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理想と現実という間で。というお話。

もはや、地域福祉は幻想でしかないのではないかと思う今日この頃。最近、特に考えるのが、「国は、すでに福祉に専門性をもとめていないのではないか?」ということ。国が規定する専門的な養成講座の内容は、どんどん改悪している現実がある。それは、研修の数をこなして、大量に管理責任者を増やすことでの人件費高騰を止めたいのか、雇用の調整弁として、就職できる対象者の裾野を広げておきたいのかはあえて私は口にはしないほうが良いと思う。とにかく、業界は今やほとんど、経験則のみでの評価で、障害福祉を学んだことのない人たちで溢れかえっている。

もちろん、業界の将来を考えると、裾野の拡大は歓迎すべきことである。職員として働いていただくことは、最終的には地域の障害に対する「良き理解者」を増やすことにもつながり、障害を抱えた人たちが、地域に住みやすくなることが期待できる。しかし、果たして障害に対する良き理解者を生み出しているのかどうかと言えば、今の現状を考えると疑問に思わざるを得ない。おそらく、国の方針は、介護と福祉については、若者を入れて欲しくないと思っているのではないかと考えている。それは、人口減少に歯止めがきかない日本において、若者は大切な日本の産業を担う資産だからだ。福祉よりも、産業に回したいというのが本音だろう。そうでもなければ、福祉の専門教育を受けた若い人材をより良い環境に置くような施策が必要となると思うが、そういったことは一切に見られない上に、誰でも福祉業界に勤務できる状況であり、かといって、そういった人たちを養成するような環境はつくられていない。すべては、OJTであり、現場の裁量に任されている現状なのだ。

当の本人たちにすべてを任せるのであれば、学習意欲などがある人とない人の差も生まれてくる。本人だけではなく、事業所によっても変わってくる。それを許してしまう環境なのだから、地域福祉の向上なんて夢のまた夢であると思う。自主的な勉強会が開催されていても、それを利用する人がいなければ、質は向上しないのだ。また、学習会を開催したとしても、それを正しく理解して行動するかは、本人に委ねられており、その確認を行うこともなければ、アドバイスを送るものもいない。5年前・10年前と比べたとして、福祉の専門性や質は果たして向上しているのだろうか?と疑問に思わざるを得ない。次から次に立ち上がる事業所を横目に、福祉の専門性や質は徐々に「氷が溶け続けるカルピスのように」薄まってきている。それを飲む人は、果たして喜ぶのだろうか?

これからは、もっと虐待案件が増えるだろう。そして、事故やトラブルも増えるだろう。大きいところだけではない。支援者の心ない発言や行動で、利用者やその家族に対して、我慢を強いる機会も増えるかもしれない。笑えない出来事のなかで、無理に笑顔をつくるように強いる場面を増やすかもしれない。支援者である私たちは、そういったことに気がつくこともなく、ごく当たり前のように相手を追い詰めていくかもしれない。「知らない」とはそういうことだ。杞憂であればよいのだけれど。

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