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テラジア アーティストインタビューVol.2 渡辺真帆(ドラマトゥルク)

『テラ』『テラ 京都編』のドラマトゥルクを務めた渡辺真帆は、小学生時代をカタールで過ごし、大学生時代に留学していたパレスチナで演劇に出会い、2022年現在はスイスに暮らしている。
Zoomの画面越しに聞いた彼女の話のなかで印象的だったのも、土地への愛着だった。

「父の仕事で、小1〜6のうちの4年半、ドーハにいました。
日本で中高生時代を過ごして、大学に進むときに『将来、何を勉強したかと関係なく、ただ良い大学に行ったから良い企業に就職していく、みたいなのは嫌だなぁ』と思って、『“潰しのきかない”ことをしよう』と考えました。
小学生の頃から、中東への親近感と興味はずっとあった。そして『アラビア語は難しい』ということだけは知っていた。それで、アラビア語専攻を選びました」

「東京外国語大学に入って、パレスチナに留学するんですけど、その留学で色んなことが変わりました。
最初は、なんとなく『卒業後はどこか企業とか団体に就職して、中東に関わる仕事をするのかな』と思ってたと思います。でも留学したら、パレスチナへの愛着が強くなって。人も気候も食事も良くて、わたしにとっては毎日が前向きで豊かでした。
でも日本からパレスチナに仕事に来る大人の中には『パレスチナのこういうところが不便』とか『ここが面白くない』みたいなことばっかり言う人もいて、なんか残念だなぁ、と思うこともありました。
その留学の一番最後に、『羅生門|藪の中』があったんです」

『羅生門|藪の中』(2014年11月)

この『羅生門|藪の中』が、渡辺が、テラジアをはじめとする演劇のプロジェクトに多数携わるきっかけとなる。
『羅生門|藪の中』は、国際舞台芸術祭「フェスティバル/トーキョー2014」のメインプログラムとなった、パレスチナのアルカサバ・シアターと日本のチームによる演劇作品だ。テラジアの参加アーティスト 坂田ゆかりが、演出家を務めた。
渡辺は、同作品のドラマトゥルク 長島 確と坂田が稽古のためにパレスチナを訪れたときから日本での公演までの全プロセスにわたり、通訳として作品に関わった。

「ゆかりさんと確さんが、もともと中東やパレスチナに特別な思い入れは持たずに現地にやって来て、『え、全然ここ住めるね』とか『ご飯美味しいね』みたいなフラットな感じでその場にいて、それにすごく好感を持ちましたね」

「ゆかりさんと確さんがホテルに泊まってて、わたしは他の俳優たちと同じように家から稽古場に通って、全部の通訳をする、という毎日でした。
色んなことが初めてでしたよね。わたし今は『テラ』のドラマトゥルクですけど、当時は『聞いたことのない日本語だな』と思ってました。ドラマトゥルクはおろか、演出家というのが何をする人なのかもわからなかったし。
それに当時、わたしは通訳をしたこともなかったんです。日本からやって来た誰かのために通訳らしき役になることはあったけど、自分とは関係ない誰かの言葉を喋るというのはしたことがありませんでした
だから、もう当時は何に驚いたという次元じゃないですけど……『すっごい喋るんだな』と思いました。
ゆかりさんと確さんのスタイルでもあると思うんですけど、先に台本があって、それが翻訳されてて、というのではなくて。パレスチナでの稽古は、俳優一人ひとりとゆかりさんたちがひたすら話をしてお互いのことを知ることに時間のほとんどを使っていました。
もう、結構、必死でしたよ。いっぱいいっぱいでした。とても自分には想像のつかない言葉がたくさん出てくるので。俳優が何を喋るかもわからないし、ゆかりさんたちが何を言うかもわからない。さらに作品の話となると、自分のことでも相手のことでもないテキストがあって、それが舞台で『生きる・死ぬ』みたいな壮大なテーマになっていく。普段自分が使う言葉じゃない言葉がたくさんで、それを自分が理解することにものすごいエネルギーを使って、さらにどうにか変換して伝えて、毎日めっちゃ疲れました」

「でもそれはやっぱり面白かった。ひとつは、ゆかりさんと確さんという日本の面白い演劇の人たちに出会った、ということ。
それと、パレスチナの俳優たちを見て『こんなに毎日ガチガチに働く熱い人たちがパレスチナにいるんだな』と思いましたし、彼らの話をたくさん聞いて通訳して、『煌びやかな俳優業みたいなこととは全然違う出発点をみんな持っているんだな』と思いました。決して演劇や俳優業をやりやすい社会ではないパレスチナで、その道を選んだ20〜30代の彼らのバックグラウンドからくる表現の強度はすごくて、『もっともっと見たいなぁ』と思いましたね。
そして、ものすごく大変なプロセスの結果、日本のお客さんに出会えて、お客さんのなかで何かが…もしかしたらパレスチナのことも、変わっていくっていうのはすごいことだなぁ、と。
その3つが、その後につながってますね。いやあ、良かったですよ、『羅生門|藪の中』があって」

パレスチナ、アルカサバ・シアターでの稽古の様子(2014年8月)

その後、日本で残りの大学生活を送る間にも、渡辺は、日本各地で演劇作品に関わる。字幕制作、制作現場での通訳など演劇の仕事のほかに、トークやワークショップでの通訳なども経験した。

「大学生なのでアルバイトでしたけど、すごく楽しかったですね。そもそも、わたしは留学から帰ってきたくなかったんです。パレスチナの居心地が良くて、ずっと良いアドレナリンが出て、楽しくて。だから日本に帰ってきて、就活も控えて、ものすごくテンションが下がってたなかで、そういう機会がたまにあったのは救いで、『本当に良かったあ』って。
聴く音楽や観る映画の幅も広がったし、演劇とか展覧会とかを観に行くようにもなりました」

「アラビア語って書かれる言葉と話される言葉が全然違うんです。教室で学ぶアラビア語は文語であり標準語で、現地の人たちが話してる巷の言葉は地域によって全然違うし、基本的に教室では習わないものなんですよね。
たとえば政治家の演説やテレビのニュースは標準語なんですけど、わたしは今そこにいる人が喋ってる言葉、パレスチナ方言みたいなもののほうが好きだったんです。そういう言葉で演じられるところも、アラビア語の現代口語劇が面白いと思った理由です。
あとは、演劇って稽古が一番おいしいというか。動いて喋る体を見ているのが好きなんだと思います。だから演劇の仕事は楽しかったですね」

「それで大学卒業後について考えたとき、いつあるかも全然わからないし、毎年あるかもわからないけど、たまに日本にアラビア語圏の演劇が来たり、ワークショップだったり、そういうプロジェクトがあるときには、わたしは全部に関わりたいなと。
それには、プロジェクトがやって来たそのときにがっつりスケジュールを空けなきゃいけない。そのためにはフリーランスになるしかないのか…? みたいな感じで、そうなっていきました」

そうして就職活動はやめて通訳や翻訳を続け、ガンナーム・ガンナーム作『朝のライラック』の翻訳では、第12回小田島雄志・翻訳戯曲賞を受賞した。

さいたまネクスト・シアター 世界最前線の演劇3『朝のライラック』[ヨルダン/パレスチナ]
左より 占部房子、松田慎也(撮影:宮川舞子/写真提供:彩の国さいたま芸術劇場)

「その間も、ゆかりさんとはずっと何かしてました。実現しなかったプロジェクトが色々あって、そのコーディネートとか、申請書を書いたりとか、ホームページの翻訳したりとか。だから『テラ』は、実は『羅生門|藪の中』から4年ぶりの協働、ではなかったんです」

しかし『テラ』での渡辺の役割は、ドラマトゥルク。それまでに経験してきた通訳や翻訳とは異なる。それも、日本の死生観や宗教観をテーマに、日本で、日本語でやる演劇だ。

「わたしでいいのかな、って感じでした。でもドラマトゥルクと言っても、長島 確さんになることを求められているんじゃないことはわかっていたから、『お役に立てるかわからないけど、入って良いならそれは喜んで』って。未知ではありましたけど、『できることやるしかないな』って」

「日本人の信仰観のようなテーマにはずっと興味がありました。中東って、圧倒的に一神教の世界なので、そのなかで多神教って完全に蚊帳の外というか。
たとえば以前、岩手の『早池峰神楽』がアラブ首長国連邦(UAE)の芸術祭に招待されたとき、通訳としてアラブ人に御神楽の解説をしたんですけど、アッラーという“The God”の世界観には“八百万の神”のようなものは存在しなくて、すごく大変でした。
でももっと覚えているのは、その仕事でUAEに入国するとき、書類に、氏名や生年月日と一緒に宗教を書く欄があって。
わたしはカタールに住んでいた頃から…たぶん最初は親がそうしたんでしょうけど、Buddhistということになっていて、自分でもそういう欄にはBuddhistと書いていました。自分の家の宗派も知らないし、菩提寺もないですけど。そのときもわたしは何の気なくBuddhistって書いてたら、当たり前ですけど御神楽衆のみなさんはShintoって書いてて、『おお、そうか!』って。
『そっか、わたしの信仰に対する意識の薄さは日本人だからじゃなくて、日本にも色んな信仰を持ってる、宗教を守ってる人たちがいるんだよな』と思ったことがありました」

「『テラ』の創作については、台本の構成ができあがるまでがすごく苦しかったです。三好十郎の『水仙と木魚』をベースにつくっていって稽古もしてたんですけど、何か詩が足りないと…。本番が近くなったある日に『やっぱり詩が必要だ!』となって、1日だけ稽古を中止して図書館に行きました。藝大の図書館に、わたしもビジターパスを着けて入って、現代詩の棚のところで真っピンクの装丁の富岡多恵子を見つけて。『ゆかりさん、見てこれ!』『いいじゃん、これ!』って。あの本を手に取ったのが、わたしの『テラ』での、ぎりぎりドラマトゥルクらしい貢献です」

「振り返ってみると、『ゆかりさん、美保さん、教順さんの3人の力ですごく面白いものができたなぁ』と思います。
『テラ』でのわたしの役割は、通訳や翻訳ほどわかりやすいものではなくて、『自分がつくった』みたいな気持ちは全然ないですけど、みんなやりたいことができた作品だと思います。美保さんも教順さんも結構きつかったと思うけどやりたいことできてると思うし、それはゆかりさんも、わたしもそうだと思います。
108の問答の間に入る歌のステージとか、痛快でしたね。わたし、あれぐらい思い切りやるのが好きなので、YES!って感じでした」

『テラ』(2018年11月)

その『テラ』がアジアに広がり「テラジア」になった今は、渡辺がアジアのアーティストたちとの日々の連携を担っている。

「2020年10月にタイの『TERA เถระ』を観たときは、『うわあ、やっててよかった』と思いました。ゆかりさんとやってきた色んなことのなかで、ついに実現するプロジェクトが現れて、本当に『やっててよかった』に尽きます。
今はプロジェクトに誘われる側からプロデュースする側に回ったわけですけど、結局は、通訳をやったときのわくわくに立ち返ります。新しい人と出会って、考えてることを聞いて、一緒に考えられるっていう場があって嬉しいなあという。
『知らない世界がちゃんと広がっているなあ』という感じ。テラジアって、そういうことですよね。学者とか専門家ではなくて、現地のアーティストたちが、生活者としても、現地で何を考えてるかをシェアしてもらえる。他国の人がわたしたちの目の前に来るんじゃなくて、現地の言葉で、現地の風景のなかで、現地の俳優が動いて、そこにお客さんもいて…を含めて観る演劇。
普段は演劇を観ない人にも、そういうことを面白いと思ってもらえるといいなぁ」

今、「テラジア|隔離の時代を旅する演劇」は3年目を迎え、4年間の旅の折り返し地点を通過した。

「テラジアはこれからベトナムチームが作品を発表する予定ですけど、彼らはわたしを創作メンバーの一人のように扱ってくれて、実際に創作に加わるので、それも楽しみで嬉しいですね。
テラジア以外では、学生さん向けのオンラインプログラムで、パレスチナとか通訳とか、演劇と社会みたいな話をする仕事をいただいて、若い人と話すのも結構楽しみです。
それと2023年2月に、下北沢でパレスチナの演劇をやります。イスラエルの刑務所に入っているパレスチナの政治囚のドキュメンタリー演劇で、パレスチナとイスラエルからもパフォーマーを呼びます」

「最近ちょっと忙しくなってきましたね。わたし、パレスチナにいるんですよ、今。思い立ってスイスから来たんですけど。久しぶりに日本を出られて、前向きな気持ちになってきました」

取材:2022年2月28日

プロフィール

渡辺真帆
ドラマトゥルク、通訳者・翻訳者。パレスチナ留学中に演劇と出会い、坂田ゆかり演出『羅生門|藪の中』に通訳・翻訳で参加。以降、舞台芸術の国際共同制作や来日公演、ワークショップ等に関わる。2020年、タイの演出家ゴップらとともに「テラジア|隔離の時代を旅する演劇」を始動。以来、アジアのアーティストとの協働の中心を担う。

筆者プロフィール

遠藤未来子
文章家、企画・広報コーディネーター。東京藝術大学音楽環境創造科卒業。


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