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水族館に新たな価値を コロナ禍誕生の四国水族館

2月12日に初開催されたテラロハウスのゲストは、四国水族館開発代表の流石学(さすがまなぶ)さん。四国水族館(香川県宇多津町)は、2020年6月にオープンした四国最大級の水族館。太平洋の黒潮や瀬戸内海の(鳴門)渦潮のエリアを設け、1万4千の生き物が四国の海や河川の織りなす景観を再現する。四国水族館の運営会社を率いる流石さんは、「四国水族館を四国の観光拠点のような場所にしたい」と話し、四国各地の水族館のネットワークを構築すべく奔走している。これまでにない水族館のあり方に挑む流石さんに「コロナを乗り越える四国水族館」をテーマに現状と未来を聞いた。聞き手は、ことでんグループ代表の真鍋康正さんとテラロックの寺西康博さん。

※出演者のご了解を得たうえで、公開しています。

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▽禍(わざわい)を転じて福と為す

寺西 聞き手の真鍋さんは、電車、バス、タクシー会社などの経営に加え、スタートアップ支援を続けている。代表をつとめる「ことでんグループ」のマスコットは、イルカ駅員の「ことちゃん」。ことちゃんはTwitterのフォロワー数が6万2千人の人気者。楽しみな対談だ。

真鍋 四国水族館では7頭のイルカが躍動している。当社のイルカ駅員とも仲良くしてほしい。四国水族館の社長になった経緯は?

流石 6年ほど前から、地域活性化策として香川県内での水族館建設の議論がされてきた。当時は3つの案が並行して進んでいたが、最終的に実現したのが宇多津町での建設案。私は島根県で医療を通じた地方創生に取り組んでいた。そのことを知った友人から「手伝ってほしい」と言われ、関わっているうちに社長の白羽の矢が立った。香川県にゆかりのないソトモノの私だからできることがあると信じてやっている。

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真鍋 香川県にとっては久しぶりの大型レジャー施設の開館。寄せられる期待が大きい中、コロナ禍での開業となった。どのような状況か。

流石 6年間準備をしてきて、コロナ禍での開業。「まさかこんなことに」との気持ちはあったが、今は結果としてよかったとさえ思っている。通常、水族館の最高来館者数を記録するのは初年度。開業当初は館内が混雑しスタッフも業務に不慣れで、顧客の満足度は低くなりがち。コロナ禍の開業で、緩やかにスタートを切れたし来館者数が平準化された。生まれた余白時間で業務手順の改善を重ね、お客様を迎え入れる体制を整えることができた。また、開業初年は年間120万人の来館を見込み、特にオープン直後は周囲の交通渋滞の発生を懸念していた。それが杞憂となり本当によかった。金融機関の支援や行政の連携体制もありがたかった。皆さんに支えてもらっている。コロナ禍の昨年、全国には4つの水族館が誕生した。もちろん簡単な状況ではないが一緒にがんばっていきたい。

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▽魚ではなく、水景

真鍋 職員の採用は難しかったのでは。
 
流石 採用は困らなかった。全国各地から人が集まってくれた。そもそもこの業界は就職希望者に対してその受け皿が圧倒的に少ない。水族館の数は急に増えないので、辞めた人の補充分しか採用できない。

真鍋 どのような属性の来館者が来ているか。

流石 今は県内客がほとんどだが、「Go To トラベル」実施期間中は、四国各県、岡山県、広島県など周辺の県から足を運んでもらえた。中国四国地方のたくさんの人たちに知ってもらえたのではないか。また、水族館の特徴は来館者が全世代に分散していること。実は動物園はファミリー(子ども)にかたよりがち。

真鍋 コロナ禍で事業計画の修正はあったか。今後どのように取り組んでいくか。

流石 初年度の目標来館者数は下方修正せざるを得なかったが、次年度以降を大きく変えてはいない。目指すのは、2割ぐらいの人の心に強烈に刺さるコンテンツ。それがたとえ2割の人から反発があったとしてもやり遂げたい。

真鍋 経営戦略として共感する。万人にウケそうなものを作っても結局反発はある。ならば、誰かにしっかり刺さるものを作った方がいい。ちなみにどんな苦情があるのか。

流石 刺さった人は熱烈なファンになってくれる。苦情というかご要望が多いのは「水槽内の魚の説明が少ない、説明看板を作ってほしい」というもの。ただ、あえてシンプルにしている。詳細な説明をつけると魚が主役になる。私たちが見てほしいのは、水槽の中に表現された四国の豊かな水景。そこにこだわっている。

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▽四国を一つに

寺西 水族館に「四国」を冠するのはめずらしい。名称にどんな思いを込めたか。

流石 とても強い思いがある。東北水族館や北陸水族館など圏域を冠した水族館はない。私たちが伝えたいのは四国の豊かな水景。それならば名称は四国水族館だ、と決めた。四国には11の水族館(うち1つは無料施設)がある。私たちの水族館の特徴は黒潮や鳴門の渦潮など四国の様々な水景を表現しているところで、例えるならデパート型の水族館。他方、「日和佐うみがめ博物館カレッタ(徳島県美波町)」や「むろと廃校水族館(高知県室戸市)」は、個性的で尖った展示をしており、専門店型の水族館。機能や役割が違い、それぞれに魅力がある。こうした四国の水族館のネットワークを構築して、一緒に四国を盛り上げていきたい。県や市町村で区切る必要はない。

寺西 先日、森歩きのガイドを務める横山昌太郎さんに話を聞いた。横山さんは「行政界は人間が決めたもので、四国という自然の島で見れば、石鎚山や剣山、仁淀川や四万十川、瀬戸内海に太平洋、素晴らしい自然がたくさんある。」と言っていた。自然を切り口に四国がつながっていけば面白くなるのでは。それに四国には四国遍路の文化もある。つながれる土壌はある。また、四国水族館を訪れた際、水族館職員に「マナティーはいませんか」と聞いた。すると「当館にマナティーはいないが、新屋島水族館(香川県高松市)にはいる」と親切に教えてくれた。理念が一人ひとりに浸透しているのがすごい。言行一致だ。

流石 館長はウミガメの研究者。でも当館にウミガメはいないしこれからも多分来ない(笑)日和佐やむろとの水族館を案内している。

真鍋 館長のウミガメ解説は聞きたい気もするが(笑)、目指す姿に向け徹底している。

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▽未知への挑戦

寺西 水族館の経営をすることになった入り口は地方創生だった。地方創生、地域活性化の観点で四国水族館をどのように位置付けているか。

流石 私の勝手な構想だが、四国の観光拠点のような場所にしたい。沖縄県の「美ら海水族館」のように「四国、香川県を訪れたらまず四国水族館に行こう」となる存在になれれば。例えば当館の黒潮エリアを見て「じゃあ次は室戸の水族館に行ってみよう」など、四国全体が水族館のテーマパークとなることを目指している。四国の玄関口の宇多津町だからできることでもある。まずは水族館の観光スポットとしての機能を果たしながら、社会教育施設や情報発信拠点としての役割も担いたい。他分野とも連携をはかり四国を元気にしたい。

寺西 香川大学と包括連携協定を結んだ。先日は大学生がガイドをし、分身ロボット「OriHime(オリヒメ)」により病院にいる子どもたちが水族館内を見学するツアーを実施した。医療コンサルタントと水族館経営をしている流石さんならではと感じた。

流石 地元NPO法人からの提案、協力で実現した企画。私自身、病院と水族館の連携を以前から探っていたが、コロナ禍で病院への出入りが難しくなったことで実現できずにいた。ようやく実現にこぎつけた。

寺西 最後に今後の展望、メッセージを。

流石 水族館のあり方は時代とともに変化してきた。1960年代は高度経済成長期のレジャーブームの流れでリゾート地の観光施設として、いくつもの水族館がオープンした。このときの中心は民営の水族館。80~90年代は、バブル経済や公害問題を背景に、都市部の臨海エリアの水族館が数を増やしていった。この頃に出来た水族館の多くは自治体主体の水族館。人工海水の技術が進歩した2000年代は内陸部で水族館を運営できるようになり、週末に多くの集客を見込める大都市の複合施設の中に水族館を作るのが流行りになった。そうした水族館が出来てきた歴史の中で、四国水族館はどれにも当てはまらない。もっと言えば、自治体や大企業による大きな資本が最初から準備されて作られた水族館ではなく、地元の草の根的な動きから1つずつ積み上げて作られた水族館。地方都市、宇多津町の立地での水族館はこれまでにない全く新しいチャレンジ。四国水族館を地域にとって多様な使い方ができる場所にしていきたい。気軽に訪れてもらえる場所になれるよう取り組むので、ぜひ足を運んでほしい。皆さんと連携しながら新しい価値を生み出していきたい。

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