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母とふんどし|プロフィール②|ふんどし屋を始めた本当のきっかけ

「お母さん、もう長くないんだって。あと3か月なんだって…」
物心ついたときから、そんな余命宣告を耳にすることが度々あった。うちの母は私が幼少の頃からいつも入退院を繰り返していた。

それでも周囲の予想を超えて母は何度も家に帰ってきてくれた。だから、元気溌剌といかないまでも、母なりのペースでずっと生きててくれるんじゃないかと思っていた。そう信じたかった。

だけど、命の終わりの日はやって来た。

最期の入院生活。
もうあれから20年以上も経つというのに、思い返すと今でも涙が出る。
あの頃「一日でも長く生きていてほしい」という家族の切なる願いに反して、病床に伏せる母の体は刻々と死へ向かっていた。その変化をそばで見ているのは本当につらかった。

食べられなくなる
動けなくなる
しゃべれなくなる

もう、お菓子も洋服も雑誌も犬も…何もかも、母に喜んでもらえるものはどんどんなくなって、気分転換に楽しんでいた花や果物の香りさえもつらそうだった。
(もうプレゼントできるもの、なんにもない・・・)
そう思うとくやしくて悲しくて、泣いても泣いても涙が溢れた。

私にできることは体をさすったり声をかけたり、そんな身の回りの世話をすることくらいしかなかった。それでも、何か母が喜ぶものはないだろうか?といつも探していたように思う。

その頃、透析を受けていた母は太ももの付け根に太い管を通していた。消毒や清拭の際は看護師さんが下着をおろして処置をしてくださり、その時は下半身にそっとタオルをかけてもらっていた。それはほんの短い時間なんだけど、母にとってその数分があまり心地よさそうに見えなかった。

それは、女性なら誰でもわかる。
誰だって下着の上げ下ろしは自分でしたいし、
人にしてもらうのは恥ずかしい。

だからその時、「これだ!」と思った。
(下ろさなくていいパンツを作ろう!)

そう思いつくや否や、私はすぐにスーパーに行きデカパンを2枚買った。そして、ベットの横で苦手な針仕事をはじめたのだ。大きめのパンツの左側をカットして、そこにもう1枚のパンツの同じ横部分の生地を縫い足して、マジックテープを付け、体の横で開閉できるパンツを作った。

不格好な即席デカパンは意外とすぐに完成した。
母に見せるとゆっくりと手を伸ばし、じーっと見つめて一言
「こいはよか」(これはいいね)とつぶやいた。
着けてみると看護婦さんにも好評。
母も静かに喜んでいるように見えた。

ああこれで
もっと安心して治療が受けてもらえる!
とうれしくなった。

だから、もっと替えを作らなくちゃ!と、私はさらにパンツを買いに行って縫い始めた。でもそんな私を見て母はまたポツリと言った。

「もうよかよ」

それから、3日も経たないうちに母は逝ってしまった。

「もうよかよ」
その言葉の意味を分かっていたからこそ、私は焦るように縫っていたのだ。あっという間だった。

あとに残ったデカパン。
あの時の母の声。
その後の余白のような沈黙。

いろんな想いが入り交じって
(なんでもっと早く作ってあげられなかったんだろう…)
と自分を責めた。

でも、悔やんだところでどうにもならない。
母には間に合わなかったけど、こんなパンツがいつか同じような立場の人を助けてくれたらいいな・・・と、そんな思いが何となく頭をかすめた。

それから10年以上の時を経て、私は2013年に「ふんどしセレクトショップ TeRAYA」をオープンすることになる。

当時はよく「ふんどし屋を始めたきっかけは何ですか?」と聞かれて、その度に私は「ふんどしを一度履いたら、すっかりその心地よさにはまってしまってパンツに戻れなくなったんです」と答えていた。

もちろん、それもきっかけの一つだ。

でもそれが、2014年5月にNHK「あさイチ」の取材を受けた時、一人の女性スタッフSさんが一歩踏み込んだ質問をされた。

「ふつうですね…
いくら『ふんどし』が良かったといっても、『自分で作る』くらいで『お店まで始める人』は いないと思うんですよ。だから、本当のきっかけは絶対他にあるはずなんだけどなあ…」と。

この時、私はすっかり忘れていたあの「母のパンツ」のことを思い出したのだ。

なんで忘れていたの?
と自分でも不思議だったけど、多分思い出すとつらくて無意識にふたをしていたのかも知れないし、開店にあたって猛進していたので、自分の心をじっくり振り返る余裕もなかったんだろうなと、今思う。

でも、あの時の出来事がTeRAYAの原点なのは、間違いない。
「母とふんどし」
実は一番強くつながっていた、私の起業のきっかけだった。

だから、5月になるとあの時の母の姿を思い出す。
母の日を前に旅立っていったこと。
そして、あのデカパンのこと。

この世からいなくなっても、
「お母さん、ありがとう」の思いはずっとずっと続いていくんだね。


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