訪れないという選択 熱海に祈る

僕は今、葛藤している。2021年7月3日、熱海市伊豆山で起きた土石流。現地では3日経った今も賢明な救助活動が続いている。その現場を見ておかなければいけないのではないか。


7月3日、金沢から帰ってきた私はホテルでテレビを見ていた。ニュースと共に映される土石流の映像。凄まじい勢いと飲み込まれる家々。なぎ倒される電線から生じる火花。恐ろしい光景だった。

僕は生まれてこのかた、大きな災害を身をもって経験したことがない。ボランティア活動に参加したりして、生の災害現場を見たこともない。
フォトジャーナリストを目指すにあたって、生の現場に訪れなくては。そう思った。

土石流から3日経った今も、安否が不明の人は多い。現地では断水も続いている。生の現場に訪れるのは明日しかない。


しかし私が訪れて何になるのだろうか。救助を手伝うわけでもないのにカメラを構えに行くなんて馬鹿げているのではないか。

被災した場所ではまだ雨が降り続いている。二次災害の危険性もある。もし私が怪我をしてしまったら、土砂に飲み込まれて行方がわからなくなったら。被災された方や救助活動をする方、災害支援をする方にとって迷惑極まりないだろう。

ましてや現在はコロナ禍。もし私が無症状感染者だったら。感染者でなくとも、東京から訪れるだけで、現地の人に嫌な思いをさせてしまうのではないか。

僕は駆け出しのフォトジャーナリスト。行ったところで何ができるのだろうか。
そして現地につても無い。被災地の現況を把握するのはネット上の情報だけ。行くかどうかを相談する報道関係者の知り合いもいない。


リスクを考えると断念したほうが賢明だろう。
私はそう思い直し、訪れるのを断念した。


しかし今も、葛藤は続いている。

本当に良いのだろうか。僕は生で見て向き合うことから逃げているのでは無いか。
フォトジャーナリストを目指すんだろ?
そんな弱い信念で目指してるなんて言えんのか?

それでも。例えフォトジャーナリストというモノから逃げたとしても。
現地に迷惑をかけるよりマシなのでは無いか。

雨が降り止んで二次災害の危険性がなくなってきた頃、行方不明者の捜査活動が落ち着いてきた頃、訪れてみることにしよう。
この葛藤の気持ちを忘れずに。

そして被災した方に、この葛藤を全て話してみよう。
被災した傷をえぐり返さないよう慎重に。


「明日は七夕だね。今年は何のお願い事をしようか。」この文を綴る横で家族がそんな話をしている。

被災された方は、明日が七夕なんてことも忘れるくらい苦しい状況にいるのだろう。
呑気に七夕のことを考える私に罪の意識を覚える。
そして願うことしかできない私の無力さにも嫌気を感じる。

それでもこの願いが、きっと届くことを信じて。

安否不明の方が一人でも多く見つかりますように。
見つかった人が一人でも多く生きていますように。
生きていた人の身体に障害が残りませんように。
流された大切な物が一つでも多く見つかりますように。



                                            2021/7/6

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