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足利義満と吉田神道

足利義満さまは、陰陽道が好きだったので、それまでヒエラルキーの高くなかった陰陽師を厚く重用しました。土御門家に対しては従二位や従三位の位を与えたことからもそれが分かります。

それまでは、真言密教が隆盛を誇っていましたが、その序列が将軍によって変化したのです。既存の宗教がその地位から転落をしてまでも陰陽師が選ばれていったのです。

他の宗教の担当者としては、今までの地位が脅かされたのですから、大きな問題をかかえていました。そのため、密教や神道がこぞって陰陽道の要素を取り入れ始めたのです。

神道と陰陽道が混ざったことで吉田神道が台頭してきました。徒然草で有名な吉田兼好さまもこの吉田一族の方です。

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吉田神道はその勢いで大きく躍進し、明治ごろまで日本の宗教界に君臨し続けたのです。

日本は宗教の境界が薄かったわけですが、これでさらに混ざり合いました。陰陽師だろうが山伏だろうが、祝詞を読みますし、経文を唱えていたほどです。

知識が混ざり合ったことで、それぞれがよく分からなくなってしまったのも事実です。その上、実践も切り離されてしまい複雑化した知識だけが残されているのが現状です。
わたしは見えない世界をやるのですから、実践部分を取り返していきたいと考えています。
皆さまも実践も積んだ形で成長していきたいということであれば、一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。