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ホームエディケーションへの転換

少し言うの早いかもだけど、学校に行かなくても良いじゃんと長々主張していた身からすると、急に世間が学校に行かなくても大丈夫と言い出したの笑うしかない。渇いた笑いだ。

今までの集団行動礼賛はなんだったんだ。疫病がしばらく流行っていなかった故の油断だったのか。そもそも、皆勤賞など出して「出勤」「出校」を奨励していたのも、私たちは疫病などにかからない健康でよく働ける人ですというアピールだったのか。だとすれば、年齢層での人口分布がガックリと老齢側に傾く今年、疫病が流行ったことをきっかけに、全てが「働かない人」を中心にする社会にシフトする可能性はある。

⚫︎子どもが学校に行きたくないと言ったからと行かせないでどうするんですか。(うちで教えます。大変な時間と手間がかかりますが仕方ないです)

⚫︎そんな子育てでいいと思っているんですか。(実際にお世話になっている学校とは都度話し合いをしています。わたし教職員免許取得してますし文科省の指導要項も毎年読んでます。それほど偏った指導にはなっていないと思います)

⚫︎やはり登校させないと協調性が養われないですし、自閉症になっちゃいますよ。(うちの子元々自閉症ですし、無理な協調の強制はストレスなので勘弁してください)

⚫︎なんでも障害のせいにするの良くないと思います。(……。)

直接言われたこともあるし、なんとなくの圧力として感じたこともある。歯医者に行けば「何か力が要るような仕事してます?奥歯すり減ってますよ?」と言われるほど、いろいろな思いを噛み潰してきた15年間。その戦いが昨日終わった。

主要都市の学校は事実上の休校になり、学校だけではなく学習塾も基本休業。博物館、美術館、図書館は休館、セミナーやワークショップも中止。その代わりに聞こえてきたのは、ホームエディケーションしましょう、ウェブ授業できるようになりました、学生さんの支援のためにアプリ作りました、学校に集まらなくても十分な教育が可能ですよ…の声である。

いいんだけどさ!じゃなんで今までやらなかったの!?(笑)

戦いが終わったと言ってもアイデンティティが揺らぐというほどのものではない。元々戦う気などなかったのだ。しかしお前が間違っていると言われ続け、そのことを日々真面目に検証し「いや、これが合理的」という方法を選択し続ける作業はとても大変だった。(普通は途中で考えるのが面倒になるはずである。だからこそ「これさえやっていればうまくいく」という個人の資質を無視した方法論が高額商材としてまかり通るのだ。)

昨日は就業時間が終わるなり、めまいを感じたので、娘に「気分が悪いので寝ます。晩ごはんは適当に任せた」と言って寝てしまった。これから大きな社会の転換期を迎えるのかもしれない。他人になんて思われるか…なんて考える余裕もないくらいの困難が待ち受けているかもしれない。でもとりあえずぐっすり寝れた。

もうわたしに「子どもを学校に行かせなくて良いの?」と聞く人はいないだろう。それだけでもありがたい。


ここからは蛇足である。

実のところ、わたしが何より困ったのは、そういう人を論破しようとしたりいっそ喧嘩するのは簡単だが、それは彼らの信じているものを否定する作業になるということだった。こちらは論理でいくが、向こうは感情だ。みんなと一緒でないという不安、学校に行けばそこそこの仕事につくことができ給料は上がり続けるという盲信。しかも攻撃のつもりではない。多少のマウントは入っているかもしれないが、多くはこちらを心配してくれているのだ。そして実際わたしもわたしの方法で絶対成功すると言えるほどの確信はない。確率的になんぼかマシかなあ…というぐらい。しかし彼らは「絶対成功する、してくれなきゃこの社会は終わりだ、早く仲間に入れ、親切で言ってやっているんだぞ」くらいの感じでやってくる。彼らの信仰を傷つけないように、自分のやり方は変えないということを伝えるのは、わたしにはとてもとても難しいのである。これはASDのせいかもしれないし、もっと単純に訓練が足りていないせいかもしれない。

最近、出来るだけ文章を書こうと思っているのもその反省からである。わたしは漫画がうますぎるのだ。絵が…ではない。漫画にまとめるのが上手い(と自分で言う)し自分もラクなので、これまでかなりデリケートなことも漫画で主張し、通してきてしまった過去がある。だからこそ喋りや文章の上達のために全く時間を使ってこなかったし、必要もなかった。たくさんの意見の溢れる紙メディアでは文章のよりも漫画の方が見てもらえるという点で圧倒的に有利だったからだ。しかし、時は移り、画像がネットに溢れるようになると、また状況が変わった。個人やそれに近い事業所がWEBメディアに自分の活動を取り上げて拡散される場合、画像や動画はリンクとして記載される。つまり本文にあたる部分が別に必要なのだ。特にシニアとして意見を求められたらリライト可能な文章で返さねばならない。それも結構なボリュームで、である。

この取り留めのない文章も、とりあえずなんでも書いておこうの精神で書かれている。ホームエディケーションの進め方みたいなものを期待していた人はごめんなさい。でも何かを勉強するときとか、生き方なんかを決めるとき、誰かがパッケージングしてくれたものから、選んでショッピングするようなやり方はもうやめたほうがいいよ。

読んでくださって有難うございます。もしサポートを頂けましたら、自閉症・発達障害の当事者支援活動と、画材の購入に使わせていただきます。