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ホロコースト記念館へ行った話

ノートが2冊ある。
2冊とも「ホロコーストノート」と題されている。私が高校の課題で書いたものである。
開くと、ホロコーストに関する基本情報からホロコーストが題材の映画の感想、本の感想、そして「広島のホロコースト記念館に行った記録」が載っている。

まずホロコーストとは?
第二次世界大戦時、ナチスによって行われた、ユダヤ人大虐殺のことである。対象はユダヤ人に限らずジプシーの人々や同性愛者の人々も含まれた。各地に強制収容所ができ、非常に大勢の人々が殺害された。

高校の課題学習で「ホロコーストに関する映画を見て感想を書きなさい」というものがあった。見ていくうちにのめり込んだ私は2冊のノートを生み出し、最終的に広島にあるホロコースト記念館まで赴いたのだった。


ホロコースト記念館は住宅街にある。
人通りのほとんどない閑散とした田舎町、電車から降りてきたのは私だけだった。暑い夏の日である。
地図を見ながらフラフラと歩くが見つからない。ほとほと困り果てて近くの教会に寄った(こういうとき教会なら誰でも入れてくれるのを私はよく知っていた)。インターホンを押すと女の子が1人出てきて、親切に教えてくれた。あの子は元気だろうか、今でもふと考える。

川に面した白く大きな建物。
ホロコースト記念館は教会から少し歩いた所にあった。しんと静かな館内、高い天井、どこまでも白い壁。階段を上がれば展示室である。ガラスケースに並べられた黄色い星のワッペンや収容所の模型が等間隔に並べられている。人が少ないのをいいことに、自分のペースでじっくりと見ていく。

スープ皿がある。
一見すると皿に見えない。コップに近く、汚れていて、凸凹にへこんでいる。覗き込んでみると皿の底から数cm上に目立つ汚れがある。スープを入れた跡である。数cmの、汚れた器で飲む、水のようなスープ。
想像して、震えていた。

ところで、アンネの日記を見たことがあるだろうか。
残念ながら私はさらりと目を通しただけでじっくり読めてはいない。というのも、アンネの日記は当時の隠れたユダヤ人たちの生活を知るには良いのだが、「思春期の少女の淡い恋や成長話」というイメージがあったのだ。肝心のアンネが検挙された後が日記からは分からないのである。
ホロコースト記念館にはアンネの部屋を再現した部屋がある。狭い部屋の壁にはアンネも貼っていたのだろう、芸能人のブロマイドがあった。今日マチ子さんの漫画作品、「anone」を思い出す。花子は、ここで家に置いてきた子猫のことを思い出したりしていたのだろうか。

ホロコースト記念館は耳が痛くなるほど静かである。
関連書籍に囲まれて座っていると、自分の心臓の音が酷く大きく聞こえてくる。この心臓を撃ち抜かれて亡くなっていった人々がいる。その欠片をたくさん、たくさん館内で見ることが出来る。
森に連れていかれて、自分の墓穴を掘らされ、そこで殺されたユダヤ人の人もいた。自分が入るであろう墓穴を掘らされる。スコップを握っていた手は震えていただろうか。首には汗が浮かんでいただろうか。
死にたくないと思っていただろうか。


記念館を後にし、1人電車に揺られながら、私は私自身の立場の危うさを考えていた。
日本で生きる日本人の私は日本において多数派である。しかし一度海を超えれば、私は「外国人」なのだ。ホロコーストが「絶対に」起こらないとは誰も言えない。数々の歴史が言わせない。

ただそんな、大層な話ではない。
広島から帰ったら家が無くなっていて、ひとつの施設に集められ、ひとつしかない皿を大切に抱いて、味噌汁ともつかない汁のような何かを必死に啜る状況が始まったら。
今ある生活を全て捨てて、逃げなければならないとなったら。
そう、想像するだけで、自分の立場の不安定さが浮き彫りになる気がするのだ。


夕飯はコンソメスープだった。
4、5種類の野菜とベーコンが入った、器いっぱいのスープ。
温かい家の中、清潔な服。
テレビの音、家族の笑い声。
器を両手で抱え込み、少しだけ泣いてしまった。

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