推しがいなくなるということ。
先日のKing & Princeメンバー3人の脱退報道は、かなり衝撃だった。
特にファンというわけではないけれど、彼らがデビューした頃のことは、よく覚えている。決して名前負けしていないキラキラ感、神に選ばれし者のオーラをまとって、地上に舞い降りてきたかのようだった。
ジャニー喜多川さんが、生前にデビューを手がけた最後のグループは、ただのキラキラした少年たちではなかった。髙橋くん、平野くんを筆頭に抜群のダンススキルを持ち、ワールドワイドな活躍を期待されていた。
しかし。
デビューから5年となる2023年に、平野くん、岸くん、神宮寺くんの3人は、キンプリとジャニーズ事務所を去る。
5年でメンバーの半分以上が脱退というのは、ジャニーズの歴史から見たら、とてつもなく短い期間のできごとなんだろうけど。
例えば、キンプリの5年とSMAPの5年は、全然違うような気がする。時代の流れるスピードが、圧倒的に速まっているから。
選択肢も可能性も無限大に広がっているいま、方向性が違うのなら、意に沿わない活動をするくらいなら、別の道を歩もうと考えるのは、自然な成り行きなのかもしれない。
(本音は他の場所にあるのかもしれないけどね)
宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』がふと頭に浮かんできた。
この小説の主人公と同じく、キンプリファンの方々のなかにも『あたしから背骨を奪わないでくれ』と感じている人がいるに違いない。
「推しを推す」ことは、生きるために必要なこと。推しとは、背骨。背骨がないと、立てない、歩けない、座れない、動けない。息ができなくなる人もいるんだろうな、って想像したら、こちらまで苦しくなってくる。
かつての私の推しは、B'zだった。中学生の頃、最もはまったミュージシャン。奏でる音や言葉に励まされ、慰められた。同時に、二人のことをもっともっと知りたいと思った。
どんな音楽を聴いて育ったのか。どんな気持ちでこの歌詞を書いたのか。どんな場所で、どんな環境で暮らしてきたのか。何が好きで、何が苦手なのか。
いま思えば、彼らに対する好奇心のようなものが、生きる糧になっていた気がする。もっと知りたい。もっとルーツを追いかけたい。
若さゆえの苦しい時期を、なんとかやりすごすことができたのも、彼らのおかげだと思う。私も推しに生かされてきたのだ。
『推しのいない人生は余生だった』と、本の中で語られる。
余生ってなんなんだろう。残りの人生と言われると、なんとなくさみしくて、もの悲しいイメージを抱いてしまうけど、そんなことはないんじゃないかな。楽しくて、煌めくような日々も、絶対に待っているはずだ。
推しがいないと生きられなかった弱さを認め、現実を受け入れる強さを少しずつはぐくみながら、背骨がなくなっても、這いつくばって、前に進む。『推し、燃ゆ』の主人公・あかりのように。
自分たちの道を見出した5人+1人の若者と、彼らを推すすべての人々の未来が、明るいものであることを願って。
ではでは、また!
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