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四書の正統性

四書五経といえば儒教の代表的なものです。
これは漢の武帝の時ですが、儒教が国家正統の学問と定められました。
それ以来、朝廷には五経博士が置かれました。
そのことからわかるように五経は儒教の最も重要なテキストだったわけです。

一方四書という言い方がされるようになったのは、宋の時代からです。
朱子学で知られる朱子が論語、孟子に加えて中庸と大学を入門書と指定したことに始まります。
しかしこの2つはもともとは礼記の中の一部でしたが、朱子によって独立したテキストになりました。
大学は孔子の高弟である曾子の作です。
中庸は曾子の弟子である子思の作です。
ちなみに、孟子は、子思を学んでいます。

この流れで続いているために、四書を学ぶことは儒教の正当な流れを引き継ぐことができると朱子は見出したのです。
それ以後、朱子学の普及とともに四書は儒教の代表的なテキストとなりました。
宋の時代には登用試験である科挙において中庸と大学が重視されましたし、元、明、清の時代の640年の間、科挙は朱子学的な立場の解釈でなければ合格しませんでした。
そのような事実からも朱子学の影響がいかに大きいかということが分かりますね。

見えない世界に関することも哲学を学ぶことによって、背景にあるものが分かってきます。
小難しいことではなく、ちゃんと繋がっていきます。
大切なことを取り戻すべく、皆さまも是非一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。