日本からGoogleが生まれない理由

これに関しては様々な要因があるので一概には言えない。

と言ったら元も子もない。

確かに、日本市場のサイズが小さいからScaleするスピードが違う、とか、英語によるハンデがあってグローバルに広げる組織展開力がどうしても遅くなる、とか、VCなど資金をSeedsに潤沢に振り分けるエコシステムがない、とか、そもそもエンジニアバックグランドのEntrepreneurが少ない、とか、大学のIT分野における基礎研究に遅れをとっている、とかとか。いろいろな理由が考えられるが、一つ今回は教育という観点で考えてみる。

日本からの留学生が少ないことに関しては一点あると思う。他国特に中国やインドからComputer Scienceに留学すると一定期間はシリコンバレーにとどまってスキルと経験を貯める人も多く、そこでVCとのネットワーキングや、エンジニアや他のEntrepreneurとのネットワーキングを築ける。さらにはそこでのダイナミズム(どのように新しいサービスがLaunchし、資金調達し、スケールし、あるいは潰れていくか、という熱量)を肌感覚で感じられる。このダイナミズムに何千人入り込んでいるか、というのは一つ重要と思う。

だが、最近それ以外に大きな要因として思うのは、かなり抽象的になって恐縮だが、「目の前に見えないものを想像する力」という気がする。

90年代半ば頃、NetscapeからWindows95が世の中に出回り始めた当時、そもそも「今後ネット上に膨大な情報が転がる」「その情報を探すのに単語単位や自然言語で探せた方が便利」まではまあ誰でも想像できるだろうが、「出てきた情報が探していたものと違うのは相当ストレスなのでぴったりのものが出てくるアルゴリズムでないといけない」「何億というサイトがあっても秒で検索できないといけない」そしてさらには「その精度がビジネスのScale Outに超絶影響する」ところまで想像するかどうか。当事者のお二人は、好きでやってみただけ、とか、自分が欲しいサービスを作っただけ、とか言うかもしれないがこんな世界になって欲しいという心掻きむしられる想像力はあっただろう。

それはまだ見ぬ世界であり、当時の人からすると「どうマネタイズするの?」「とりあえず検索結果が出るエンジンなら誰でも作れるから何か差別化要素になるの?」という感覚だったように思う。もしそれが日本ならそこで資金調達含めて支援する人がそこまで多く出現したかどうか。

翻って最近の無人コンビニの話。Amazon Goが日の目を浴びたときに日本のマスコミやネットの論調は「無人コンビニは人手不足の日本の小売にぴったりだ!」「コストも削減できるし、万引き防止にもなる」とか、今の日本の小売の現場の見えている問題に対する解決策としての位置づけで語られることが多かった。基本的にコスト削減。今見えている人件費というコストの削減。

Customer Experienceがどう変わるか、買い物のあり方がどう変わるか、というRetailの本質を掘り下げる記事が極めて少なかったし、今も少ない。

Amazon Goには今は何十台ものカメラがあるが、もし一台で済むようになったらどうなるか、あるいは極めて低コストのカメラ数台で出来るようになるとどうなるか?

そのカメラをもしAmazonが世の中の小売店舗にばらまくとどうなるか?

そのカメラ一台で顔認証できて、入店時点でAmazon IDにすぐ紐付けされるとどうなるか?

店舗に入ってきた買い物客を入り口で顔認証し、店舗内の棚がもし可動して入ってきたばかりの買い物客にもっとも買われやすい商品が目線の高さに移動したりするとどうなるか?

店舗で手に取った商品を棚に戻しても、家に帰るとAmazonアプリ上でRemindされるとどうなるか?

小売とECが完全にくっつく世界の中で一体誰が牛耳ることになるのか?

単なる見えているコスト削減ではなく、今後の世界を想像してから逆算して事業を立ち上げてコミットし続ける、コレ簡単そうで実務上大変難しい。

よく日本企業でやる「顧客調査からカスタマーの不(不満、不安、不信、不便)をあぶり出す」ことがどれだけ視野を狭くするか。今見えているものを拾うだけの調査結果がどれだけ重要視されて意思決定に活用されてしまうのか。もちろんこういったサーベイは必要で軽視するものではないが、事業立ち上げには使えない。経験上マジで使えない。でも上司を説得する材料として意外とやってしまうし、自分の思考回路も知らず知らずに縛られてしまっている。

アンケートしてもカスタマーだって見えていないものを回答できない。経験して初めて「コレいいじゃん!」となる。初めてGoogleを使ったときはまさに「おお!え、コレこんなにすごいの!?」という驚きだった。

その驚きを想像できるかどうか、そしてそこに本質的な価値があるのか単なる飲み会ネタとして面白いだけで価値がないのか、をどう見極めるか。

じゃあどうすればいいの?となるの次回は「見えないものを見て本質的な価値を見出す」方法、それを「教育現場で実践する」方法、を私なりの仮説で整理しようと思う。



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