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吉田麻也ショック

オフに名古屋に帰省し、

トレーニングのため名古屋駅に行った。

名鉄方面の出口をでて右を見上げると、

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ドン!!!

吉田麻也に迎えられました。


劣等感の塊だった自分


ドイツから都落ちした自分は

現実逃避するかのように

絶頂期にライバル視していた日本代表や、選手たちの情報を

あまり見ないようにしてた。

あれから今まで、タイムボックスの中に隠れていた


ただ、自分なりに答えを導き出して、ドイツで打ちひしがれた自信も取り戻して

他人の人生に割り込んで暴れるのではなく、自分の人生を歩んでいた。

だから清水時代の自分は好きだし、

チームメイトもクラブも街も大好きなまま記憶してる

相当苦しかったけど、はじめて自分が自分を認められた場所


逆に高校までの自分は大嫌いで、学校生活も苦痛で、親友を除いては同級生にも会いたいとも思わない。時間が過ぎても美化されることはない。暗黒時代。

川崎時代以降も振り返るとしょうもない自分が嫌になる。

それは環境のせいではなく、その時の自分が嫌いだから。

それはアドラー心理学が言う、他人と比較して

他人の人生を生きてるから。

そりゃ疲れるわ。


それに気づけて、楽になり、今、ゆっくりと階段を降りながら終わり方を模索してる。


吉田麻也との再会

生まれ育った街名古屋で、この写真が掲げられてる名鉄百貨店での思い出は数知れず。

そんな幼少期からの思い出の場所のポスターは

心の奥底の童心に貼り付けられた気分


そして、未熟な時のドイツ時代がフラッシュバックして

強烈な劣等感を感じた。

そういう自分の嫌な性格から逃げるように、

人の活躍を見て見ぬ振りして逃げ回ってたからこそ


真正面に飛び込んできた吉田麻也の写真

どこにも逃げ場を与えてくれなかった


自分と向き合って真っ当な人生を歩み始めたと自分に言い聞かせてたけど

自分の本質をえぐり出され気分で

何かを訴えかけられた気がした。


あの頃の吉田麻也

東京都大学3部リーグ出身の僕が、ブンデスまで登った。

だからこそ、同じタイミングで渡独した超エリートの

「香川真司」「内田篤人」イタリアの「長友佑都」ちやほやされてた選手の活躍に

自分の活躍もかき消され、

こんちくしょー!と思ってやってた

でも彼らの活躍は眩しく、とても追いつけるレベルではない才能の差を見せつけられた。

そんななか、しがない街クラブのVVVフェンロでひっそりプレイしてたのが当時の吉田麻也だった。

(ちなみにVVVフェンロは本田圭佑のおかげで日本では知名度が高いけど

実はスタジアムもこじんまりとしていて、クラブ規模としてはけっこう小さい方。)

彼は人懐っこく内田篤人とすごく仲良くて、角のない綺麗な性格に、いじられても無邪気で

おまけに礼儀正しく、ユース育ちには珍しく先輩をしっかり立てる

隙の無い人間だった。

素直な子やな〜と癒されてた。

ドイツを離れるときに

「せっかくドイツ語マスターしたのに。。」

って言ったことが今も頭にこびりついて離れない。


そこからの活躍は言うまでも無く

プレミアリーグという、世界一の競争力を誇るリーグ

(競争力が高いというのは、それだけ有望株が世界から軒を連ねて参戦するから選手の入れ替わりが激しい分、生き残るのが雲を掴むような過酷なサバイバルになる)

で8年間もプレイして、

ワールドカップにも3度出場。

長谷部誠の後を次いでキャプテンにも任命され

いまオリンピックで活躍してる。

日本代表の最重要人物と言っても過言ではない。

どれだけ活躍して、地位を確立しても

変わらないのが彼の凄さ。

昔から変わらず、ずっと謙虚で、ずっといいやつ


僕のような弱い人間は、人を上か下で判断して、活躍したら見下し、うまくいかない時は嫉妬し、誰か敵を創りだす

麻のように揉まれれば揉まれるほど強くなる」名前のままに

じっくりと、地道に、階段をのぼって、えらい高いところまで上り詰めた

強い人間なんだなー

あれから10年か〜。すごい。


『なにを終わり方とか、しょぼくれた事いってんだよ。お前も頑張れよ』


と訴えかけられた気がして、頑張ろうと思えた。


怪我が多くなってるけど、もうちょい踏ん張るか。

ケツ叩いてくれてありがとう。まや。


あの時のやんちゃな写真があるけど怒られそうだから出さないでおきます。笑

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