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ファッションで生きると決めたきっかけ

2016年2月9日 高校2年生の冬。
多分絶対に、私は将来の夢を見つけた。

3歳からクラシックバレエを続けていて、バレリーナになりたい、だなんて夢を見ていた。しかし歳を重ねるごとに現実を知る。バレエの世界は甘くはない。それでもバレエは好きだったし衣裳が好きだったので、衣装を作る人になろうと考え始め、岐阜県の服飾専門高校に進学を決めた。ラッキーなことに家からも近いし。進学校でもないので受験勉強なんて殆どせずにバレエ漬けの日々。高校入学後もそんな生活を続けていたが、大した成果も出せず。高校ではファッションコンテストに挑戦するようになりそちらも忙しく。精神と体力がボロボロになり、決死の覚悟でバレエを手放した。バレエ中心の人生から、ファッションで生きていこうと決めた。


バレエからの解放から数ヶ月経った冬のある日、学校の研修として工場見学に行った。岐阜や愛知は尾州産地と呼ばれる繊維産地らしい。授業でほんのり勉強した程度。布の整理加工をする工場や糸を扱う工場などを見学した覚えがあるが、その中で私の心を揺さぶったところがあった。布を織る、つまり製織工場。


愛知県一宮市にあるこの葛利毛織工業さんは、ションヘル織機という旧式の織機で布を織り上げている。糸の巻取り(経糸準備)、整経、 綜光通し、筬通し、緯糸準備、製織、検反…という工程を経て布が作られる。その様子を目の当たりにして、私は口も聞けないほどの衝撃を受けた。特に綜光(そうこう)通しと筬(おさ)通し。簡単に言うと、綜光という器具の小さい穴に経糸を1本1本通し、その後、筬という器具の細かい櫛の様な隙間1つずつにまた1本1本経糸を通していく作業。経糸はこれらの作業だけで3日もかかるという。



意味が分からない。布を作るというのがこんなにも果てしないものだったなんて。しかも葛利さんは海外有名ブランドからのお仕事も請けるような工場。意味が分からない。一宮市の、小さな工場で、作った布が世界で評価を受けているなんて知らなかった。何よりそんな凄い工場が、職人が、こんな近くに存在していたなんて。感動とともに自身の無知にショックを受けた。そして、こんな素晴らしい技術を色んな人に知ってもらうべきだ、そして絶対に消えてほしくないと心の底から思った。

その時から、私はファッションで生きると改めて、強く、決めた。



こうして私は、尾州のものづくりを広めること。本物のメイドインジャパンの服というものを広めること。そして、ファッションで色んな人が幸せになれる未来を目指すことになる。


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