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こころの隅の想いに花咲かす。-2

オーストラリア・タスマニア編-6

タスマニアでは、先の道のりへつながるサインのような出来事も起きていた。滞在先のエコビレッジ内に、タスマニアの後に向かうスコットランドのフィンドホーン財団へ毎年通っているガーデナーの男性が住んでいたのだった。

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フィンドホーンのPARKというエリアのホール。

旅先でフィンドホーン関係者に出会うのは初めてで、彼はタスマニアが冬で寒い間は北スコットランドでフィンドホーンの庭師をしているという独自の2拠点素敵ライフをしていた。

彼からフィンドホーンのあれこれや何のプログラムを受けるのがいいのかなどリアルな話や意見を聞かせてもらうことができ、自然と次につながっていくわかりやすいサインと繋がりにホっとしていた。

(タスマニア滞在から約4ヶ月後、フィンドホーン現地の食堂でランチしていた彼と約束するわけでもなく、通りがかり的に再会することができた。そういう意味では世界はせまく、縁で出来ているようなものだなと思う。)

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願いの伏線の結果が連続して起こり、あまりに自然と叶っていたので過去に願っていたことを忘れていた。

あるときは、滞在先のエコビレッジ内のカフェで1日ホール(ウェイトレス)の手伝いをさせてもらうことになった。わたしが『20代の頃に海外のカフェやレストランで働いてみたいと思っていた。』という話を聞いた方が、繋げてくれた話だった。

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歩いてすぐ行けるカフェではビレッジの住人達が赤ちゃんをおんぶしながら接客をしていたり。歩いてすぐの場所にカフェがあるってよき。
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まかないの食事。ハンバーガーはワラビー肉orベジタリアン対応だったような。

カフェではフードバンで使う英会話とは若干違うやりとりが必要になるので初めは少し緊張したものの、周りにサポートしてもらいつつ、Wombat Cafe’のメンバーも食べに来てくれ、なんとかカフェでの1日をやり遂げることができた。

まかないの食事も頂きほっと一息つくと、それまでの日々も相まって、かつて願っていた海外のカフェで働いてみたいだとか20代の頃に持っていたワーホリ願望がすっかり満たされていることに気づいた。以前だったら、もっと様々な場所で働いてみたりオーストラリアでの銀行口座の作り方から何から、隅々まで体験したかったかもしれない。けれど今ではそこまでは望んでいなかった。心が望んでいたのは、時間や長さではなかった。たった1日のことだけど、その1日が人生の中にあるかどうかでまったく違うのだった。

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かつて東京のアースガーデン等の野外イベントや、職場近くにやってくるケータリングのフードバンを眺めながら「面白そうだよな、ちょっとやってみたいかも。」そんな風にささやかに想っていた望み。

今ふり返るとかつては『ささやかな望みはささやかなので=ささやかなまま置いておくものである。』といった思い込みや心の方程式のようなものがあった。『望みに対して控えめでいること=足るを知る謙虚なありさま。』とも、幾らか考えていたように思う。

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20代の頃にお世話になっていたメンター的な人生の恩師のような方からは「感謝と謙虚さを忘れないこと!」と何度も何度も諭していただいてきた。「驕っているとね、感謝ってものをさせてもらえなくなるの。それって人生をつまらないものにしていくわよ。」

若く調子に乗りがちなわたしに、かつて繰り返し伝えてくださっていた。たしかに謙虚さや慎み、足るを知る精神も大切にしたい。

ただ段々と、今では望みに大小はなく、まずは望みや想いを真正面から素直に見ることが大切だと感じるようになった。今は亡き恩師の方も控えめでいなさいとは一言も言っておらず、いつも変化を楽しむことを教えて下さっていた。恩師が仰っていた謙虚さとは、遠慮せいよというわけでは全くなかったわけで。

今になって、ああ謙虚ってこういうことか。と、視座が更新されていくことがある。そういった変容の機会があること自体、ありがたいことなのだ。と感じられることになったことで、少しは大人になっただろうか。

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2018年の新年明けにかかっていた虹

思わぬ形で、20代の頃ワーホリしておけばよかったかもという願いや想いがタスマニアで満たされたことによって、逆にそれまで慎みや謙虚を装うかのように、ぺっぺと素直な想いや願いに自ら土をかけて奥に埋めているような心の有り様が、浮き彫りになり気づかされた。

さりげなく諦めていた願いが周りの人たちのおかげで叶うことができたものの、それがなかったら諦めの種はフェードアウトしたままだったのだろう。自然に枯れていくのがいいこともあるだろうし、今まですべての願いを叶えてきているわけじゃない。

ただ気づけばタスマニアで、片隅に抱えていたワーホリ願望や、はたまたウクレレやギターを習ってみたいという想い、未来のフィンドホーンに向けてのヒントやサイン…そういった複数の願いが自然な形で叶えられていた。なぜ今頃になってその種が芽を出したのか。

そういう望みの種を人知れず奥に埋めていようと、ふかふかの畑の土に水と太陽の光が当たると思わぬところで発芽することがあるようで、ミラクル発芽現象というのがある。(勝手に命名)

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本人すら忘れていた願いに光があたるとき。何故それが起こるのか自分なりに書いてみると、ミラコー発芽現象(望みや夢が思わぬミラクルな形で実現すること)の出現には、雲がかかっていようと太陽が存在していることには変わりないですよね、ということを思い出すこと・思い出そうとすることが鍵で、それを望んでいる人のところにミラコー現象は訪れやすいように思う。

わたしの場合は、雲がかるように気持ちが揺れ動いているからには、その中心には何も存在していないかのように扱っていたり「いや、わたしの太陽(大切なこと)は人よりも弱い光なんだ!」みたいな、ややこしいひとり相撲なこともよくしていた。でもどこかで内なる太陽の輝きとも呼べるものを覚えていて、もっとそれらを感じたい、とり戻したいとも願っていた。

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どう足掻こうと、太陽は太陽なんですよ。っていう只それだけのこと。雲があろうと雨が降ろうと、変わらないものがある。

あなたの心の灯火は、あなたが自分で消さない限りは、いつだって存在していて消えることなどないのですよということ。生きることを望んでいるところに太陽の光はやってくる。

この願いや夢、どうなんだろう?というのもその種を握り潰さずに、ひとまず心の畑にちょいちょい植えておくと忘れた頃にどーしたのよ、と思わぬ形で花咲くかもしれない。種に水を注ぎ続けた先で、縁あって出会う人達や何かが待っていてくれたりする。

「旅に出るのに理由はいらない」なんてフレーズがあるけれどほんとうは『旅に出たら何かが起こり出会う人がいると本能的にはわかっているから、旅に出る。』そういうタイミングの旅路がある。

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あの時ああしていれば、あの時に別の選択をしていたら…という後悔や逡巡、疑問。その凸凹に見える想いが、またあたらしい幸せに繋がることがある。時に回り道のように思えた凸凹さがなければ出会えなかったご縁が映し出してくれる、風変わりで面白い日々をこれからも見続けていたい。

メルボルン編-1「メルボルンでお気楽珍道中」へつづく

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ヴィレッジ内の共同キッチンを掃除しましたよの謎写真。


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