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 5月10日。私の誕生日である。
私事を話すのが昔から苦手で他人にお祝いをされた記憶がない。
 いやに夕焼けが赤々と燃えていたことに気分を持ち上げられたのか
ついぞ考えなかったことが頭に浮かんだ。
自分にケーキでも買ってやろうと思ったのだ。私は少し楽しみになった。
善は急げとよく聞く。
靴べらを手に取ることもなく、
スニーカーのかかとを潰したままで近所のケーキ屋へ走り出た。

 ケーキ屋には数人の客が自分の順番を待っていた。
私は驚くと同時に恥ずかしさを覚えた。
その店は有名店と謳われるようなところではなかった。
ましてや種類も少なく、手頃とも思えない。
ケーキ屋のお母さんは、大抵この時間になると
売れ残ったケーキの数々を覗き込んでいた。
いつもの光景とは、真逆の賑わいを見せている。
駅の方面に向かおうかとも思ったが、繁盛の訳がどうしても気になった。
私は、潰したままのかかとを直して列に並ぶことにした。

 不思議の秘密は、
私の1つ前に並ぶ子供と父親の会話が教えてくれた。
「何のケーキにしよう?」
「ママは何が喜ぶかな?」
「ママはモンブランが好きだったはず!」
とても愛されているんだな、私もそのママが好きになってきた。
そうか、5月の第2日曜日、今日は母の日でもあったのだ。
ケーキ屋のお母さんは、母の日に大忙しか。
独り言を呟くと、浮かんできたのは私の母親に関してであった。

 母親はよく舌が回った。
亡くなる一ヶ月前も際限なく話していた。
「掃除はきちんと、してる?」
「お酒飲み過ぎてない?」
「そういえば、良い人は見つかったの?」
私はおおよそ首を縦に振るか横にふるかの返事をしていたぐらいであった。

 7~8歳の頃であっただろうか。
私は同じ小学校のケンくんに恋をした。いわゆる初恋と呼ばれる熱情である。
思い返せば、何が良かったのかなんて分からないけれど
私と似たように口数が少なく、輪に入りたがらないところに
共感したのだろうか好意的な印象を抱いていた。
感情を表に出せない性はその当時からであったのだろう。
友人に意見を述べることすら苦手であった私は
ケンくんにも思いを届けることはなく
私の初恋はある日突然エンドロールが流れる間も無く終わった。
 人知れず、人生初めての失恋に
子供ながら沈痛を覚えていたことは今でも鮮明に記憶にある。
「何か悲しいことでもあったの」
食卓を囲む中、母親が唐突に尋ねた。
人に感情を読み取られることを決まり悪く思っていた私にとって
その問いかけは、心の裏側を舐めりとられるように感じて嫌悪感を抱いた。
 それが、私の反抗期の始まりであったと思われる。

 人一倍、母親には苦労をかけたように思う。
前述の通り、私は母親に対してつれない態度を持ち続けていた。
こう言ってしまうと、そこまで言わなくてもと思われるのは承知の上だが
母親は継母ないしは養母なのではないかと思うことがあった。
私が母親の娘であることがどうしても信じられなかったのだ。
 人の稜線というものを慮ることなく
ズイズイと相撲の押出しのように相手の懐に入り込んでくる人であった。
事あるごとに、突っかかってくる母親にきまって私は冷笑的な反応を示した。

 父親のことはあまり覚えていない。
あまりというより何もという方が正しい。
いかにも「昭和の」といったキャッチがお似合いの男だったようだ。
 16の頃である。
母親が父親のことを話してくれたことを覚えている。
見栄っ張りで、他人からの印象に目が眩む大馬鹿者と蔑んでいた。
しかし、話す母親の口許は綻んでいるように見えた。
 他に女もいたらしい。顔も知らないその女が原因か
私が想像もつかないほどの借金を拵えていたそうだ。
悪いことに、その多くが正当な貸付ではないところからのお金であったらしい。
父親は、私が生まれてすぐに借金取りから逃げたそうだ。
それも、私と母親の二人とではなく
その頃に、懇意にしていた女とである。
それから、再び父親の顔を見る機会はなく現在に至っていると言っていた。
 知りもしない人への憎しみなど生まれるはずもなく
私は、その時も小さく頷くだけであった。

 母子家庭でも、それなりの幸せを持って生きてこれた。
殊に母親のおかげあることは言うまでもない。
母親は、私に微塵の心配もかけないように働いた。
学生の頃、私が夢から覚める頃にはすでに一つの仕事を終えて
朝食と昼食を作り終える母親の姿を見ることが朝の光景であった。
「今日は、いい天気ね」
「再来週は、数字のテストじゃないの?」
「遅くなるから、冷蔵庫の中のご飯を食べて」
何も変わらない1日の始まりがそこにはあった。
そんな毎日を、いつまでも続く夢のように感じていた。
 ただ、私はお粗末な返事しか返せなかった。

 もし、「田舎とは?」尋ねられたとする。
あなたは瞑った目の前にどのような光景を思い浮かべるか?
ひだまりに揺れる田園風景だろうか。
馴染みの風に遊ばれるように身を任せ、うたた寝をする縁側の猫であろうか。
地球は大きさをまじまじと感じさせる青空と
重行くままに揺蕩う丸々と太った白い雲か。
圧倒的な美化。
そのような光景を答えるものは、押し並べて大都会にて生活を営むものである。
 21時にもなれば、四囲が暗闇に包まれてしまう
この村を特別な場所に感じるなどできなかった。
ましてや、人よりも思い出などない私にとって
故郷は道端の不意に転がる石ころに過ぎなかった。
往々にして刺激を感じることができずにいた私が
とかく東京に行きたがることは必然であった。
東京へ行くことが目的となり
行くことができれば、あとはもう何でもよかった。
母親は、あなたが自分の目標を持つのは初めてと
手放しで喜び、応援してくれた。
あれほど無邪気に笑えるのだと、気の毒に感じたほどである。
金銭的に余裕がないことは知っていたし
何よりも貸しを作るような気がして、公立の大学を志した。
あの頃の私は、巣を離れたいという一心で
直向きに机にかじりついた。
親鳥から、というのが本心であったのだろうか。
 翌春、晴れて私は都内の公立大学に進むことになった。
ようやく自分の人生を歩み始めた気がした。
「桜が咲いたね」と、母親は私以上に喜んでいた。

 夢にまで見た東京の生活は、私に多くの景色を見せてくれた。
摩天楼と呼ばれるにふさわしい、数多のコンクリートで出来た高層ビル群。
いつまでも消えることない、色とりどりの煌く光。
すれ違えどすれ違えど止むことないおびただしいほどの人の山。
母親にも見せてやりたいと思った。
同時にふと浅ましい感情だと、客観的に自分を嘲笑った。
 大学生活は、いわゆる凡々な毎日の連続だった。
月並みの恋愛をし、お馴染みの人間関係に苛まれ
今後一切、用いることはないであろう文字を熱心に覚えては
卒業という烙印を押されることに躍起になった。
 母親のもとには、よく帰らなかった。
その分、手紙のやりとりをした。
母親は、手紙と一緒に律儀に仕送りを送ってくれた。
主に米や味噌、そして故郷の野菜に、少しばかりの小遣い。
最初に手紙を送ったのは私であった。
私の手紙は、母親のもとにあるため
何を書いたのか全く思い出すことも確かめることもできない。
母親からの初めての返信は、
白い紙がグレーに見えるほどに消しゴムで何度も消した後が見受けられた。
何をそんなに書き直したのだろうか、もう聞くことはできない。
手紙には、こう書いてあった。
「お母さんは変わらず元気です」
「ご飯はきちんと食べていますか」
「悪い人には気をつけてくださいね」
「楽しそうにやっているようなので安心しました」
私は一抹の心配をかけないように母親と自分に嘘をついていたのだろうか。

 将来の夢など持ったことがない私は当然就職活動にも力が入ることはなく
初めに内定を頂いた鉱業を主とする商事会社の経理として働いた。
私は対価に対して最低限の働きをすることが道理であると
考える人間であったためのべつ幕なしよく働いた。
時に働くことが目的であると錯覚するほどだった。
 物持ちもよく、物欲もないため
いつしか1人で生きていくにはおおよそ充分な蓄えを持つようになっていた。
そういえば、これまで孝行などひとかけらもしてこなかった。
一般的な成人であれば、時世の節目ごとにやれ母の日や誕生日やなどと
贈り物や感謝の意を伝えたりするのだろう。私も一つ何かを送ってあげようか。
母親の好きなものは、何だろうとやけにうきうきしたところに
逆に届いたのは、不慮の知らせであった。

 「病重し」
その一文を手紙の中で見つけた時
私は、その紙にすら悪意を感じた。
久しぶりに故郷へと帰った。
 母親は、50を過ぎたばかりであった。
しかし、久しぶりに見る姿に
私が抱いた印象は人生の終盤を迎えるお婆さんであった。
いつから、こんなに歳をとったのだろうか。
咄嗟に握った右手には、くっきりと太く長く、そして深い皺が
私の手に押し込んできた。
「なんか、痩せたの?こんなに目の下にクマもできて」
母親は、私の顔を見上げて
幼子の明日を案じるように問いかけた。

 それから、1ヶ月と少し経って
母親は、息を引き取った。
神様も不憫に思ったのか、モルヒネのおかげか、
大きく苦しむことなく夜半の沈黙の中に消え入った。
 幸せな人生だったのだろうか。
母親としての幸せを感じさせることができたのだろうか。
そんなことを考えている間に
葬儀は淡々とその儀式の形状的な意味を成し終えていた。

 先ほど泣き終えたばかりであるのにもかかわらず
寝室の方から、わあわあと泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
「はいはい」と手慣れた様子で
手足を縦横無尽にバタつかせる娘を抱き抱えている私がいる。
ゆらりゆらりと横に揺すってやると、次第に泣き叫ぶ声は小さく細くなっていく。
泣いていたことすら忘れて、すっかり笑顔な我が子に
「お腹がすいたんですか」と私は問いかける。
矢継ぎ早に「それともご不浄?もしかしたら寒いのかな?」と話かける。
そうか、母というのものは、よく舌が回るらしい。
母の癖は、いつしか私の癖になっていた。


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ざっくばらんに物語を書かせてください。
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