扇田 昭彦『日本の現代演劇』(岩波書店、1995年)を読みました。

60年代から90年代の日本演劇の概論。本当に演劇が好きで、かつ論理的な分析力があり、筆の立つ演劇批評家がいたことは日本の演劇にとって幸福なことだったのでしょう。扇田節を思う存分楽しみとともに戦後の日本演劇を概観できる快著です。

本書より…

そこに「開かれた沈黙はどきりとするほど鋭く迫ってきた。
やがて水筒に水が満たされると、水道の音は再び元にもどったが、その間の、音をすべてとり去った緊迫した無の時間は私にはとても劇的な豊かなものに感じられた。音や音楽を華麗に鳴り響かせるのとは逆に、饒舌な音やせりふをとり去ることで、この劇は私たちが見失いがちな「沈黙」を提示して見せたのである。それは私たちが耐えていくべき「沈黙」であり、私たちのあり方を見直す契機ともなるはずの「沈黙」である。
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大田は「真実」ということばを「真」と「実」に分解して見せる。そして彼自身は人間や物事を「良し・悪し」や「優・劣」で判断する「真」の立場ではなく、ひたすらよく見ようとする「実」の視点に立つという。正しい価値基準を押しつけるイデオロギーを排して、人間をひたすらみつめようという立場である、大田は書く。「<真>が価値の物語だとすると、<実>は存在の物語であり、わたしたち人間には、価値の物語では語れない領域がある」(『舞台の水』)
人間とは「宇宙の一隅に生れた」「砂の一粒のような」存在である。そのような人間の姿を描くドラマは、「生命存在」を描く「存在の物語」になる。それは人間が「為す(やる)こと」よりも、「在る(いる)ことを」重視する演劇である。

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