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『竹取物語』で何を教えるか

この古い物語の何がすごいって、

かぐや姫は地球人じゃないから地球の常識なんて通用しない。

という設定を理由して、現実社会を鋭く相対化していくところ。

これだけ刺激的な物語が、これだけ短く、これだけ無駄なく、あの時代に描き切られた。『竹取物語』を授業で扱うたびに、人類は進歩の階段を順番には登らないと痛感します。

ジェンダーの相対化

多くの教科書は物語冒頭といわゆる「かぐや姫の昇天」のみを収録していますが、実はその間の紹介されない記述にこそ、かぐや姫の設定を生かした面白さが描かれます。以下の本文は、角川ソフィア文庫『ビギナーズクラシック 竹取物語』からの引用です。

じいさんは、「だいじなだいじな、わしの姫。姫は人間界のお方じゃないが、ここまで大きく育てたわしらの気持ちは、はんぱじゃありません。そこをくんで、どうかひとつ、このじいの言うことを聞き入れてはもらえんだろうか」と、やんわりと恩に着せはじめた。
かぐや姫は、「どんなことでも、おっしゃることを承知しないはずがありませんわ。自分が異界の者だったとも知らずに、あなたを実の親と信じてまいりましたもの」
「うれしいことを言ってくださる。じいは、もう七十を過ぎて、今日死ぬか明日死ぬかもわからないほど、残り少ない命です。さて、この人間界では、男というものは女と結婚し、女というものは男と結婚することになっております。そうして、子孫が栄えていくのです。ですから、こんなふうに、姫が結婚しないでいて、よいわけがありません」
「どうして結婚などということをするんですか」


月からやってきたかぐや姫に、地球の(当時の日本の)ジェンダーを説明するじいさん。それに対して全然ピンときていない姫の返しは、どこか哲学的ですらあります。彼女の特殊な設定が遺憾なく発揮された面白いシーンです。

この後かぐや姫は、愛を試すという名目のもと、理不尽な宝探しで求婚者の貴公子たちを振り回します。その圧倒的に女性優位な恋のゲーム化も、当時の男女関係の裏返しと思えば面白いですね。

ちなみに、ジェンダーについてより深く考える導入としては、『ウーマンラブウーマン』という古い映画(ドラマ?)が個人的にオススメです。

同性愛をテーマにした短編3本のオムニバスなのですが、特に1本目が白眉で、制度上の問題、パートナーとして公的に認められないことがいかに多くの尊いものを彼女たちから奪っていくのかが痛いほどよくわかります。話1本の長さが50分授業の尺に収まるところも学校現場ではありがたい。


貴族社会の相対化

当時は帝をトップとする貴族社会だったわけですが、この階級秩序もまた、かぐや姫には通用しません。


かぐや姫の絶世の美貌のうわさは帝の耳に届き、帝は内侍中臣房子に、「多くの男を破滅させて、なお結婚を拒否するかぐや姫とは、どんな女なのか、行ってみてこい」と命じた。
(中略)
ばあさんはかぐや姫に、「はやく帝の使者にお会いしなさい」と、うながした。
かぐや姫は、「わたくしは、みんなに言われるほど美人じゃありません。どうして帝の使者に、顔を合わせることができましょう。とんでもないことですわ」と、かわいくない返事をした。
ばあさんは、「困ったことを言いますね。帝の使者に対して、そんなあいそのない返事など、とてもできませんよ」と、にがい顔をする。
かぐや姫は、「帝がわたくしをお妃にしてくださることなんか、べつに恐れ多いとも思いません」と口答えをして、さらさら内侍に会うようすはない。
(中略)
あきらめたばあさんは、内侍の所にもどって、「残念ですが、てまえどものふつつかな娘は剛情っぱりでして、お会いしそうにもありません」と詫びた。
内侍は、「必ずお会いしてくるようにとの帝の命令ですのに、お会いしないで宮中にもどるわけにはいきません。いったい、国王である帝の命令に、この国に生きる者が従わないで許されるとお思いか。わけのわからないことをしてはいけませんよ」と、決めつけるような口調で非難した。
これを聞いたかぐや姫は、なおさらのこと、聞き入れるはずもない。かえって、「国王の命令に背いているというのなら、さっさとわたくしを殺してよ」と居直る始末だった。


帝の威光が一切通用しないかぐや姫の態度は痛快です。

ちなみにこの後、かぐや姫は無理矢理押しかけてきた帝に顔を見られ、連れ帰られそうになるのですが、体を謎の光に変じて逃れます。常人ならざる彼女の様子に観念した帝は「さらば御供には率ていかじ。もとの御かたちとなり給ひね。それを見てだに還りなむ」と慎ましく訴えます。

帝の身でありながら、相手に対して「給ひ」と尊敬語を使っているところが殊勝ですね。ここはぜひ、敬語の復習問題に使って欲しい。文法が理解できて初めて物語のドラマチックな機微がわかる、美味しいシーンです。態度を改めた帝に応えて、かぐや姫はもとの姿に戻って見せました。


万感の想いをこめた「あはれ」

やがて、帝とかぐや姫は情のこもった手紙を通わせる間柄になります。よくよく考えてみるとこの恋愛は深くて、地球外生命体のかぐや姫からすれば、相手が帝だから貴い、なんて感覚は全くないし、性別についても前述のとおりです。それでも彼女は帝を選んだ。

そう考えて昇天の場面を読むと、かぐや姫の一挙手一投足が一層感慨深くなります。天の羽衣で人の心を失う直前、彼女が最後に遺したのは、翁や嫗への言葉ではなく帝への和歌でした。

いまはとて天の羽衣着る折ぞ君をあはれと思ひ出でける

帝とかぐや姫は、出会ってから3年間、プラトニックにただ歌と手紙のやり取りだけを重ねていたといいます。最期の歌を、彼女はどんな想いで詠んだでしょうか。単なる別れならば、かつての思い出をよすがに心慰めることもできる。あるいは死別ならば、遺された側も諦めがつく。けれど、彼女は一切の記憶を失い、決して再び交わることのない外の世界に去るのです。

「あわれ」の一言に、万感の想いがこめられています。よく、『源氏物語』のことを「あわれの文学」というけれど、現代人には今ひとつ掴みづらい「あわれ」のなんたるかは、いつもこの和歌を使って教えることにしています。

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地方の国語教員。古典文学を教える新しい形について、一緒に考えてくれる人を求めています。同じようなこと考えてる人もいるんだ!と、誰かの励みになれば幸いです。

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