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 「ブリューゲルは、カンバス内の空間の使い方が見事なんだ。」
さも、キュレーター気取りで傲慢に振る舞うのは
その頃付き合っていた私の彼である。
 私よりも2歳ほど年が若い。
男のプライドというものだのだろうか
やけに大人びた態度にばかり気を払っていた。
てんでそう行った心構えが、
外見をお粗末にしていることには気づかないのであろう。
しかし、天秤にかけても品性側が気の毒に思えるほど容姿が整っていた。
大きな世話ではあることはもちろん
私はよく両親に感謝をしなさいと皮肉を言っていた。
これだけの資質を持つことができるのは
紛れもなく運の良いことなのだ。
 
 先週までの亜熱帯を想起させるようなベトべトとした陰っぽい暑さも
どういう吹き回しか今週はただ秋の迎えを
おとなしく体操座りなどして待っているようであった。
 付き合い始めて1年と半年ちょっと。
すでに会う理由を探すという間柄でもなくなっていたが
どうも毎度のこと、会うのがどちらかの家ということにもうんざりしていた。
 つい先日、そのやきもきがどうにもならず
私にとってそこまで興味のない絵画の鑑賞という
下から数えた方が早いデート場所を取り付けた。
彼が幾分、絵画を嗜むということを知っていたからだ。
 
 もう少しで正午という頃合いに待ち合わせをし
適当なイタリアンでお腹を満たした。
 やっとの思いで彼との時間を思う存分過ごすことができるなと
湧き踊る胸を鼻からの深呼吸で落ち着かせ美術館へと向かった。

 彼は、多くの画家を存じ上げていた。
そして、彼らの絵を1枚1枚隈なく見て
うんたらかんたらと御託を並べた。
私でも知っているような画家を平然と批評している
彼を見て、なにやら母性のような愛しい感情が芽生え、
少し恥じたりなどもした。
 久々のデートはやはり楽しいものであった。
絵を眺める彼のことを一生見ていれられると本当に思った。
彼が愛でる絵の数々も何だか好きに思えてきた。
 ふと、物憂げに絵を見る1人の中年女性の姿が目に入った。
少し前かがみの体勢で絵のタッチや色使い、私が想起することのできない
観点から絵を楽しんでいるのであろう。
私は、彼女を見ていた。
彼女の見ている絵が気になるわけでもなかった。
ただ、彼女の姿をまじまじと見ていた。
 それは、そのように絵を見る姿を以前見たことがあったからであった。

 私が小学生の時分の話である。
写生会と呼ばれる春秋の年2回の行事があった。
 絵を見ることに執着がないので当然描くことにも
関心のない私にとっては、追われ続ける締め切りのように
ただただ鬱陶しいだけのものであった。
しかし友人を含め、たいていの子供は
机にかじりつく必要がないだけあり、やけに乗気なって足を急がせていた。

 あの日の写生場所は、小学校からほどない場所にあった
築港と呼ばれる港であった。
港と言っても、数隻の小型船が停泊しているだけのものである。
それでも、普段は安全性の観点から
大人の引率なしでここへ来ることはできなかったため
小さな山あいから、築港が顔を覗かせた時には
私でさえも「あっ」と音を発してしまうほどであった。

 絵を描き始めるとしたら、皆さんは、どこから描くであろうか。
おおよそ、題材となる対象のパースを頭にこびりつかせ
鉛筆などで輪郭を形作るのではないだろうか。
しかし、そこは子供。
カンバスの真ん中に青で円を描くことから始める子もいれば
四隅の一つから描き始めるなんて子もいた。
その顔は皆立派な画家であって
思い思いの港の風景や海の様相を
端正に書き上げていた。

 私も、それなりの絵が描けたと満足し
どれ、友人の絵でも冷やかしに行ってみるかと思い立ち
描き終えたカンバスやら画材を放り出した矢先に
大きな声がこだました。
「おーい、こいつ海じゃなくて山を書いているぞ」
途端にそこら一斉の注目を浴びたのは、D君であった。
 私も釣られて声のした方をまじまじと眺めると
確かに海にはそっぽを向いて、皆とは逆側を正面に腰を据えた
小さな男の子の背姿が確認できた。

 ガキ大将とは、今ではもうあまり耳にすることはなくなった。
しかし、現在でもクラスや学年に1人はそのような性格や振る舞いをする
子供はいるだろう。
 やれ、先生の言うことに何でもかんでも噛み付いてみたり
休み時間になれば、一目散に外に出て行って溌剌と遊びまわる。
情には熱いが、チヤホヤのためか他人をなじることもある。
私にとってのガキ大将とはそんなイメージである。
 そして、D君はそんなイメージとは真逆の子供であった。

 写生会の最中には、過度に気に留めることもなかったが
後に、美術室の前に学年全員の絵が並んだ時にはとても大きく驚いた。
画用紙に青を塗りたくっていた
私たちを他所に1枚だけ猛々しい緑の絵がそこにはあった。
D君はその後もよく弄られた。
絵はもちろん、絵がきっかけとして
輪の外にいる人間というレッテルを貼られたのであった。
 
 ある授業参観日でのことである。
その日は、写生会の絵が廊下の壁に張り出された。
父親や母親が見ることができるようにという担任の優しい心遣いであった。
移動してもやはりD君の絵は、緑であった。
 授業参観が始まり、ゾロゾロと私たちの親が教室の中に入ってくる。
 国語の時間。
ただでさえ眠いのに加え給食後の授業ということもあって
より一層睡魔が足を忍び寄せてくる時間である。
しかし、今日に限っては事が変わる。
私を含めた皆、子供だけの空間に大人が介入するという
異質な雰囲気に気が漫ろいていた。
 先生の質問にめっきり手をあげようとしない私たちは
この時ばかりは、躍起になって注目を浴びようと励んだ。

 授業後、私は後方に立つ母のもとへ向かった。
母は、猫撫で声で「よく答えられたわね、感心しちゃったわ」
などと、娘の健闘を大いに称えた。
私も、慢心の笑みを恥ずかしさからか、
隠すのに一生懸命になりながらトイレへ向かった。
 教室の後ろのドアを開けると、ふとD君の母親が目に映った。
母親は、一面に並んだ絵の中から息子の絵を探していた。
絵の下に貼られた名前の書いた紙を絵と照らし合わせ、
上から下へ首を動かしていた。
咄嗟に母親の顔が曇ったように思えた。
それは、母親が息子の絵を見つけた瞬間であった。
 私たちの絵は青であるが、彼の絵は緑であった。

 私の彼は下戸である。
お酒を嗜む私は、専ら専門学生時代の友人の店で
1人で何杯かひっかけることがしばしばあった。
 友人の店は新宿の2丁目にあった。
 バーテンダーをこなす友人の向かいには1人の女性客が座っていた。
それほど大きい造りでもないため、友人と客の会話が聞こえた。
「もう男なんて懲り懲りよ、そう思わない?
いっそ私も女性が好きであったらな」
「私は女を好きになりたかったわよ、そうしたらどれくらい人生楽だったか」
友人は気丈に話していた。
決まり悪く思ったのだろうか、女性客は雑にグラスを口元へ運んだ。
彼女が手にしているグラスを覗くと
ウイスキーの水面に私の顔が揺蕩うのが伺えた。
 ふと先週のデートで、帰り際に彼と喧嘩したことを思い出した。
些細なことがきっかけであった。
 水面に写る顔はムッと口をつぐんでいる。
そうして、また私はハッとD君と彼の母親のことを思い出すのであった。

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