験につきあってください。
都市は崩壊して、発電所もダムも工場も壊れてしまった。キャンプ場のあった山間部だけが無事だった。そこにゐた人たちだけが生き残り、集まって、互ひに協力して生きることになった。
百人くらゐのグループ、家族単位の人たちがほとんどだといふことで実験を続けます。
この百人が「森の生活」をしながら、それぞれの家族を維持して暮らしていく。
そのために必要なのは、先づは秩序です。
見つけた食料は分配する。それを守らない人や家族は罰せられます。
誰が罰することを決めて、それを実行するかといふと、グループの秩序をつかさどるボスです。
ボスといふ響きがわるければリーダーでもいいですが、このリーダーは必要なら処刑の宣告や、反抗者との身体的戦闘もしなくてはならないので、都市が存在してゐた頃のリーダーとは担ふ責任や、持ってゐる権力の質が違ってきます。
このリーダーは、男性たちのひとりが、或る家族の中にゐる女性を強姦しようとしたときには、それを止められる男性です。
説得でなく、暴力で。必要とあれば、殺して見せしめにもできて、その後も飯が上手くて三杯はおかはりできる男性。
さういふ男性が存在するから、男性は男女の集団の中にゐても強姦をしないのです。阻止する男性がゐなければ、男性は強姦します。
男性が集まると、どちらがαかを決めるために対立して争ひだすのは、チンパンジーやボノボのやうに乱交だけが男女関係といふことを防ぐためです。←鉄鋼短期大学ものづくり創造工学科・高木教授の説
「ためです」と言ふと、目的となるので進化論のセントラルドグマ(進化には目的は無い)に触れますので、「結果的に防いでゐます」「そして、それがヒトといふ種の存続と繁栄に有利に働いたのです」と言ひ直しておきます。
男の子といふのは何人か集まると、放っておけば、必ず互ひに腕をひっぱりあったり頭を小突き合ったりし始めます。さうしてゐるうちに、ひとりだけ、みんなをひっぱり倒したり、思ひきり頭をはたいたりできる男の子が現れます。
その男の子が笑ひながら他の男の子の顔をパシーンと殴っても、殴られた男の子は、やはり笑ひながら、「痛いなあ、やめろよ」と目を合はさないやうにしながら、小さな声で口の中で呟くだけです。それが聞こへたら、何度も何度も殴れるからです。
これが男の子たちの集団の秩序です。
大人同士でも、ひとりだけ、誰に対してもため口といふ人がゐて、さういふ人にはみんな愛想がいいですね。強面のコワモテってやつ。
その男の子、ボスつまりαが出て来ると、その男の子の集まりは、「友達の集まり」となります。
序列をつけるのは、男性の本能です。
大人になれば、あまり、身体言語は使ひませんが、とにかく男性が複数集ると、誰が「リーダー」かといふことを様々な方法で確定します。
男性は、リーダーつまりαのもとでしか、機能的な集団になれません。
だれかがαになるまでは、闘争が続きます。
友人として安定してゐる男性同士の関係があるとすれば、二人だけでも、どっちかがαです。この事実を認められる男性は少ないでせう。
わたしは、自分に子供の時から現在まで、男性の友人がひとりもできないことによって、このことを知りました。友人、つまり対等な関係の他者、また、親友、つまり対等な関係の中で互ひに奉仕(自分の財産を奉げ、相手の要求に従って仕えること)も厭はない他者、とかは女性だけです。
男性は、私との人間関係の中で、わたしに命令する立場を取らうとするか、さもなければ、わたしに指導してもらふことを望みます。
都市生活の中では、こんな犬みたいな・男性のα性は、役に立たないどころか、有害です。
今や、αのゐる職場や会社などは、見つけられると厳しく指弾されます。最近の話題で言ふなら、ビッグモーターが典型ですね。
とんでもない会社だ、社長だ、ひどい上司だ、あほな社員どもだと、男性ですら思ったり言ったりしてゐるやうですが、あれは、男性の集団の天然の姿です。
都市といふ環境によって、本来の男性集団の姿が圧し潰されてしまってゐるだけです。高校の運動部あたりにちょっと姿を現はしてゐるやうですが、そのうち、潰されるでせう。
もし、人の住めるところが山間部しかなく、還る都市が無い。
どこに行ってもガス・水道・電気が無い、コンビニも無い。
それで、虫や熊などに襲われないで眠れる場所を見つけなければならない。どこかで飲み水を確保し、食べられる草や木の実やキノコなどを探し出しださねばならない。鹿でもゐたら殺して食料にしなければならない。どこでトイレをするかも決めなければならない。
人が集まると必ず起きる・血の雨の降る喧嘩も止めないといけないし、男がゐて女がゐれば必ず起きる強姦も防がないとならない。
そんなことをしながら、それぞれの家族も養ひ守りつつ、なんとか死なないためあらゆる努力を続ける暮らしになれば、そこでの集団は、ビッグモーターとなります。
自然の中にいると頼れるのは夫だけ。内輪揉めしている場合じゃないって思えました。
この自然の中の自然が、「自動車に乗って都市と往復できる自然」であれば、そこで生き延びるのに必要なのは、頼りがひのある男性くらゐで十分だし、それ以上、α性を出すと、横暴でわがまま勝手でしかなくなります。
けれども、都市の消滅してしまった自然の中にゐるなら、
この夫といふところを、
秩序(食料と安全の確保)のために必要なら、どんな残忍なことも平気で出来て、さうしてゐても、精神はいたって健康であり得るやうなボス
と、変へなければ、集団となった家族たちは生き延びることができないでせう。