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#50 協働的な学習

令和の新しい教育改革で「個別最適な学習」と並んで、大切にしていかなければならない学習が挙げられた。

「協働的な学習」である。

学習指導要領にある「対話的な」学びとの違いは何か? という疑問が浮かぶが、私なりの見解を示したい。

対話的な学びにおける「対話」とは、「友達との対話」「教師との対話」「ゲストティーチャーなどの大人との対話」「教材・作品・本(先人)などとの対話」が考えられる。

特に「教材・作品・本(先人)などとの対話」はそこに人がいるわけではないのに、対話をするという表現にしているところが興味深い。「その文章を書いた先人に会ったつもりで読む」「必要があれば自分の意見をぶつける(返事は返ってこないが…)ということであると推測される。

一方、「協働的な学び」について考えていく。「協働」とは、一つの物事について複数人で協力して成し遂げることである。つまり、そこには「人」が存在しなければならない。「対話的な学び」で出てきた「先人」の考え方は当てはまらないと考える。

さらに言えば、「教師との協働」も考えづらい。なぜなら教師は、授業の目標に向かって、子どもをサポートする役割を担うため、直接協力することは考えられないからである。※「ゲストティーチャーなどの大人」の場合は、協力する可能性もあるが、グレーゾーンである。

ここまで考えると「協働的な学び」とは、おもに「子ども同士の協働場面」を位置付けた授業展開ということになる。前々回の記事で書いた「個別最適な学習」と矛盾するような形となる。しかしそれと並んで重要であると示されたのはなぜなのか?

一人で学ぶよりも、複数で学ぶ方が「広く、深く」学ぶことができる

私が思うに、一人で学ぶよりも、複数で学んだ方が、学習の定着が進むからであると考える。

わからないときに友達に聞いて納得したり、友達の意見を聞いて自分の知識を広げたり、誰かに伝えることで自分の中に内容が深く落ちたり、協働することで難問を攻略できたりと、協働することの良さは計り知れない。

なので、個別最適な学習により、1人ひとりが独自で学ぶだけではなく、協働場面も適切に入れて、「広く、深く」学ばせる必要があるのだ。

多様性が増していく時代に、協働の理念は欠かせない

これからは情報化、グローバル化が進み、ますます多様性が増していく。いろいろな人種、いろいろな国籍、いろいろな考えをもつ人々が入り混じる世界になっていく。そこで大切になってくるのが、異質な集団でも意思の疎通が可能になるコミュニケーション能力である。

その大切なコミュニケーション能力を、社会に出る前の「学校」という場所の「協働場面」で培っていくのである。

個別最適な学びで知識・技能を習得し、協働的な学びで思考力・判断力・表現力を養う

AIドリルなどで個別最適な学びが実現されれば、知識や技能をこれまでの何倍もの速さで習得することができる。つまりAIドリルなどのソフトを活用すれば、時間が余ることになる。

この余った時間を活用し、「答えが1つでない問題」に協働で取り組むことになる。グループワーク、ディベート、ディスカッション、プレゼンテーションなどである。これらは一人では当然できない。この活動により、思考力・判断力・表現力を培うことができる。

「個別最適な学習」と「協働的な学習」はどちらもますます大切になっていく。私も意識するようにしたい。では。

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