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【今日の授業を終えて】#2

正確には昨日ですが、授業日記です。まず、ペインターのAmi Hirata(画像左の絵)がマレーシアに拠点を移すので、旅立ち前に作家HPなど作成に関しての授業を一通り行い、作品撮影しながらいたって順調に作業を終えました。彼女の絵画構造的にはいろんなタイプの作品があるんですが、かなりフラットに・余白を持つような感覚で、美術やペインティングを捉えているので、アーカイブ自体は非常にシンプルな作り。

シュウサン(画像右の絵)は30年前から作家として活躍されているので、秋の個展に向けていつも通り制作中。よくわからないが突然新しい形式やテーマで制作を始めていたりするので、謎です。あ、シュウサンこんなん始めたんだ、って。そりゃそうですよね、あみちゃんもそうだけど、作家は常に何かを探してる。だからいつも違くていいってわけじゃないけど、いつも新たな視線で新しい支持体に向かっている。

写っていないけど葉りひろさんも居た。教室には静物モチーフがあるのだけど、静物モチーフを見たときにどう表現の発動をするか、って話をした。それは静物モチーフ=社会の象徴として捉えていて、実在に関して空間的、時間的、概念的にどう捉えるか、というプラクティスのための静物モチーフである、ということを伝えた。

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輪、環、円、球、丸、層、接触、ピュリスムなどがざっくりとしたテーマでモチーフを組んでいるのだが、意味がないと言えば意味がない。しかしある程度の方向性はある。こういったある一つだったり、それを取り巻く複合的な事象(出来事)に対して、作品化する側はその事象を現実の社会に例えることができる。「Black Lives Matter」「covid-19」「いまのアートについて」など何でも良い。各々作家は日常の事象に反応しながら作品を作っているわけだから、こういったプラクティスの目的は、創り手の反応の仕方の経験数を増やすことだ。創り手の経験数を成熟させていけば、ある社会での事象を包括的に把握していくことができる。10人中10人が気がつく一方向からの見解に芸術家が雪崩込むはずがない。全体的なことはここでは語れないが、ここへの各々の気付きは芸術にとって不可避である。各々が、各々の視点で、各々に活動すれば良い。kotteでの美術教育とは、少々乱暴ではあるかも知れないが、自由であり、自由とは何かを知ることが美術教育と捉えている。社会貢献のために美術があるわけではないが、美術は社会に必ず反応して育つ。日曜画家でないのなら。

現在のメンバーはたまたま作家が集まることが多いかもしれない。それはたまたまなのかもしれない。kotteも来月で8年目に入りますが、年数的なたまたま感もあれば、ひょっこり作家がたまたま入ってくる、とかアート最高じゃん、てなってすぐ作家たまたま、みたいな。

うん、たまたまでしょうね。

あとはこどもの場合だと、保護者や保育者とのトークが美術業界全体への底上げの機会として重要視しています。学校での図工教育をはじめ、生活や発達、わたしに出来ることは僅かだが、忘れてはいないよ。だからどんどんしていきたいなあ、と思ってる。来やすい環境づくりしないとな。研究所はいつでも来られるが、トークルームを作る予定です。そこからいろんな動きが生まれれば良いかな、と。ソファを買おうかどうかなんてどうでもいいかもしれないけど、毎日楽天でにらめっこ中。

会議があれば、研究所のページに寄稿できるようにしていきます。うちは都内からは1時間の場所にあるので、色んな関係の方がゆっくり集まれる作業場を目指していきたいと思います。

※covid-19により、kotteの公式ページのブラッシュアップに相当な時間を要しております。かれこれ4ヶ月...もうしばらく掛かりそうです。インスタグラムやnoteに最新の動向をお伝えしていきます。

※Bauhausとは決別したので、kotteは美術となりました。しかし建築とはこれからも密接に関わることになるでしょう。つまりこれまでの社会的な活動と美術とを統合することに決めたのです。

(昨日のzoom40分5回セットで会議作成したなあ。ペインターたちとアートミーティングをしたよ☆そのあと寝ようかと思ったら面白いライブ配信始まっちゃったからねえ☆zzz|2020.6.28現代美術研究所にて)