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『TERA เถระ』字幕の裏側から

Text by: 千徳美穂(日タイ舞台芸術コーディネーター/『TERA เถระ』日本語字幕担当)

結論から言えば (そう、最初に結論から入る上、ネタバレ満載のこのnoteは一度は作品を観てから読んでいただくことを推奨します) 、この作品は「死」がテーマだ。とはいえ、重苦しさは微塵もなく、癒しすら感じる自然で穏やかな空気に満ちているのは、タイで生まれた作品だからと言えるのかもしれない。タイの国民は9割以上が敬虔な仏教徒であり、ほとんどの人が輪廻転生を信じている。三島由紀夫の『豊饒の海』もフィクションとはいいきれない国なのだ。

そんなタイの人たちにとって「死」はすべての終わりではなく、次なる生への機会であり、生まれ変わるための通過点でもある。「亡くなった人は笑顔で送る」とタイの友人は言うけれど、「死」を忌みなるものとして抗うのではなく、肯定し受け入れることで私たちの「生」はどう変わるのだろうか。この作品を観終えたとき私は、その答えへの入り口がぼんやりとだけれど見えた気がした。

私は宗教の専門家でもなく哲学を学んだわけでもないが、幸運なことに、縁があって日本語字幕の作成に携わらせていただいた。そしてこの作品が大好きな観客の一人になった。ライブの会場にいられないことを心底悔しいと思った。このnoteでは、そんな魅力的な『TERA เถระ』の隠し味の一部を紹介したい。どれも字幕には到底書くことができない、作品の奥深くに仕掛けられた隠し味だ。妙味の秘密をいくばくかでもお伝えできれば幸いだ。

てらてら

『TERA เถระ』は <てらてら> と読む。単に音を繰り返して遊んでいるのではない。タイ語の「เถระ」は<てーら>と発音し、比丘の中でも10年以上の修行を積んだ長老を指す。南伝仏教とも呼ばれる上座部仏教 (テーラヴァーダ仏教) の「上座部 (テーラ)」である。日本語の「寺」との不思議なこのつながりに、演出のゴップさんは最初に関心をもち、この気の利いたタイトルをつけたそうだ。

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『極楽にいった猫』

『TERA เถระ』は、三好十郎の詩劇『水仙と木魚』(1957年)を原案とした日本の『テラ』の構成を活かしながら、アメリカ人作家エリザベス・コーツワースによる児童文学『極楽にいった猫』の世界も取り込んでいる。

『極楽にいった猫』は涅槃図に描かれることを夢見る三毛猫と飼い主の絵描き、彼の世話をする婆やの物語だ。1930年に発表され、アメリカで最も権威のある児童文学賞「ニューベリー賞」を受賞している。

原作では「福」だった猫の名前は「幸運」を意味するタイ語の「ワサナー」、絵師が描く涅槃図は曼荼羅になっている。輪廻から解放された状態である涅槃の図を曼荼羅に変えたことで、繰り返す生死の輪廻を物語ることを可能にしたのである。

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オカモトシゲルとヤマダカエ

『TERA เถระ』では、絵師は「オカモトシゲル」、ばあやは「ヤマダカエ」という名前だが、原作では二人の名前は示されていない。このいかにも戦後の日本に実在していそうな名前は何処から来たのだろうか。気になる。で、ゴップさんにきいてみた。ゴップさんの説明によれば……

オカモトシゲルは1911年生まれ。東京美術学校(現在の東京芸術大学)で絵画を学び、根津か日暮里あたりに居を構えたが、経済的にはあまり恵まれない暮らしをしている。実は、「オカモト」はシゲルと同じ1911年生まれの芸術家・岡本太郎、「シゲル」は、妖怪の世界を描き続けた漫画家・水木しげるに由来している。ヤマダカエの「ヤマダ」は北タイの原風景「山と田」、「カエ」は「カエル (帰る、蘇る)」という日本語に着想を得ている。

なるほど。大正・昭和チックな二人の名前はそういうことだったのか。72歳のカエの自己紹介 (14:04あたり) も「帰ってきた」とわかれば納得だ。ちなみに「ゴップ」はタイ語で「蛙(カエル)」を意味するのだが、それは「カエ」とは関係ないのだそうだ。また、二人が暮らす家は、ゴップさんが行ったことがある、谷中の旧平櫛田中邸アトリエをイメージしているとのこと。

合気道の指導者でもあるゴップさんの日本文化への造詣の半端ない深さが、『TERA เถระ』のベースを支えているのだ。

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北タイの仏教を守る龍神・パヤナーク

『TERA เถระ』冒頭、読経と虫の声に包まれる境内へ歩を進めた観客を待ち受けているのは、メーブァキィァオとパヤナーク(龍神)の二役をソノコさんが演じる、北タイの伝説の世界だ。(05:23あたりから)  天災から命を取り留めた未亡人メーブァキィァオ(文字通りの意味は、メー=母、ブァ=蓮、キィァオ=緑)の伝承は北タイではよく知られていて、チェンライの寺院にはメーブァキィァオの像が祀られた祠があり参拝者が絶えない。(宝くじの当選にご利益があるとか)

一方、パヤナークはもっと広い地域に渡り仏教を守っていて、北タイの寺院では、参道の階段はじめ山門や屋根の棟木の両端などに、守護神として大蛇の姿のパヤナークの装飾が施されている。別名ナーガラージャともいうインド伝来のパヤナークは、タイ王国の国章にもなっている神鳥ガルーダの異母兄弟にあたる。

メーブァキィァオを祀った祠があるパーマークノー寺院を紹介する現地(チェンライ)のツアー会社のFacebookアルバムがあり、パヤナークや白ウナギの像の写真もみられる。メーブァキィァオ像は5枚目、6枚目。

死をひも解く様々な手法

『TERA เถระ』には、北タイの伝説、美術や音楽、チベット仏教から地質学まで実に多彩な要素が組み込まれている。後半 (55:00あたりから) でソノコさんが舞っているのはイスラム神秘主義スーフィ—の旋回舞踊だし、地質学者が過去の地震の可能性を語る(1:07:50あたりから) のを聞けば、伝説も実は本当にあったことなのかもしれないと思えてくる。

ちなみに、本場の旋回舞踊の衣装のようにきれいに広がるソノコさんの白い衣装は、北タイの山岳少数民族の民族衣装をアレンジして自ら考案したものだそうだ。複数の役を演じられるように形を変えやすく、舞踏や舞に応じて動きやすく、また着心地もよさそうで、売っているものなら手に入れたいと思うのは私だけだろうか。

北タイ文化の神髄を感じる衣裳や美術ばかりではなく、どの場面も美しく、場面が変わるたびに、万華鏡を回したときのように「カチッ」と明確に景色が変わり、音が変わり、においや空気まで変わるのを感じ、自然と『TERA เถระ』の世界に入り込み、そして最後の瞑想へと誘(いざな)われていく。この仕掛けを大きく支えているのが、会場となっているパーラート寺院だ。

パーラート寺院

『TERA เถระ』が上演されたパーラート寺院は、チェンマイ北西部に広がるドーイ・ステープ=プイ国立公園の中にある、500年以上の歴史を持つ古刹。公園内にある標高1,080mのステープ山の山頂には、有名なプラタート・ドーイ・ステープ寺院があるが、そこへ巡礼する僧侶の休憩の場所がパーラート寺院であった。1935年にプラタート・ドーイ・ステープ寺院への道路が建設されてからは僧侶の瞑想のための寺院となったが、巡礼路は今も「僧侶の道」として使われていて、一般人も1時間程度のハイキングコースとして歩くことができる。「僧侶の道」については、パーラート寺院の僧侶自らが説明してくれている(34:30あたりから)。観光客も土産物屋もWiFiもない瞑想のための寺院には是非行ってみたいし、行ったら瞑想もしてみたい。

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ピンピア

『TERA เถระ』の音楽の素晴らしさは映像の通りだが、とりわけ注目してほしいのは、瞑想の場面で登場するピンピアだ。演奏が難しく演奏者も限られていて、なかなか聞く機会のない北タイの撥弦楽器で、一般的には2本または4本の金属製の弦が張られ、演奏するのは主に男性で(かつては女性も演奏していたらしい)、夜、女性のためにつま弾くのだという。演奏したグリット先生によれば元々は宗教儀式に使われていた楽器だそうだ。

この楽器の何より特徴的なのは共鳴器として取り付けられたココナツ(ひょうたんの場合もある)の殻である。これを胸に押し当てて演奏する。奏者の鼓動も弦の音と合わさって共鳴し波紋のように伝わってくるようで、瞑想経験の浅い観客の呼吸を助けているように感じる。楽器のアップもある(1:19:47あたり)ので是非チェックしてほしい。

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ทดสอบเสียง"พิณเปี๊ยะ" ก่อนการซ้อมใหญ่กับละครร่วมสมัย Tera “เถระ” แสดงจริงวันพรุ่งนี้แล้วครับ เสียงพิณเปี๊ยะกับเสียงของจักจั่นในป่าจะทำให้ละคร Tera น่าสนใจขนาดไหนนะ 🙂

Posted by TERA เถระ on Thursday, October 15, 2020

「明日に本番が迫った現代劇『TERA เถระ』の通し稽古を前にピンピアの音をチェック。ピンピアの音色と森の中の蝉の声が『TERA เถระ』にどれほどの趣を与えることか。」(TERA เถระのFacebookより)

108の木魚問答

『TERA เถระ』では、「テラ」といえばこのシーン!という日本版の木魚問答も継承している。観客は木魚を叩くのではなく、東南アジアでよくみかけるカエルのウッドギロを棒で擦ったり叩いたりしているが、楽しそうなのは日本と同じだ。問答の内容もほぼ日本と同じだが、次の4つは少し違っている。

(日本) テクノロジーは心まで豊かにできると思う人
(タイ) チャンスがあれば、もっと稼げる国で働きたいと思う人

「豊か」をrichという英語に訳すと微妙なニュアンスが消えてしまうが、タイ語では「儲かる」という意味を含む単語を使っている。いずれにしても、外国人労働者問題は、行く方としても受け入れる方としても、身近なテーマなのだろう。

(日本) 人工知能は人間より優れていると思う人
(タイ) 人間の負担を軽くするロボットがいればいいと思う人

人工知能の問題よりも、軽減したい日常の負担の解決法の方が切実な問題なのだろうか。

(日本) 女性は男性より不幸だと思う人/男性は女性より不幸だと思う人
(タイ) 女性は男性より幸せだと思う人/男性は女性より幸せだと思う人

不幸な方を聞くのではなく、幸せな方を聞くのがタイらしい。
タイの現代社会やタイの人たちの考え方が、こんなところに垣間見られるように思う。


最後に

『TERA เถระ』の制作から公開に至るまでの間、世界はコロナ禍の直中(ただなか)にあり、タイではさらに、政治や王室への不満が爆発した大規模なデモとそれに伴う粛清ともいうべき政府や軍による厳しい取り締まりのニュースが連日報道されていた。生きることに前向きになりにくい環境の中、この作品がチェンマイの地で生み落とされ、世界に向けて配信されたことには意味があるように思う。

そして、日本語字幕の監修者として作品の細部にわたり目配りをいただき、配信の最後まで温かく見守って下さったプサディ・ナワウィチット先生への感謝の思いは尽きない。この作品が完成してたった2カ月後に急逝され、亡くなられて49日を経て(42:00あたり参照)、 先生の肉体はタイの海へ還っていった。では、先生の魂は今どこにいるのだろう。旅立たれるとき、この作品を思い出してくれただろうか。私にとってはこの作品が先生との最後の仕事になってしまったけれど、転生したら絶対また出会って、この作品を一緒に観ると決めている。

ありがとう、『TERA เถระ』。


千徳美穂
早稲田大学第一文学部演劇専修在学中、南タイの舞踊ノーラ—チャトリーの調査目的で10カ月間、タマサート大学文学部に留学。2000年〜2001年、タイ王国文化センターリサーチフェローとしてバンコク滞在。『赤鬼』タイバージョン (1997年初演) はじめ日タイの文化交流事業に携わる。プラディット・プラサートーン作『Destination』、ニコン・セタン作『神の絶望』『Placeless』などタイ語戯曲を翻訳。

関連プログラム

『TERA เถระ』の公演映像は2021年11月19日(金)~12月26日(日)まで配信中。詳細・チケット情報はこちらのぺージをご覧ください。
※チケット販売は12月12日(日)まで


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