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愛をもって、愛にあって、愛のうちに 〜エペソ人への手紙〜


今夜は、久しぶりに聖書学習会(祈祷会)に参加。

エペソ人への手紙4章1〜16節を読んだ。

「さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。」で始まる。
奥田牧師は、今日のエペソのキーワードは、この「主にある囚人」だと言い切った。囚人とは、言いえて妙である。

キリストに捕らえられて不自由な存在というメタファーになるだろうが、そこからマルティン・ルターが云うなら、「それ故に、すべてから解放された完全に自由な存在」ということになる。

この「さて、」については、藤田先生の解説に唸った。。

「さて」は、ローマ書12章の「というわけで、」と同じで、筆を置き直し、重要な主題に、これから臨むための気合いのような「切り替えしの表現」ということだ。

こういう話を聞くと、文書術としても聖書は深ーいいなーと思ってしまう。
「さて、」という切り替えしから、
召されたキリスト者として、ふさわしいbehaviorは何かということだが、このように2節にある。


できる限り謙虚で、
かつ柔和であり、
寛容を示し、
愛をもって互いに忍びあい、
平和のきずなで結ばれて、


さて、、このような態度で日常を生きているのか、まったく疑わしい限りだけど、ひとつの望みとして、キリスト者のbehaviorとして、努めなければならない。続いて、7節にはこうある。

「賜物のはかりに従って、わたしたちひとりびとりに恵みが与えられている。」

あたえられた賜物(talent)に違いがあっても、その恵は同じだ。
昨今の成果主義に、真反対のことが書かれていることになろうか。
働き(成果)に応じた報酬(ボーナス)など不要だということになる。
だって、頑張った人には、その働きができるだけの賜物をもらっている訳だから、それを発揮しただけのことなんだから。。

また、この7節の一つの読み方として、賜物のはかりに注目したい。
もつ賜物はそれぞれの人で違っていても、目指すものが同じなら、それで一つになれる。
単一の個であるより、多様的であることが、より全体としての結びつきを強くする。生命科学としても、そうでしょ!

あれれ? どこかの安部さんが、憲法から「個」を奪いとり、国家としての道徳を、国民に一様に押し付けようとしていなかったけ?
みんな違っていていいよな。ひとりの人間だもの。

最後に、エペソ人の手紙には、この言葉が満ちみちていた。

愛をもって、愛にあって、愛のうちに、

全てには、愛がかかっている。

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石山輝久/1972年11月17日生/大分県出身/北九州市在住/エネルギー関係/マネージャー/バプテスト派クリスチャン/趣味:ヨガ、写真、旅行